ジャック=エミール・ラフォン画 「聖マドレーヌ」 ピエール=アントワーヌ・ペレによる細密グラヴュール (テュルジ 図版番号 96)

Sainte Madeleine, Turgis, pl. 96, 12.1 x 7.9 mm


115 x 75 mm

フランス  1850 - 60年代



 十九世紀半ばのパリで制作されたカニヴェ。宗教画を得意とし、フランス画壇で高い評価を受けていた芸術家ジャック=エミール・ラフォン(Jacques-Émile Lafon, 1817 - 1886)の原画を、ビュランの名手ピエール=アントワーヌ・ペレ(Pierre-Antoine Pelée, 1801 - 1871)の手により、美しい細密グラヴュールとしたものです。

 カニヴェの表(おもて)面は細密グラヴュールによる聖画を金色の枠で囲み、外縁を植物文様の透かし細工としています。聖画には十字架に縋(すが)る聖マドレーヌ(マグダラのマリア)の上半身を大きく描きます。聖画の上部には、ビュラン(彫刻刀)による流麗な文字で、聖女の名前と祝日を示すフランス語の表題が、「サント・マドレーヌ ヴァン・エ・デュジエム、ジュイェ」(仏 Sainte Madeleine, 22 juillet 「聖マドレーヌ 七月二十二日」)と彫られています。





 キリスト教の伝統的図像表現において、聖母をはじめとする聖女たちはヴェールを被った姿で描かれます。しかしながらマドレーヌは例外で、この聖女のみヴェールを被らず、波打つ豊かな金髪を露わにした美しい女性として描かれます。

 この作品において、マドレーヌは主の御足を包むように抱き、自身の涙と救い主の血を、自らの髪で拭っています。その様子は、救い主が十字架に架かる前、マドレーヌが主の御足にナルドの香油と涙を注ぎ、髪で拭った出来事を思い起こさせます。

 マドレーヌは主の足を髪で包み込むようにして抱いています。聖なる物に触れるとき、あるいは神への捧げ物に触れるとき、人は素手で触れることをせず、ヴェールや手袋で手を被います。この聖画において、救いを得たマドレーヌは、娼婦の商売道具であった美しい髪をヴェールに変え、「マヌース・ウェーラータエ」(羅 MANUS VELATAE 被われた手)で主の御足に触れています。





 本品の聖画は金の枠内の九割近くを占める大きなサイズですが、手間を厭わず、ほとんどの部分をグラヴュール(仏 gravure エングレーヴィング)で描いています。すなわち聖女の髪は自然なうねりを表現するためにオー・フォルト(仏 eau forte エッチング)で描かれ、人肌(聖女の顔と手、及び救い主の足)の明部は、明るくするため、及びきめ細かな滑らかさを表現するために、線ではなくポワンティエ(仏 pointillé スティプル、点描法の点)で描かれています。しかしながらそれ以外の部分、すなわち聖女と救い主の衣、肌の暗部、十字架、背景は、すべてグラヴュールで制作されています。

 グラヴュールは鋼版を人力で彫刻するため、非常な労力と手間がかかります。またオー・フォルトに関しても、カニヴェは画面が小さいので、グラヴュールと同等の細密さが要求されます。上の写真に写っている定規のひと目盛は一ミリメートルです。グラヴュール及びオー・フォルトの線の密度は、明部で一ミリメートルあたり二本、暗部では四本ないし五本に達します。グラヴュール(エングレーヴィング)の明部は平行する破線、中間部は平行する実線、暗めの部分はクロスハッチ(菱形を作るように交差する平行線)で描き、明度をさらに落とす部分はクロスハッチの菱形内部に点を打っています。





 イエス・キリストの受難は四月頃のエルサレムで、正午頃から夕刻にかけて起こった出来事です。十字架上の救い主は出血と脱水、苦痛によって、午後三時ころに絶命し給いました。太い釘を打ち込まれた手足から、初めは大量の血が吹き出ていましたが、いまはもう新たに出る血がありません。イエスが亡くなったことがローマ総督に報告され、まもなく遺体を取り降ろす許可が下ります。日没を以て過ぎ越し祭が始まるので、その前に遺体を埋葬する必要があるからです。

 イエスが絶命し給うたいま、大勢の見物人は去り、ローマ兵による警備も緩んで、聖女たちは十字架のすぐそばに来ています。光が弱まっているのは、夕刻だからでもありますが、闇に輝く光(ヨハネ 1: 4, 5)として降誕し給うた救い主が殺され、地上がふたたび闇に包まれようとしているからでもあります。

 闇が迫る一方で、聖女の顔は微光に照らされています。マドレーヌは男の弟子たちが師を棄てて逃げ出した後も、最後までイエスの許(もと)にとどまりました。そしてイエスが復活し給うまでの間、男の弟子たちが身を隠していたのとは対照的に、主の遺体に香油を塗るため、墓を訪れました。マドレーヌの愛と信仰はやわらかな光として可視化し、嘆く聖女を優しく包んでいます。


 この聖画は十九世紀半ばの作品です。十九世紀半ばのフランス美術というと、印象派が生まれようとしている時代ですが、本品の聖画を描いたジャック=エミール・ラフォンはアカデミックな画壇に属する画家ですので、戸外における光の変化を印象派ほど重視してはいなかったでしょう。しかしながらこの聖画に描かれているのは、光が弱まった夕方の光景であり、室内にいる人物を照らすのと同様の弱い光が、聖マドレーヌを照らしています。画家と版画家の優れた技量は三次元の彫刻に迫るリアリティを聖画に与え、美貌に深い悲しみを湛えた生身のマドレーヌを、眼前に見るような錯覚さえも覚えさせます。





 聖画の下部中央に刻まれているのは、本品の版元となった版画工房テュルジにおけるこの聖画の図版番号(仏 planche 96 図版九十六)です。

 聖画の左下に「ウー・ラフォン、ピーンクシット」(E. LAFON PINXT)と書かれています。"PINXT" は "PINXIT" の略記です。"PINXIT"(ピーンクシット)は、「描く」という意味のラテン語の動詞 "PINGO"(ピンゴー)の変化形のひとつ(直説法能動相完了三人称単数形)で、「描いた」という意味です。すなわち「ウー・ラフォン、ピーンクシット」(E. LAFON PINXT)は「ウー・ラフォンが描いた」という意味です。

 聖画の右下には「ペレ、スクルプシット」(PELÉE SCULPT)と書かれています。"SCULPT" は "SCULPSIT" の略記です。"SCULPSIT"(スクルプシット)は、「彫る」という意味のラテン語の動詞 "SCULPO"(スクルポー)の変化形のひとつ(直説法能動相完了三人称単数形)で、「彫った」という意味です。すなわち「ペレ、スクルプシット」(PELÉE SCULPT)は「ペレが彫った」という意味です。

 ジャック=エミール・ラフォン(Jacques-Émile Lafon, 1817 - 1886)は肖像画及び宗教画の分野で活躍した高名な画家で、壁画も多く残しています。弱冠二十三、四歳であった1841年に、サロン展に出品した「聖母のコミュニオン」(La communion de la Vierge)と「水上を歩む聖ペトロ」(Saint Pierre marchant sur les eaux)は、金メダルを獲得しました。1859年にはパリのサン=シュルピス聖堂のフランシスコ・ザビエル礼拝堂を飾る壁画制作を委嘱され、この作品によってレジオン・ドヌール・シュヴァリエを授与されました。1867年、ガリバルディがローマ近郊メンタナで教皇軍に敗れましたが、翌1868年にラフォンが描いた「メンタナの戦い」(La Bataille de Mentana)はフランス・カトリック教会から教皇に献上され、教皇は訪仏の際にラフォンのアトリエを訪れて、画家に聖大グレゴリオ勲章とローマ伯の称号を授与しています。

 ラフォンはペリグー(Périgueux アキテーヌ=リムザン=ポワトゥ=シャラント地域圏ドルドーニュ県)の出身で、当地のサン=フロン聖堂には 1844年のサロン展で展示された作品「水上を歩み、沈みかけた聖ペトロを助けるイエス・キリスト」(Jésus Christ marchant sur les eaux et relevant saint Pierre qui vient au-devant de lui)、及び 1849年から 1851年にかけて描いた連作板絵「十字架の道行き」(Chemin de croix)があります。「十字架の道行き」は、1897年から 1898年、及び 1999年から 2002年の二度に亙り、修復が行われています。


 ピエール=アントワーヌ・ペレ(Pierre-Antoine Pelée, 1801 - 1871)はスイス北西部、フランスとの国境に近いタヴァン(Tavannes スイス共和国ベルン県)出身のグラヴール(仏 graveur 版画彫刻家)です。少年の頃より版画の模写に優れ、その才能を知った行政官の推薦を得て、1819年、ジュネーヴで版画制作の修行を始めました。次いでパリに移ったペレ青年は、ベリー公爵夫人の後援を得て、版画制作に専心できるようになりました。

 ペレの作品は、美術版画、カニヴェから、歴史書や文学作品の挿絵まで、多岐に亙ります。ペレは 1827年から 1852年までの期間、たびたびサロン展に出品しています。


 ラフォンとペレの名前の下には、ビュラン(彫刻刀)のグラヴュールにより、次の言葉がフランス語で刻まれています。

     Les Pieds de Jésus, quel asile pour une pécheresse ! et quelles larmes que celles dont Madeleine les inonde... c'est le sang de son âme déchirée qui s'échappe de ses yeux.    イエスの御足は、罪深き女にとりて、何たる避け所であろう。マドレーヌが御足に注いだ以上の涙があるだろうか。マドレーヌの涙は、聖女の魂の血が目から流れ出たものなのだ。


 最下部にはパリの版元テュルジの名前と所在地がビュランで刻まれています。

  Paris, L. Turgis, Éditeur, rue des Écoles, 80. --- Maison à New York  版元 L. テュルジ パリ、エコール通り八十番地 ニュー・ヨークに支店あり





 カニヴェの裏面には、範とすべき聖女の信仰に関して、説教と祈りがフランス語の活版で刷られています。原テキストと和訳を以下に示します。和訳は筆者(広川)によるもので、フランス語の意味を正確に移していますが、こなれた日本語となるように心がけたため、逐語訳にはなっていません。

       Beaucoup de péchés lui sont remis "parce qu'elle a beaucoup aimé."      この女の多くの罪は赦されている。それはこの女が多く愛したからである。
         
     Madeleine, la pénitente par excellence et notre modéle parfait, nous apprend qu'elle a puisé dans son amour pour Jésus ces vifs sentiments de repentir et de douleur que nous admirons en elle et que devons nous efforcer de ressentir.    マドレーヌこそは罪を悔いる者たちの筆頭であり、我らの完全な手本である。マドレーヌはイエスを愛し、その愛ゆえに、悔悛と苦しみを烈しく感じたのだ。われわれはマドレーヌの悔悛と苦しみを讃える。われわれもまた、マドレーヌと同じ悔悛と苦しみを感じなければならない。
     La première chose que fait Madeleine ausitôt que la grâce l'a touchée, c'est de chercher Jésus. Accompagnons-la dans cette démarche, bravons comme elle les regards du monde devant qui nous n'avons pas craint de faire le mal ; ayons le courage de nous jeter aux pieds de Jésus, de les arroser de nos larmes, et il nous fera certainement entendre cette consolante parole : Beaucoup de péchés vous sont remis.
   恩寵を受けたマドレーヌは、まず最初に、イエスを探し求める。我らも聖女の後に続こう。マドレーヌに倣い、世の人々の視線を恐れずに進もう。彼らの視線が災いをもたらすことなど無いのだ。勇気を出してイエスの御許(みもと)に身を投げ出し、我らの涙を御足に注ごう。「あなたの多くの罪は赦されている」という慰めに満ちた言葉を、我らは必ずや耳にするであろう。
     Une seconde condition pour obtenir le pardon, c'est l'humilité ; aussi voyons-nous Madeleine choisir la place la plus humble et se tenir toujours aux pieds du Sauveur, soit chez le pharisien, soit dans sa maison, soit enfin au pied de la croix.
   赦しを得るために必要なもうひとつの条件は、へりくだりである。マドレーヌを見てみよう。聖女はパリサイ人の家でも、自らの家においても、十字架の御許でも、最もへりくだった場所を選んで、常に救い主の足許にいる。
     Elle nous apprends encore à faire servir à notre pénitence ce qui avait été pour nous l'occasion du péché. C'est ainsi qu'après avoir arrosé de ses larmes les pieds de Jésus, elle les essuie avec ses cheveux, instruments de ses désordres.    さらに、マドレーヌに倣い、何らかの機会に罪を犯しても、我らはその出来事を悔悛に役立てよう。聖女はイエスの御足に涙を注いだ後、髪で拭ったのであったが、その髪は聖女が放縦な生活に役立てたものなのだ。
     Enfin c'est l'amour, l'amour le plus saint et le plus vif qui l'inspire et la dirige. Madeleine est heureuse de baiser les pieds de Jésus comme une dette d'amour qu'elle a hâte d'acquitter.    最後に、マドレーヌの心を奮い立たせ、聖女を導くのは、愛である。至聖にして最も烈しい愛である。愛という恩義に急いで報いる如くに、幸いなるマドレーヌはイエスの御足に接吻するのだ。
         
     Qu'à son exemple donc chacun de mes baisers donnés à votre croix, ô Jésus, soit aussi un acte d'amour et de repentir !    イエス様。マドレーヌに倣い、私は御身の十字架に接吻します。私が接吻するたび、それが愛と悔悛の業(わざ)となりますように。


 裏面最下部には図版番号(Planche 96 図版九十六)と、版元名(Paris -- L. TURGIS jeune, éditeur 版元 パリ、L. テュルジ・ジューヌ)が刷られています。


 下の写真は別料金による額装例です。この額は職人の手作りにより日本国内で制作した木製の一点物で、サイズは横 160ミリメートル、縦 205ミリメートル、厚さ 32ミリメートルです。壁掛け式金具と紐が付属していますが、額の外周は平坦で厚みがあるので、自立させて使うこともできます。額、別珍張りマット、工賃、税を含む額装料金は 14,800円ですが、カニヴェをお買い上げいただいた方には 8,800円でご提供します。









 本品は百五十年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク・カニヴェですが、劣化しない中性紙に刷られており、またおそらく祈祷書に挟まれたまま保管されていたと思われます。それゆえに保存状態は極めて良好で、それほどまでに古いものとは俄かに信じがたい美しさを保っています。特筆すべき問題は何もありません。

 版画の左下に原画を制作した画家の名前、右下に版を制作した版画家の名前を彫り込むのは、本格的な美術版画にのみ見られる特徴です。カニヴェは美術品というよりも信心具としての性格が強いので、画家と版画家の署名は無いのが普通です。しかしながら本品には両者の署名があって、この聖画が美術品の水準に到達してることを証しています。実際のところ、筆者は細密グラヴュールによる聖マドレーヌのカニヴェをこれまでに十点以上目にしていますが、本品は最高の出来栄えです。

 信心具のなかには、ときに「ボンデュズリ」(仏 la bondieuserie 神様趣味)とか「スティル・シュルピシアン」(仏 le style sulpicien サン=シュルピス教会風)などと蔑まれるキッチュ(独 kitsch 俗悪)な趣味の品物も多くあります。しかしながら本品は三つの要因、すなわち「画家ラフォンと版画家ペレの優れて高い芸術性」、「十九世紀半ばのフランスに高まった宗教的感情」、「十九世紀フランスに特有の表現形態である細密グラヴュールによるカニヴェ」が、歴史上ただ一度だけ、幸運な出会いを果たして生まれた美しい小品であり、人間精神の最良の部分と宗教美術の高みにおいて、小さくとも明るい星のように輝いています。





カニヴェのみの価格 25,800円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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