愛に燃える魂のハルモニア・ムンディー 《聖フランチェスコと聖キアラ》 鋳造による大型メダイ 直径 29.2 mm


突出部分を除く直径 29.2 mm  最大の厚さ 4.2 mm

重量 12.6 g


イタリア  1920 - 30年代



 グレゴリウス改革が産んだ聖人たちのうち、おそらく最も有名な聖人であるアッシジの聖フランチェスコと、フランチェスコに従って世を捨てた聖女キアラのメダイ。いまから八十年ないし九十年前のイタリアで、鋳造によって制作された大型の作品です。二十九ミリメートル強の直径は、信心具のメダイとしては最も大きな部類です。五百円硬貨二枚分に近い重量は、手に取ると心地良い重みを感じます。

 ふたりの聖人はそれぞれのアトリビュート(持物 じぶつ)に現れた救い主の愛に思いを潜め、地上に身を置きつつも、天上に見(まみ)える日をひたすらあこがれています。





 一方の面には、クルシフィクスを愛しげに抱く修道服姿の聖フランチェスコ(Francesco d'Assisi 1182 - 1226)が浮き彫りにされています。聖人の衣がごわごわした粗末な布製であることは、布に細かい皺が寄っていないこと、聖人の頭からずり落ちた頭巾がしなやかさを欠いていて、立体的な形を保っていることからもわかります。イタリア語による「アッシジの聖フランチェスコ」(伊 S. FRANCESCO D'ASSISI)の文字が聖人を囲んでいます。





 聖人は腰に荒縄を巻いて衣を着用し、荒縄には大型のロザリオを掛けています。

 ロザリオの祈りでは天使祝詞が多数回に亙って唱えられます。天使祝詞は「めでたし、恩寵満ち満てるマリア…」(希 Χαῖρε Μαρία κεχαριτωμένη...)という受胎告知の祈りにおいて、冒頭のギリシア語「カイレ」(希 Χαῖρε めでたし)、ラテン語で言えば「アヴェ」(羅 AVE)は、メシア(救い主)の誕生を予告しています。ギリシア語「カイレ」(Χαῖρε)は「喜べ」「歓喜せよ」という意味です。





 救い主の誕生は、罪びとにとって、この上なく喜ばしいことです。しかしながらこの救世は、救い主イエス御自身にとっては、あまりにも恐ろしい方法で達成されました。

 救い主イエスは、半神ではありません。三位一体の第二位格「子なる神」であるとともに、預言者たち、使徒たちと同じ人間でもあります。それゆえユダヤ、イスラエルの人々がイエスを王なるメシアとして受け容れなかったとき、イエスはゲツセマネで死ぬばかりに悲しまれ、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と祈り給いました(マタイ26: 36 - 44 他)。また十字架上で亡くなる際には、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫び給いました。





 本品に彫られた聖フランチェスコは磔刑像をしっかりと抱きしめ、十字架において過ぎ越しの犠牲となり給うた神の子羊に、全身全霊の愛を注いでいます。

 フランチェスコは両腕を交差させて胸に当てていますが、これは聖なる物を布越しに奉持する習慣を表すとともに、中世に行われた祈りの姿勢でもあります。愛に燃えるフランチェスコは、キリストとともに十字架に架かり、同じ苦しみを味わうことを唯一の願いとしています。フランチェスコは決して厭世主義者ではなく、神が創り給うた被造的世界の美を讃嘆しました。しかしながら生涯の終りが近づいた今、フランチェスコの眼差しは神の御許に向かっています。





 聖人の手には聖痕が見えます。聖痕を受けた後の聖フランチェスコは傷に苦しみ、体が弱っていましたが、クルシフィクスを愛しげに胸に抱くメダイのフランチェスコは、あくまでも穏やかな表情です。身体の苦痛を忘れたかのような聖フランチェスコの表情からは、聖人の幸福が天にあること、聖人の心が既に肉体を半ば離脱し、ひたすら天上に焦がれていることがよくわかります。





 もう片方の面にはアッシジの聖キアラ(Chiara d'Assisi, c. 1193 - 1253)が浮き彫りにされ、周囲にイタリア語で「アッシジの聖キアラ」(伊 S. CHIARA D'ASSISI)と記されています。聖キアラはフランチェスコの弟子となり、女子修道会であるクララ会を創設した女性です。

 本品に浮き彫りにされたキアラはモンストランス(聖体顕示台)を手にしています。キアラがモンストランスに布を当てて手に持ち、直接触れることを避けているのは、聖なる物に触れる際、「マヌース・ヴェーラータエ」(羅 MANUS VELATAE 「被われた両手」の意)として古来行われてきた習慣です。




(上) フランスの古い小聖画。当店の商品です。


 図像の聖人が誰であるかを判別する特徴的な衣服や持ち物を、美術史では「アトリビュート」(英 attributes 持物 じぶつ)と呼んでいます。キボリウム(聖体容器)あるいはモンストランス(聖体顕示台)は、アッシジの聖キアラのアトリビュートです。

 1234年、キアラが院長を務めるアッシジの女子修道院に、神聖ローマ皇帝フリードリヒ二世軍の兵士たちが侵入しようとしました。兵士たちは修道院を略奪し、また修道女たちを犯そうとしたのです。このとき病床にあったキアラがキボリウムを手に窓辺に立つと、兵士たちは梯子から落ち、逃げ出しました。キボリウムあるいはモンストランスがキアラのアトリビュートとされるのは、この出来事によります。

 しかしながら聖体は本来強盗除けでも男除けでもなく、キリストの御体です。このメダイのフランチェスコが聖人伝の特定の場面を表していないのと同様に、聖体を恭しく捧持して頭を垂れるキアラの姿も、キリストのみをひたすらに愛する聖女の魂を形象化したものと考えることができます。実際、上記の奇跡が起こったときキアラは四十歳頃でしたが、本品に浮き彫りにされたキアラの姿は史実よりもずっと若く見えます。これはキアラの魂がキリストへの愛ゆえに得た永遠の生命を、若々しさとして可視化したものと考えることができます。





 フランチェスコの「小さき兄弟たち」と同様、自分を無にして心のすべてを神にのみ向けるために、キアラは喜捨に頼る清貧の生活を目指しました。この時代の修道院は、所有する広い農地、修道院内で運営する学校、修道院内で制作される手工業品で収入を得るのが普通でした。しかしながらフランチェスコは修道士が農作業や教職、物作りに携わることで、修道生活の第一の目的、すなわち神と救い主への愛から注意が逸れてしまうと考えて、「小さき兄弟たち」の生活は喜捨によってのみ営まれるように定めました。キアラもこれと同様に、喜捨に頼る清貧の生活、あるいはより正確に言えば、神のみに頼る清貧の生活を望んだのです。

 愛する者に人生を捧げ、愛する者のために日々の仕事をこなすのは、修道者に限った事ではありません。俗人もまた愛する者のために、すなわち愛する猫たちや妻子のために、日々の仕事をしています。しかしながら大局的に見た「生きる目的」「働く目的」が、たとえば猫のため、妻子のためであったとしても、日々の仕事においては目の前の商品や製品や作業に注意が集中し、仕事中に猫や妻子の顔を思い浮かべることはほとんど無いでしょう。キアラが嫌がったのは、このことでした。あたかも新婚休暇中のカップルにも似て、キアラは神を愛することだけに二十四時間を使いたかったのです。


 後の教皇クレゴリウス九世となるウゴリーノ枢機卿は、1219年、キアラの会にベネディクト会のものと同様の会則を与えましたが、そこでは修道院財産の所有が許されていました。キアラはこれを嫌ってローマに請願を繰り返し、ついに 1228年9月17日、教皇クレゴリウス九世はキアラの会に「プリーヴィレーギウム・パウペリターティス」(PRIVILEGIUM PAUPERITATIS ラテン語で「清貧の特権」の意)を与えて、喜捨によって生きることを許可しました。教皇庁がこのような「特権」を与えるのは初めてのことでした。





 キアラたちに与えられた「プリーヴィレーギウム・パウペリターティス」の原本は、アッシジの聖キアラ修道院に残っています。以下に内容を示します。日本語訳は筆者(広川)によります。文意を通じやすくするために補った訳語は、ブラケット [ ] で囲みました。

     Gregorius Episcopus, servus servorum Dei. Dilectis in Christo filiabus Clarae ac aliis ancillis Christi in ecclesia Sancti Damiani Episcopatus Assisii congregatis, salutem et apostolicam benedictionem.    司教グレゴリウス、神のしもべたちのしもべが、キリストにあって愛する娘たち、すなわちアッシジ司教区聖ダミアーノ教会において共に住まうクララ以下キリストの婢(はしため)たちに、挨拶と使徒継承の祝福を[送る]。
         
     Sicut manifestum est, cupientes soli Domino dedicari, abdicastis rerum temporalium appetitum; propter quod, venditis omnibus et pauperibus erogatis, nullas omnino possessiones habere proponitis, illius vestigiis per omnia inhaerentes, qui pro nobis factus est pauper, via, veritas, atque vita.    すでに明らかなる如く、主にのみ身を捧ぐるを欲する汝らは、移ろい行く物事への欲を拒み、それゆえにすべての物を売り払い、[あるいはそれらを]貧者たちに与えて、全く何らの所有物をも持たざるを決意し、我らのために貧しくなり給い、道とも真理とも命ともなり給うた御方の足跡に、あらゆることを通して従う者たちである。
     Nec ab huiusmodi proposito vos rerum terret inopia; nam laeva Sponsi caelestis est sub capite vestro ad sustentandum infirma corporis vestri, quae legi mentis ordinata caritate stravistis.    汝等は物に乏しく貧しけれども、決意を枉(ま)げることがない。なぜなら[神にある]夫[キリスト]の左手が、汝らの身体の弱き諸部分を支えるべく、汝らの頭(こうべ)の下にあるからである。弱きそれらの部分を、愛に支配された精神の範によって、汝らは覆ったのである。
     Denique qui pascit aves caeli et lilia vestit agri vobis non deerit ad victum pariter et vestitum, donec seipsum vobis transiens in aeternitate ministret, cum scilicet eius dextera vos felicius amplexabitur in suae plenitudine visionis.    そして、空の鳥を養い、野の百合を着飾らせ給う御方は、ご自身が汝等のもとに来給いて永遠に司牧し給うまで、すなわちその右手で豊かなる至福直観のうちに汝らを抱き、より大いなる幸福に至らせ給うまで、食べ物に関しても、また同様に着る物に関しても、汝らの世話を放棄し給うことはない。
         
     Sicut igitur supplicastis, altissimae paupertatis propositum vestrum favore apostolico roboramus, auctoritate vobis praesentium indulgentes, ut recipere possessiones a nullo compelli possitis.    それゆえ汝等が請願したる如くに、より一層の貧しさを求める汝らの決意を、われらは使徒座に発する賛意を以て認め、汝らが何びとによりても所有物を受けるように強いられ得ざることを、ここなる勅許状の権威によりて承認する。
         
     Nulli ergo omnino hominum liceat hanc paginam Nostrae concessionis infringere vel ei ausu temerario contraire. Si quis autem hoc attentare praesumpserit, indignationem omnipotentis Dei, et beatorum Petri et Pauli Apostolorum eius, se noverit incursurum.    それゆえ、われらが与うる勅許に抵触し、あるいは無分別な大胆さを以てこの勅許に反対することは、何びとに対しても決して許されるべきでない。しかしながらかかる試みを敢えて為す者は、全能の神と、神の至福なる使徒ペトロ、パウロの怒りがその者に到ることを知るべきである。
         
     Datum Perusii, decimoquinto kalendas Octobris, Pontificatus nostri anno secundo.    ペルージアにて、わが教皇在位第二年の九月十七日に布告






 メダイの制作方法には鋳造と打刻の二種類があります。打刻は貨幣の製作方法と同じで、大量生産に向いています。これに対して鋳造は非常に手間がかかり、多くの数を作ることができない反面、重厚な作品を作れることが大きな長所です。本品は鋳造によって制作されており、メダイの下部は四ミリメートル超の厚みを有します。この厚みのせいで浮き彫りが有する立体性は、メダイの大きさと相俟って、生身の聖人たちを眼前に見るような錯覚を覚えさせます。





 上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。本品の実物を女性がご覧になれば、写真よりもひと回り大きなサイズに感じられます。

 本品は信心具のメダイとしては最も大きなサイズに属します。聖フランチェスコのメダイは時おり大きなサイズの作品がありますが、聖キアラのメダイはそもそも数が少ないうえに、大きなサイズの作品がありません。筆者(広川)は長年に亙ってメダイを蒐集、研究していますが、本品はこれまでに筆者が見たなかで最も大きな聖キアラのメダイです。





 しばしば「セラフィクス」(羅 SERAPHICUS セラフの如き)と形容される聖人フランチェスコと、フランチェスコに従った聖女キアラの魂は、救い主の愛の火が燃え移ることにより、救い主への愛に燃える者となりました。地上にありながらも天上に憧れ、救い主へのひたむきな愛を共有するフランチェスコとキアラの魂は、本品の両面において美しく響き合っています。二聖人の魂は救い主への愛ゆえに、絶えざる讃歌を奏でます。人と人の魂をミクロコスモス(希 μικρόκοσμος 小宇宙)と考えれば、その讃歌はまさにハルモニア・ムンディー(羅 HARMONIA MUNDI 世界の調和 第一動者が他者を動かす数理的秩序の顕れ)といえましょう。

 本品は二十世紀前半に制作された品物ですが、古い年代にもかかわらず、保存状態はきわめて良好です。いずれの面の突出部分にも摩滅はほとんど見られません。特筆すべき問題は何もありません。





21,800円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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