稀少品 「イエスは荒れ野に導かれ給へり」 マタイによる福音書四章 クラウバーによる十八世紀のコッパー・エングレーヴィング パピエ・ヴェルジェに手彩色

Ductus est Iesus in desertum


153 x 100 mm

アウグスブルク  1740年頃



 共観福音書には、イエスが公生涯の始めに荒野において悪魔から誘惑を受け、これを退け給うた出来事が記録されています。本品はこのできごとを描いた1740年頃のコッパー・エングレーヴィングで、アウグスブルクで活躍したクラウバー兄弟、すなわちヨーゼフ・セバスティアン・クラウバー(Joseph Sebastian Klauber, c. 1700 - 1768)またはその弟ヨハン・バプティスト・クラウバー(Johann Baptist Klauber, 1712 - c. 1787)によります。紙は良質のパピエ・ヴェルジェ(仏 papier vergé 簀の目紙、レイド・ペーパー)で、水彩絵の具により手彩色が施されています。ウォーター・マークは見当たりません。

 イエスが荒野で悪魔の誘惑を受け給うたことはすべての共観福音書に取り上げられていますが、本品の左下には "Evang. Matth. 4." の文字が刻まれており、「マタイによる福音書」四章が聖画の典拠とされていることがわかります。「マタイによる福音書」四章一節から十一節を、ギリシア語原文にラテン語訳及び日本語訳を添えて引用いたします。原テキストはドイツ聖書協会のネストレ=アーラント第二十六版(Novum Testamentum Graece, Nestle-Aland, die 26. Auflage, Deutsche Bibelgesellschaft, Stuttgart, 1979)、ラテン語訳はクラウバーの時代に使われていたヒエロニムスのヴルガタ、日本語は新共同訳によります。

  「マタイによる福音書」 四章一節から十一節 
               
   1    Τότε ὁ Ἰησοῦς ἀνήχθη εἰς τὴν ἔρημον ὑπὸ τοῦ πνεύματος, πειρασθῆναι ὑπὸ τοῦ διαβόλου.    Tunc Iesus ductus est in desertum a Spiritu, ut tentaretur a Diabolo.    さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、“霊”に導かれて荒れ野に行かれた。
   2    καὶ νηστεύσας ἡμέρας τεσσεράκοντα καὶ νύκτας τεσσεράκοντα ὕστερον ἐπείνασεν.    Et cum ieiunasset quadraginta diebus et quadraginta noctibus, postea esuriit.    そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。
   3    Καὶ προσελθὼν ὁ πειράζων εἶπεν αὐτῷ, Εἰ υἱὸς εἶ τοῦ θεοῦ, εἰπὲ ἵνα οἱ λίθοι οὗτοι ἄρτοι γένωνται.    Et accedens tentator dixit ei: Si Filius Dei es, dic, ut lapides isti panes fiant.    すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
   4    ὁ δὲ ἀποκριθεὶς εἶπεν, Γέγραπται, Οὐκ ἐπ' ἄρτῳ μόνῳ ζήσεται ὁ ἄνθρωπος, ἀλλ' ἐπὶ παντὶ ῥήματι ἐκπορευομένῳ διὰ στόματος θεοῦ.    Qui respondens dixit: Scriptum est: "Non in pane solo vivet homo, sed in omni verbo, quod procedit de ore Dei".    イエスはお答えになった。「『人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
   5    Τότε παραλαμβάνει αὐτὸν ὁ διάβολος εἰς τὴν ἁγίαν πόλιν, καὶ ἔστησεν αὐτὸν ἐπὶ τὸ πτερύγιον τοῦ ἱεροῦ,    Tunc assumit eum Diabolus in sanctam civitatem et statuit eum supra pinnaculum templi    次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、
   6    καὶ λέγει αὐτῷ, Εἰ υἱὸς εἶ τοῦ θεοῦ, βάλε σεαυτὸν κάτω: γέγραπται γὰρ ὅτι Τοῖς ἀγγέλοις αὐτοῦ ἐντελεῖται περὶ σοῦ καὶ ἐπὶ χειρῶν ἀροῦσίν σε, μήποτε προσκόψῃς πρὸς λίθον τὸν πόδα σου.    et dicit ei: Si Filius Dei es, mitte te deorsum. Scriptum est enim: "Angelis suis mandabit de te, et in manibus tollent te, ne forte offendas ad lapidem pedem tuum".    言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。『神があなたのために天使たちに命じると、あなたの足が石に打ち当たることのないように、天使たちは手であなたを支える』と書いてある。」
   7    ἔφη αὐτῷ ὁ Ἰησοῦς, Πάλιν γέγραπται, Οὐκ ἐκπειράσεις κύριον τὸν θεόν σου.    Ait illi Iesus: Rursum scriptum est: "Non tentabis Dominum Deum tuum".    イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。
   8    Πάλιν παραλαμβάνει αὐτὸν ὁ διάβολος εἰς ὄρος ὑψηλὸν λίαν, καὶ δείκνυσιν αὐτῷ πάσας τὰς βασιλείας τοῦ κόσμου καὶ τὴν δόξαν αὐτῶν,    Iterum assumit eum Diabolus in montem excelsum valde et ostendit ei omnia regna mundi et gloriam eorum    更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、
   9    καὶ εἶπεν αὐτῷ, Ταῦτά σοι πάντα δώσω ἐὰν πεσὼν προσκυνήσῃς μοι.    et dicit illi: Haec tibi omnia dabo, si cadens adoraveris me.    「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。
   10    τότε λέγει αὐτῷ ὁ Ἰησοῦς, Υπαγε, Σατανᾶ: γέγραπται γάρ, Κύριον τὸν θεόν σου προσκυνήσεις καὶ αὐτῷ μόνῳ λατρεύσεις.    Tunc dicit ei Iesus: Vade, Satanas! Scriptum est enim: "Dominum Deum tuum adorabis et illi soli servies".    すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」
   11    Τότε ἀφίησιν αὐτὸν ὁ διάβολος, καὶ ἰδοὺ ἄγγελοι προσῆλθον καὶ διηκόνουν αὐτῷ.    Tunc reliquit eum Diabolus, et ecce angeli accesserunt et ministrabant ei.    そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。


 マタイとルカの記述によると、イエスは「申命記」六章を引用して悪魔に答えておられます。「申命記」六章の内容は、イスラエル人を前にして、モーセが行った説教です。しかるにモーセはイエスの前表、モーセに率いられるイスラエルはイエスに率いられるエクレシア(キリスト教会)の前表です。したがって荒れ野で試みを受けたイエスは、新らしきイスラエルであるキリスト教会に対して、信仰生活の範を示しておられることがわかります。

 「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」というイエスの言葉は、「神に信頼して従うならば、神は人を養ってくださる」ということを、「あなたの神である主を試してはならない」というイエスの言葉は、「人は自分自身を神の地位に置いてはならない」ということを、「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」というイエスの言葉は、「自分の欲望ではなく、神のみに仕えよ」ということを、それぞれ教えています。





 クラウバーによる本作品は大きく三つの画面に分かれており、「キリストの誘惑」を構成する三つの場面のそれぞれが、画面ごとに描かれています。

 まず第一に、中央にそびえる岩山の手前には、荒れ地における第一の誘惑が描かれています。大岩に腰かけたイエスの足下には、乾燥した大地に幾つもの岩石が転がっています。悪魔は石を手に取って、これをパンに変えるようにイエスに勧めています。しかしながらイエスは天上を指さし、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と答えておられます。

 キリストの右側(向かって左側)には、奥に向かって風景が開け、大きな都市が描かれています。この都市はエルサレムで、手前の背の高い建物はエルサレム神殿の塔です。悪魔は屋根の上にイエスを連れて行き、天使の守護に身を委ねて飛び降りるように促しています。しかるにイエスはここでも天上を指さし、「あなたの神である主を試してはならない」と答えておられます。

 キリストの左側(向かって右側)には、峨々たる山の風景が描かれています。悪魔はイエスを高い峰に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、 「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言っています。悪魔は地上を支配することを神から許されているので、このように言う資格があるのです。これに対してイエスは「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある」と答え、悪魔を退けておられます。

 画面の中央付近、イエスの右上(向かって左上)には、天上から舞い降りる童子が描かれています。いかにもバロック期の版画にふさわしい有翼のプッティですが、本作品はキリスト教の聖画ですから、二人の童子は当然のことながらエロースやアモルではなくて、天使です。

 四十日に亙る断食を終えたイエスに、天使たちはパンや果実など、地上の食べ物を運んでいます。「マタイによる福音書」四章十一節には、イエスが悪魔を退け給うた後、天使たちが来てイエスに仕えたと書かれています。この天使たちは三つの試みの後で、イエスに仕えるべく天から遣わされたことがわかります。


 本作品はコッパー・エングレーヴィングですが、水彩絵具を使って手作業で彩色されています。イエスの衣の色である青は天上界を象徴するとともに、悪魔の誘惑を退ける智慧をも表します。これに対して悪魔は地上を象徴する赤色に塗られ、色彩の上でもイエスと鮮烈な対照を為しています。

 画面に向かって右下の隅に、大きな球体が描かれています。球は被造的世界の象徴です。したがって本作品に描かれた球は、地上に降誕し給うたイエスが、神としてではなく人として、この試みを受け給うたことを強調的に表していると考えられます。さらにクラウバーは画面右端に大きな球体を置いて、画面左端の塔との間に視覚的均衡を取ることで、画面に安定感をもたらしています。





 上の写真は聖画の中央部分を拡大しています。定規のひと目盛りは一ミリメートルです。人物像の顔は直径二ミリメートルないし三ミリメートルの円内に収まりますが、目鼻立ちが整っているばかりでなく、活き活きとした表情が表されています。イエスの表情には、新しきイエスラエルを率いるモーセとしての確固たる信仰と神への信頼、救い主としての威厳が溢れています。天使たちは喜びに満ち、優しい表情を浮かべています。イエスの髪や手足、悪魔のごつごつした体と山羊のような足、写実的な岩肌や一枚一枚の葉など、画面のすべての部分において、クラウバーのビュラン(彫刻刀)は十分の一ミリメートルの精度でコントロールされ、銅板を自在に刻んでいます。十八世紀の作品には十九世紀のものほどの細密さはありませんが、肉眼で見ると充分に精緻です。


 十七世紀は人々の目が自然の美に対して開かれた時代でした。クラウバー兄弟が生きた十八世紀はこれに続く時代であり、近代的科学が発達した啓蒙の世紀でもありました。クラウバーの聖画はこの時代の精神を鏡のように映し出しています。

 画面の向かって左側にあるエルサレム市街は、歴史的忠実性を度外視して描かれています。イエスと悪魔が立つ神殿の塔は円蓋が架かっているばかりか、アーキトレーヴ(大梁)の上に低い屋階が置かれ、壁面最上部からはコーニス(軒蛇腹)が非常に大きく突出しています。イオニア式柱頭を持つ付け柱は古典的ですが、柱頭間は古典建築に見られない楕円の刳り型様装飾で飾られています。要するにこの「エルサレム神殿」は全くのバロック建築であり、近世ヨーロッパのものにしか見えません。

 画面の向かって右側に描かれた高山の風景も、ヨーロッパのアルプスを写しています。クラウバーはこのアルプスを、明るく見晴らしが良い美しい場所として描いています。このような描き方も啓蒙の世紀ならではです。この聖画がもしも十七世紀のものであったとしたら、このような描かれ方はしなかったでしょう。




(上) Arnold Böcklin, „Drache in Felsenschlucht“, 1870, Öl auf Leinwand, 152 x 92,5 cm, Bayerische Staatsgemäldesammlungen, Schack-Galerie, München


 古来アルプスには竜や小人が住んでいると信じられていました。魔女がアルプ(牧草地)で集会を開くとも言われていました。現在まで残る民間伝承によると、アルプスの氷河には、罪を償うまで天上に上ることを許されない哀れな人々の魂が住んでいて、クリスマスのころに町に降りて来ます。アルプスを恐れるこのような感覚は、知識階級においても近世まで色濃く残存していました。ルツェルンの歴史家ヨハン・レオポルド・ツィザート(Johann Leopold Cysat, 1601 - 1663)は、1661年に発行されたルツェルン史の中で、ピラトゥス山(Pilatus ルツェルン近郊の山)に木を探しに行った桶職人が、深い穴に転落し、その穴の中でひと冬のあいだ、有翼の竜二頭と共に過ごした事件を記録しています。ツィザートはこの逸話を、十六世紀半ばに実際に起こったこととしています。

 十八世紀になってもアルプス山中の竜の実在は完全に否定されず、優れた博物学者ヨハン・ヤーコプ・ショイヒツァー(Johann Jakob Scheuchzer, 1672 - 1733)は、1723年に刊行された著書「イティネラ・アルピナ」("Itinera Alpina"  「アルプスの旅」)に、有翼の竜を描いたコッパープレート・エングレーヴィングを掲載しています。下の写真がその版画です。


 ショイヒツァーの竜 


 このようにアルプスの神秘性は長く忘れられませんでしたが、その一方で地形や地質、動植物の探査は少しずつ始まっていました。魔の山として恐れられたピラトゥス山には、後のザンクト・ガレン市長としても知られる人文主義者ヨアヒム・フォン・ヴァット(Joachim von Watt, 1484 - 1551)の一行が、早くも 1518年に登山を行い、地図を作成しています。医師であり優れた博物学者でもあったコンラート・ゲスナー(Konrad Gessner, 1516 - 1565)も、 1555年、友人とともにピラトゥス山に登っています。上掲のショイヒツァー自身も、少なくとも二度、ピラトゥス山に登っています。竜はともかくとして、ショイヒツァーはアルプスにおける地理学の創始者であり、1705年には気圧計を用いてサン=ゴタール峠(le col du Saint-Gothard, il Passo del San Gottardo, der Gotthardpass)の高度を測定しています。

 要するにこの聖画が描かれた十八世紀半ばは、それまで竜や悪霊の棲み処として恐れられてきたアルプスが、合理的精神の光によって照らされ、風光明媚で好ましい地へと変貌しつつあった時代なのです。それゆえクラウバーは、イエスに同行している悪魔を別とすれば、竜も小人も、その他の如何なる山の魔物も登場させず、美しいアルプスの風景画を描いています。





 クラウバーのエングレーヴィングは、十八世紀の絵画に特有のロカイユ(貝殻の縁のような曲線文様)で画面全体を縁取った作品も多いですが、本品においてロカイユは用いられず、より自然主義的な描写となっています。版画の周囲に書かれている言葉はすべてラテン語で、内容は次の通りです。

  Dominica i Quadragesimi  四旬節第一主日

  Epistla: Hortamur nvos ne in vacuum gratiam Dei. - Secunda Epistla ad Corinthios, caput 6  使徒の手紙(からの朗読) あなたがたが神の恵みを無駄にすることが無いように、我々は勧告します。 「コリントの信徒への手紙 第二」 六章

  Evangelium secundum Matthaeum, caput 4.  「マタイによる福音書」四章

  Ductus est Iesus in desertum.  イエスは荒れ野に導かれた。

  C.P.S.C.M. (Cum Privilegio Sacræ Cæsaris Maiestatis)  神聖ローマ皇帝の認可に拠る


 四旬節第一主日に朗読されるべき使徒書簡の聖句として、「コリントの信徒への手紙 第二」六章一節が略記されています。この箇所の全文を、ヒエロニムスのヴルガタ及び新共同訳によって示します。

     adiuvantes autem et exhortamur ne in vacuum gratiam Dei recipiatis    わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。


 右下の隅にはクラウバーの署名があります。

  Klauber Catholicus Sculpsit et Exsecutus est.  カトリック信徒であるクラウバーが(この版画を)彫って刷り上げた。

 このクラウバーが兄弟のどちらのことなのかわかりません。もしも兄弟二人の共作であれば、次のように読めます。

  Klauber Catholici Sculpserunt et Exsecuti sunt.   カトリック信徒であるクラウバー兄弟が(この版画を)彫って刷り上げた。





 このエングレーヴィングは1700年代中頃に刷られたものです。制作から三百年近い歳月が経っていますが、紙の劣化や破損、特筆すべき汚れなど、いかなる問題も無く、非常に良好な保存状態です。クラウバー兄弟は十八世紀で最も高名なエングレーヴァーですが、オリジナルの作品は手に入りにくく、たいへん貴重な品物です。

 商品写真に写っている額は、当店で用意して聖画と取り合わせたもので、アンティーク品ではありません。額の縁は木製で、自立式、壁掛け式の両様にお使いいただけます。前面にはガラスが嵌っていますが、商品写真を撮影する際は反射を除くためにガラスを外しています。額は別売りで、マット、ベルベット、工賃、税を含む価格は 4,800円ですが、この聖画をお買い上げいただいた方には 1,000円でお譲りいたします。商品写真に写っている額が在庫していない場合、同じ価格の他の額をご用意いたします。また商品写真とは異なるデザインや色の額をご希望の場合、同じ価格の他の額をご用意いたします。お気軽にご相談くださいませ。





本体価格 42,000円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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