「彼らのごとく、我が生涯の終りまで信仰を保たせ給え」 日本二十六聖人 列聖記念カニヴェ (メゾン・バセ 図版番号不詳)

Les 26 Martyrs du Japon - sur leur croix ils glorifiaient le Seigneur et chantaient ses louanges, Maison Basset, Paris


116 x 75 mm

フランス  1862年



 細密グラヴュール(エングレーヴィング)とオー・フォルト(エッチング)による日本二十六聖人カニヴェ。日本二十六聖人は教皇ピウス9世 (Pius IX, 1792 - 1846 - 1878) により、1862年6月8日にローマで列聖されましたが、このカニヴェはその直後にパリで制作されたものです。

 徳川幕府は苛烈な禁教政策によってキリシタンを根絶し、キリスト教宣教を阻止するために、二百年以上に亙って鎖国を続けました。日本の鎖国は 1858年 (安政5年) の日米修好通商条約によって終わりましたが、日本の風俗に関する正確な知識は1862年のフランスにおいていまだ広まっておらず、本品においても日本人が清国人のような姿に描かれています。





 カニヴェ表(おもて)面は、細密グラヴュール及びオー・フォルトによって二十六聖人の殉教を描き、唐草文を中心にしたレース状の繊細な切り紙細工で周囲を囲んでいます。聖画の下の文字も活版で組んだ活字ではなく、グラヴュールで刻んでいます。

 聖画には25人のキリシタンたちを磔(はりつけ)にした十字架が立ち並び、前景では最後の一人が役人たちによって十字架に架けられようとしています。修道衣のように簡素な長衣を来たキリシタンたちは、殉教の栄冠を目前にして、喜びに溢れた表情を見せています。殉教者たちの頭上には、聖三位一体(すなわち、神)を象徴する三角形と重ねるように、鳩の姿の聖霊が描かれ、恩寵の光を殉教者たちに注いでいます。







 実際に行われた1597年12月19日のキリシタン処刑では、信徒たちは粗末な着物一枚の姿で十字架に固定され、一列に並んだ26本の十字架が一斉に刑場に立てられました。殉教の様子はイエズス会の報告書によってヨーロッパにも正確に伝わっていましたが、本品の聖画では様式化が進んだ描写となっています。

 ただし殉教を目前にしたキリシタンたちの表情が明るく描かれている点は、実際の殉教の様子に合致します。キリシタンたちが喜んで殉教していったという事実の前には、着衣や十字架の並び方、日本人の描写などはどうでもよい瑣事といえましょう。





 聖画の下には次の言葉がフランス語で刻まれています。

    LES 26 MARTYRS DU JAPON   日本の二十六人の殉教者たちは
    sur leur croix ils glorifiaient le Seigneur et chantaient ses louanges.   十字架上にて主の栄光を讃え、主を賛美して歌った。
         
     Faintes moi la gâce ô mon Dieu de confesser comme eux ma foi en l'Eglise catholique apostolique et romaine jusqu'à mon dernier soupir.    神よ。我に恩寵を賜いて、日本二十六聖人のごとく、公同にして使徒継承のローマ教会への信仰を、我が生涯の終わりに至るまで告白させ給え。


 聖画の下端右側には版元メゾン・バセ (Maison Basset) の名前が刻まれています。下端左端の「デポゼ、パリ」(Déposé Paris) は、この聖画がパリで意匠登録されているという意味です。





 版画技法について見れば、本品の聖画は上半分にグラヴュール(エングレーヴィング)、下半分にオー・フォルト(エッチング)を用いて製作されています。カニヴェは画面が小さく、至近距離で鑑賞される聖画であるために、カニヴェの版画はいずれの技法による場合でも非常に細密です。

 上の画像は実物を約 24倍の面積に拡大しています。実物の版画において、殉教者たちの顔は直径 1.5ミリメートルから 2.5ミリメートルほどの極小サイズですが、殉教の栄冠を前に神をほめたたえる宗教的歓喜と、従容(しょうよう)として死に赴く深い信仰心が、ひとりひとりの表情に表れています。





 上の画像は実物を数十倍の面積に拡大しています。殉教者26名のうち20名を占める日本人は優しい顔立ちで表情も穏やかですが、役人たち、刑吏たちは冷酷な薄笑いを浮かべ、如何にも悪人らしく描かれています。





 カニヴェの裏面には祈りの言葉がフランス語で書かれています。内容は次の通りです。

    LES 26 MARTYRS DU JAPON   日本二十六殉教者は
         
     CRUCIFIÉS À NANGASAKI, LE 5 FÉVRIER 1597, BÉATIFIÉS À ROME PAR URBAIN VIII, LE 14 SEPTEMBRE 1627, VIENNENT D'ÊTRE CANONISÉS PAR PIE IX, LE JOUR DE LA PENTECÔTE, 8 JUIN 1862.    1597年2月5日に長崎で殉教し、1627年9月14日、ウルバヌス8世によりローマにて列福されたが、このたび 1862年6月8日、聖霊降臨の祝日に、ピウス9世により聖人の列に加えられた。
         
     Voici les noms de ces vingt-six martyrs formant trois catégories.    ここに名前を挙げる二十六名の殉教者は、三つの類に分かれる。
         
    Primo, Dix-sept laïques japonais: Come Tachégia, Michel Cosaki, Paul Ybarki, Louis, 11 ans, Antoine, 13 ans, Thomas Cosaki, 14 ans, Gabriel, 19 ans, Mathias, Bonaventure, Joachim Saccakibara, François, Thomas Danki, Jean Kimvia, Paul Suzuki.    まず第一に、日本人平信徒が十七名。コスメたけや、ミゲル小崎、パウロ茨木、ルドビコ茨木(11歳)、アントニオ(13歳)、トマス小崎(14歳)、ガブリエル(19歳)、マチアス、ボナヴェントゥラ、ヨアキム榊原、医師フランシスコ、トマス・ダンキ(談義)、絹屋ジョアン、パウロ鈴木。
    Plus François Fahelenté, et Pierre Sukegiro, ces deux derniers n'avaient pas été compris dans les arrestations: ils supplièrent pour être exécutés comme les autres.   これに加えてフランシスコとペドロ助じ郎。このふたりは捕縛の際には罪人に含まれていなかったが、他の人々とともに処刑してくれるよう懇願したのである。
    Secundo, Six Franciscains: Pierre Baptiste, supérieur des Franciscain, 63 ans, Martin d'Aguire, François Blanco, Philippe de las Casas, Gonzalès de Garcia, François de Saint-Michel.    第二に、六名のフランシスコ会士。フランシスコ会上長ペドロ・バウチスタ(63歳)、マルチン・デ・アギッレ、フランシスコ・ブランコ、フェリペ・デ・ラス・カサス、ゴンザロ・ガルシア、フランシスコ・デ・サン・ミゲル。
    Tertio, Trois Jésuites: Jacques Kisaï, Paul Miki et Jean de Goto.    第三に、三名のイエズス会士。ディエゴ喜斎、パウロ三木、五島出身のジョアン。
         
     Par ordre de Taïco-Sama, leur supplice commença le 3 janvier 1597 à Méaco. On leur coupa d'abord une partie de l'oreille, puis on leur fit subir sur des chars la peine de la promenade infamante, ensuite on les mit sur des bêtes de somme pour les conduire à Nangasaki, une des cinq grandes villes impériales du Japon. Leur douceur, leur résignation, leur patience, leur humilité remplirent d'admiration tous qui se trouvaient sur leur passage.    1597年1月3日、京(みやこ)において、太閤様の命により、聖人たちの苦難が始まった。彼らは初めに耳の一部を切除され、牛車に乗せられて市中を引き回され、続いて荷駄で長崎に送られた。長崎は日本の五大直轄都市のひとつである。殉教者たちが柔和で、従順で、忍耐強く、謙虚であるのを見て、沿道の者たち皆が感嘆した。
    Vingt-six croix étaient préparées au lieu de leur supplice où ils arrivèrent le 5 février, ils allèrent avec empressement embrasser ces croix, ils y furent attachés immédiatement le visage tourné au midi, et à un signal donné les bourreaux leur enfonçèrent des lances dans le coeur, dans la poitrine.....    刑場には二十六本の十字架が用意された。殉教者たちは2月5日に刑場に到着し、十字架に駆け寄って抱き付いた。彼らはすぐさま南を向いて磔(はりつけ)にされた。合図によって刑吏どもは殉教者の心臓、胸を、槍で突き刺した…。
    Ils rendirent tous leur âme à Dieu en chantant ses louanges, en priant pour leurs pérsécuteurs; Philippe de Las Casas mourut le premier et Pierre Baptiste le dernier.   殉教者たちは讃美歌を歌い、自らを迫害する者たちのために祈りながら、神に魂を返した。最初に死んだのはフェリペ・デ・ラス・カサス、最後に死んだのはペドロ・バウチスタであった。
         
     O mon Dieu, par les mérites de Jésus Christ, faites-nous la grâce de confesser notre foi en l'Eglise catholique apostolique et romaine, même sur péril de notre vie.    神よ。イエズス・キリストの功徳によりて我らに恩寵を賜い、たとえ命を失うことがあろうとも、公同にして使徒継承のローマ教会への信仰を告白させ給え。
         
    Maison Basset,   メゾン・バセ
    33, rue de Seine, à Paris   パリ、セーヌ通り 33番地


 本品は百五十年以上前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にも関わらず、あたかもたったいま刷り上がったのような保存状態です。インタリオによるミニアチュール版画にも、エンボスを伴う周囲の切り紙細工にも、特筆すべき問題はありません。美術工芸品としての価値のみならず、安土桃山時代の東西文明交流史、十九世紀のフランス精神史、日本キリスト教史の実物史料としても貴重な品物です。







 上の写真は臙脂色のベルベット張りマットを使った額装例です。写真の額は縦横 170 x 125 ミリメートル、厚さ 22 ミリメートルの壁掛け式で、脚が付いていませんが、外周が平坦であるため、本棚等の奥行が浅い場所に直立させて展示することも可能です。写真撮影に際して反射を防ぐために、額は前面の透明アクリルを外しています。この額装料金は 4,500円で、額、ベルベット、マット、工賃、税をすべて含みます。





カニヴェの価格 18,900円 (額装別)

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。別料金にて額装も承ります。




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