稀少品 アンドレ・アンリ・ラヴリリエ作 《川を渡る聖クリストフと、威厳ある幼子イエス》 自動車を浮き彫りにした最初期の作例 直径 20.4 mm フランス 1910年代前半


突出部分を除く直径 20.4 mm


フランス  1910 - 14年頃



 1910年から 1914年頃までのフランスで制作されたクラシカルなメダイ。フランスの高名なメダユール(仏 médailleur メダイユ彫刻家)、アンドレ・アンリ・ラヴリリエ(André Henri Lavrillier, 1885 - 1958)の作品です。

 聖クリストフのメダイにはしばしば乗り物が刻まれますが、本品はそのような意匠による最初期の作例です。





 一方の面に浮き彫りにされているのは、キリスト教初期の半ば伝説的な聖人クリストフの伝承です。渡し守クリストフは、幼い男の子を肩に載せて河を渡り始めたのですが、途中で男の子があまりにも重くなったので、腰をかがめて杖にすがり、問いかけるように肩の上の男の子を見上げています。





 怪力無双の大男クリストフは立木を引き抜いて杖にしていますが、男の子の重さを支えるために全身の筋肉が張り詰め、盛り上がっています。肩の上の男の子は全宇宙の支配権を示すグロブス・クルーキゲル(世界球)を左手に持ち、右手で天を指さして、自分が天地の造り主、神なる幼子イエス・キリストであることを宣言しています。





 メダイの端に近い部分に、メダイユ工房を示すジェ・デ(GD)の文字が見えます。その反対側、聖クリストフの杖の前には、メダイユ彫刻家アンドレ・アンリ・ラヴリリエ(André Henri Lavrillier, 1885 - 1958)のサイン(LAVRILLIER)があります。





 幼子イエスを肩に乗せて渡河するクリストフの姿は、十三世紀の聖人伝「レゲンダ・アウレア」("LEGENDA AUREA") に収録された伝承を基にしています。同書によると、大男である武人クリストフは世界で最強の君主に仕えることを望み、まずはじめに、最強と思われるカナンの王に仕えました。しかしながら王が悪魔を恐れていることがわかったので、次に悪魔の家来になりました。やがて悪魔が神を恐れていることを知ると、神に仕えることを望みましたが、どうすれば神に出会えるかがわかりません。隠者に相談したところ、人を背負って深い川を渡す仕事をすれば神に出会える、と教えられました。ある日小さな男の子が現れて、向こう岸に渡してくれるようにと頼みます。クリストフは男の子を肩に乗せて運び始めますが、途中で男の子が非常に重くなり、やっとの思いで向こう岸にたどり着きました。男の子は世界を創ったキリストで、世界よりも重かったのです。クリストフはこうして神と出会い、神に仕える者となりました。





 上の写真はアルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer, 1471 - 1528)が 1511年に制作したウッド・エングレーヴィングで、大英博物館に収蔵されています。中央に大きく描かれているのはキリストとクリストフですが、向かって右側の岸辺には隠者の姿が見えます。隠者が手にするランプは「知恵」の象徴であり、「ロゴス」(希 λόγος ことば)の象徴でもあります。「知恵」あるいは「ことば」とはイエス・キリストのことに他なりませんから、ランプを手にした隠者の姿は、キリストを背負ったクリストフの姿と同じ象徴的意味を有します。「ヨハネによる福音書」 一章一節から五節を引用します。ギリシア語原文はドイツ聖書協会のネストレ=アーラント二十六版、日本語は新共同訳によります。

     Nestle-Aland 26 Auflage    新共同訳
     Ἐν ἀρχῇ ἦν ὁ λόγος, καὶ ὁ λόγος ἦν πρὸς τὸν θεόν, καὶ θεὸς ἦν ὁ λόγος.    初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
     οὗτος ἦν ἐν ἀρχῇ πρὸς τὸν θεόν.    この言は、初めに神と共にあった。
     πάντα δι' αὐτοῦ ἐγένετο, καὶ χωρὶς αὐτοῦ ἐγένετο οὐδὲ ἕν. ὃ γέγονεν    万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
     ἐν αὐτῷ ζωὴ ἦν, καὶ ἡ ζωὴ ἦν τὸ φῶς τῶν ἀνθρώπων:    言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
     καὶ τὸ φῶς ἐν τῇ σκοτίᾳ φαίνει, καὶ ἡ σκοτία αὐτὸ οὐ κατέλαβεν.    光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。


 フランス語「クリストフ」(仏 Christophe)はギリシア語「クリストフォロス」に由来します。「クリストフォロス」(希 Χριστόφορος)はギリシア語で「キリスト」を表す「クリストス」の語根「クリスト」 "Χριστ-" と、「運ぶ人」を表す「フォロス」"-φορος" を、繋ぎの音 "-ο-" で接合した合成語です。すなわち「クリストフォロス」は「キリストを運ぶ人」という意味であって、実在した歴史上の人物の名前ではありません。この事実が端的に示すように、キリストを肩に乗せて荒天の中を進む聖クリストフの姿は、キリストを心に受け容れて、キリストと共に地上を旅する教会と信仰者を象徴しています。





 反宗教改革の時代に生きたカトリックの画家ペーター・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens, 1577 - 1640)は、アントウェルペン司教座聖堂翼廊の三翼祭壇画において、「クリストゥストレーガー」(独 Christusträger)すなわち「クリストフォロス」(希 Χριστόφορος 「キリストを運ぶ者」)を主題に一連の作品を描き、「キリストを受け容れる信仰」という不可視のテーマを美しい絵画に表現しています。上の写真はルーベンスの三翼祭壇画を開いて撮影したものです。メダイユ彫刻家ラヴリリエもまた、ルーベンスと同様に、困難な旅を続ける地上の教会と信仰者、及びそれを庇護したまう神の限りなき恩寵を、この浮き彫り作品において巧みに可視化しています。

 ちなみに「レゲンダ・アウレア」のクリストフォロス伝は有名で、芥川龍之介はこの話に取材し、「キリシタンもの」作品群のひとつである「きりしとほろ上人伝」を書いています。「レゲンダ・アウレア」によると、幼子キリストは世界を創った造物主であるゆえに、世界よりも重いということになっています。しかしながら芥川の作品においては、幼子キリストが重い理由は、世の罪を背負ったからということになっています。「レゲンダ・アウレア」は荒唐無稽な内容が多いゆえに十三世紀当時からしばしば批判されてきました。これに比べて芥川の「きりしとほろ上人伝」は、優れて薫り高い文学作品となっています。





 上の写真に写っている定規のひと目盛は一ミリメートルです。幼子イエス・キリストと聖クリストフの顔、イエスが挙げた右手はいずれも直径一乃至(ないし)一・五ミリメートルの円内に収まります。突出部分に経度の摩滅が認められますが、ラヴリリエによる元の彫刻の細密さは十分にうかがうことができます。






 もう一方の面には山道を疾走するスポーツカーが彫られています。スポーツカーの後ろに上がる土煙がエンジンのパワーを感じさせますが、自動車は画面下方に小さく彫られており、運命的なものに対する人間の非力さ、寄る辺の無さを象徴しているように見えます。実際タイミングの悪いことに、車の真横に生えている木に落雷があり、幹を折られた木は車の行く手に向かって倒れようとしています。

 樹木の枝ぶりは松を思わせます。松脂は有史以前から現代に至るまで非常に多様な用途に使われており、木造船のコーキング材としてもたいへん重要です。フランス西部、ガスコーニュ地方のランド(仏 les Landes de Gascogne)では、かつて松脂が大量に生産されていました。ランドにあるような松林に雷が落ちると乾燥した松葉が発火して大火となり、大きな財産的損失が出るばかりか人的被害も十分にあり得ます。松らしき樹木に雷が落ちる図柄は、当たり前の日常に潜みつつ、いつ顕在化するか予測出来ない危険をよく表しています。





 裏面の浮き彫りを取り巻くように、次の言葉がフランス語で書かれています。

  Regarde St. Christophe, puis va-t'en rassuré.  聖クリストフを眺め、心安らかに行け。





 聖クリストフは突然の死から守ってくれる守護聖人で、旅人や乗り物に乗る人に親しまれています。中世以来「聖クリストフの姿(絵や像)を見る者は、その日のうちに悪しき死に遭うことが無い」と言い伝えられています。悪しき死とは最後の告解をし、「病者の塗油」と呼ばれる秘跡を受けずに死んでしまう突然の死のことです。

 上の参考画像は 1423年に制作された手彩色木版画で、聖クリストフォロスの絵の下に、次の言葉がラテン語で書かれています。

  Christofori faciem die quacumque tueris, illa nempe die morte mala non morieris.   クリストフォロスの顔を見れば、その日は決して悪い死に遭うことがない。






(上) Robert Campin, dit le maître de Flémalle, "l'Annonciation", 1420, tempera sur bois, 61 x 63 cm, les Musées royaux des beaux-arts de Belgique (MRBAB), Bruxelles


 上の写真はロベール・カンパン(Robert Campin, 1378 - 1444)が受胎告知を描いたテンペラ板絵で、暖炉の上の壁面に、上掲の版画と同じようなクリストフの彩色画が張られています。二枚目に示したのは拡大写真です。ロベール・カンパンが「受胎告知」を描いたこの作品は、現在ベルギー王立美術館に収蔵されています。

 「聖クリストフの姿(絵や像)を見る者は、その日のうちに悪しき死に遭うことが無い」という言い伝えは、ロマン・ロランの長編小説「ジャン・クリストフ」の冒頭部分でも引用されています。





 聖クリストフの姿を見れば悪しき死を免れる、との伝承は中世に遡ります。人の命がいつ終わるかは誰にもわからず、たとえば家庭内で突然亡くなることも有り得るわけですが、この伝承が生まれた当時の人々にとって、とりわけ危険な行動のひとつが旅行でした。それゆえ聖クリストフは旅人の守護聖人とされ、二十世紀のメダイには乗り物の浮き彫りがよく見られます。クリストフのメダイに彫られた古い乗り物は、この聖人のメダイを収集する楽しみのひとつです。

 クリストフのメダイに彫られるクラシックカー、蒸気機関車、複葉機等の乗り物は、われわれの目から見ると古色蒼然としていますが、これはクラシカルさを意図してデザインされているわけではなくて、そのメダイが制作された時代の最先端の乗り物が彫られているのです。したがって乗り物の型式を見れば、メダイの制作年代が高い精度で推定できます。





 本品に彫られたスポーツカーは二十世紀初頭、すなわち 1900年から 1910年頃に生産されたタイプです。上に示したのは 1903年の絵はがきで、写真に写っている当時最新式のスポーツカーは、このメダイに彫られた車と類似しています。上の写真に写っているスポーツカーは、本品に彫られているものと同様、ラジエーターグリルの下方にエンジンを始動するためのクランクを有します。自動車にセルモーターが搭載され始めたのは 1910年代後半頃であり、クランクを有するのはそれ以前の車種です。自動車から推測される年代と、アンドレ・アンリ・ラヴリリエの年齢を考え合わせると、本品の制作年代はおそらく 1910年代前半頃ということになります。





 本品の制作年代である 1910年頃は、馬車から自動車への移行期に当たります。これ以前の乗り物は馬車でしたが、筆者(広川)は裏面に馬車が浮き彫りにされた聖クリストフのメダイを見たことは無く、乗り物の浮き彫りを伴う聖クリストフのメダイが最初に制作されたのは、二十世紀に入ってからであると思われます。乗り物を伴う聖クリストフのメダイは多くの種類がありますが、本品はその中でも最初期の作例です。

 1920年代に入ると屋根付きの自動車が広まりますが、1910年代の自動車はまったくの無蓋であるか、せいぜい幌付きです。サスペンションや車輪は馬車の時代と変わらない構造ですが、エンジンだけが強力になっています。何とも頼りない華奢な車体を見ると、聖クリストフに頼りたくなった当時の人々の気持ちがよくわかります。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。浮き彫りは突出部分に経度の摩滅が認められますが、クランクを有し、ホイールベースを長く取った車体の構造、乗員が二名であること、樹木の枝ぶり、ゴツゴツした未舗装の路面など、巧みに表現された細部に、「絵画的彫刻」である浮き彫りの長所が最大限に活かされています。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。





 本品はおよそ百年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い品物であるにもかかわらず、良好な保存状態です。特筆すべき問題は何もありません。突出部分に見られる摩滅は歳月をかけて獲得された味わいであり、レプリカには無い歴史性を本品に与えています。





本体価格 15,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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