信仰深いパリのカニヴェ 「わが守護天使よ。御身とともに、われ天に行かん」 (ブアス=ルベル 図版番号 1044) 113 x 72 mm 聖画・透かしとも美麗な作品 フランス 1860年

Mon bon ange, avec vous je veux aller au ciel, Bouasse-Lebel, 1862


カニヴェのサイズ 縦 113 x 横 72 mm

写真に写っている額のサイズ 縦 185 x 横 133 mm



 小刀(ナイフ)のことを、フランス語でカニフ(仏 canif)といいます。フランスの修道院では水彩画の周囲に透かし細工を施した小聖画が制作されていました。透かし細工には小さなカニフ(ナイフ)を使いましたので、この種の聖画はカニフに因んでカニヴェ(仏 canivet)と呼ばれます。

 1830年代にグラヴュール・シュル・アシエ(仏 gavure ur acier スティール・エングレーヴィング)が実用化されると、版画で制作した聖画を機械で裁断し、透かし細工のカニヴェとしたものが登場しました。版画のカニヴェはカニフを使いませんが、従来の透かし細工付き小聖画と同様にカニヴェと呼ばれます。機械裁断のカニヴェはダンテル・メカニーク(仏 dentelle mécanique)と呼ばれることもあります。





 本品は 1860年のパリで制作されたダンテル・メカニークで、広義のカニヴェに含まれます。本品を取り巻く透かし細工は植物モティーフによります。ダンテル・メカニークは長方形の聖画の縁が一定の幅で透かし細工になっている簡易な作例が多いですが、本品には人物像の背景全体を複雑かつ繊細な透かし細工とし、さらにエンボス(型押し)を施しています。本品カニヴェの表(おもて)面中央には、子供と共に歩む守護天使の姿を細密グラヴュールで描きます。子供が右手に持つ巡礼の杖は、これから歩む地上の人生が聖地への巡礼になぞらえられていることを示します。


 昔の巡礼者は長い旅の途上で窮乏し、たびたび危険な目に遭いました。それと全く同様に我々は長い人生の間にたびたび窮乏し、経済的危機、人間関係の危機、ときに生命の危険にも曝されます。旅と人生にはこのように大きな共通点があります。

 エクレシア(羅 ECCESIA 教会)という言葉は建築物のことではなく、キリスト教信者の共同体あるいは集合体を指します。しかるにこの共同体とは現在生きている人々のみの共同体ではありません。エクレシアには初代教会時代以来の全キリスト教徒が含まれます。それゆえ教会を構成する人々の大部分は既に亡くなって天国にいるわけであって、エクレシアのごく一部がいま生きている人により、可視的な教会として構成されています。この可視的な教会を、地上を旅する教会と呼んでいます。

 守護天使を主題とする小聖画やメダイでは、天使と幼い子供を取り合わせるのが定形的表現となっており。本品においても幼い子供が天使とともに歩んでいます。しかるに我々はみな、かつては子供でし、守護天使が守る人間に年齢制限はありません。これに加えてそもそも宗教は時間を超越した神の視点を有します。それゆえ天使とともに描かれる子供は、あらゆる年齢の大人をも含んで、地上に生きる人々、あるいは地上を旅する教会を象徴的に表しています。





 天使に手を引かれた子供、あるいは地上に生きる人は、導きの天使を見上げています。天使は微笑みを浮かべて子供を見守り、左手で天上を指さして、辛く苦しい旅の意味を教えようとしています。子供が天使とともに歩む様子は、「詩篇」91篇11節から13節を思い起こさせます。該当箇所をヴルガタ(ラテン語訳)と新共同訳で引用します。

    Angelis suis mandavit de te, ut custodiant te in omnibus viis tuis; in manibus portabunt te, ne unquam offendas ad lapidem pedem tuum. Super aspidem et basiliscum ambulabis, et conculcabis leonem et draconem.   主はあなたのために、御使いに命じて、あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。彼らはあなたをその手にのせて運び、足が石に当たらないように守る。あなたは獅子と毒蛇を踏みにじり、獅子の子と大蛇を踏んで行く。


 信心具に描かれる子供は男の子か女の子かはっきりとわかる場合もありますが、本品では敢えて中性的に描かれています。上述したように本品の子供はあらゆる年齢の男女を代表しますし、天使に導かれるのが魂であれば、魂には性別が無いでしょうから、中性的な人物描写は理に適っています。





 天使は性別を有しませんから、本品の守護天使も堂々とした体躯に柔和な顔立ちを取り合わせ、中性的な姿に描かれています。この天使は八弁の花を連ねた美しい後光を戴いています。

 本品の表(おもて)面は、聖画下部の文字を含めた全面をスティール(鋼)のインタリオ(intaglio 凹版)で制作しています。インタリオにはグラヴュール(ライン・エングレーヴィング)オー・フォルト(エッチング)ポワンティエ(スティプル・エングレーヴィング)の三種類があります。グラヴュールは金属板に人力で溝を刻む技法で、写真と見まがうほど緻密な表現が可能である一方、非常な労力がかかります。オー・フォルトは酸で金属板を腐食させて溝を刻む方法で、グラヴュールに比べて格段に楽に制作できますが、線が若干甘くなります。しかしながらカニヴェは画面が小さいので、オー・フォルトでも十分に精密な表現が可能です。ポワンティエは仕上がりが滑らかに見えるので肌の表現に多用されるほか、不鮮明な輪郭の表現にも使われます。

 本品は天使の衣と翼の陰翳部、及び聖画下部の文字がグラヴュールで制作されています。天使と子供の肌、及び天使の翼にある明るめの陰翳はスティプル・エングレーヴィングで表現されています。天使と子供の髪、及び子供の衣の陰翳部はオー・フォルトです。





 上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。天使の髪は一本ずつ描かれていますが、その密度は一ミリメートルあたり六本前後に及びます。天使の顔だけで数百個に及ぶスティプル(点描法の点)は、大きさと深さを完璧に制御しつつ整然と穿たれています。スティプルは翼の輪郭にも使われて、明確な輪郭を持たない羽毛の質感を巧みに表現しています。

 翼はライン・エングレーヴィングによって陰翳を表しています。明度を大きく落としたい部分は線を太くし、線の密度を大きくします。明度を僅かに落としたい部分では、クロスハッチ(二組の平行線が交差してできる菱形)の内部に点を打ちます。上の写真を見ると、一辺一ミリメートルに満たないクロスハッチの内部に、微小な点がひとつひとつ正確に打たれているのがお分かりいただけます。





 子供の目は白目と黒目が区別されているのはもちろんのこと、瞳孔と虹彩がはっきりと描き分けられ、虹彩と角膜に反射する光も再現されています。天使の腕はクロスハッチ内部に点が穿たれ、影の明度を微調整しています。

 聖画の下にはビュラン(彫刻刀)で刻んだ文字により、次の言葉が記されています。

     Bouasse-Lebel Imprimeur-Éditeur, 29, rue St. Sulpice, Paris    印刷・出版元 ブアス=ルベル  パリ、サン・シュルピス通二十九番地
     1044    図版番号 1044
         
     Mon Bon Ange, avec vous je veux aller au ciel.    わが守護天使よ。御身とともに、われ天に行かん。


 ブアス=ルベル社 (Bouasse-Lebel Éditeur et Imprimeur) は、「ブアス=ルベル」と名乗ったエングレーヴァー、アンリ=マリ・ブアス (Henri-Marie Bouasse, 1828 - 1912) が 1845年に創業したカトリックの版元で、数多くの美しいアンティーク小聖画によって知られます。図版番号 1044は本品が 1860年に制作されたことを示します。





 カニヴェの裏面には、信徒に対する勧告と守護天使への祈りが活版で刷られています。言語はフランス語で、内容は次の通りです。筆者(広川)の和訳は正確ですが、こなれた日本語を心がけたため、逐語訳ではありません。

     IL VEILLE SUR NOUS.    天使は我々を見守っている。
     Dieu, en nous mettant sur cette terre d'exil, nous a donné un Protecteur qui nous accompagne dans tous les instants de notre vie.
   我々をこの流刑地に置くにあたって、神は我々に一人の守り手を与え給うた。その守り手は人生のあらゆる瞬間に、我々とともに居てくれる。
     Comme une sentinelle attentive, il est là, épiant l'ennemi, déjouant ses complots, reversant ses projets. Quand vous désobéissez à la loi de Dieu,    警戒を怠らない衛兵のように、守り手はそこにいて敵を見張り、敵の策略を阻み、敵の計画を覆す。あなたが神の法に背くならば、
     Il EST LÀ, IL VOUS VOIT !    天使はそこにいて、あなたを見ている。
     iI est là dans vos voyages.    あなたが旅をしているときも、
     iI est là dans vos maladies.    病めるときも、
     iI est là pendant le travail.    仕事をしているときも、
     iI est là pendant le repos.    休んでいるときも、天使はそこにいる。
     iI est là à votre lit de mort pour calmer vos craintes....    あなたが死の床にあるとき、天使はそこにいてあなたの怖れを鎮めてくれる。
     Il sera là pour conduire à l'éternelle félicité !    天使はそこにいて、永遠の幸福へとあなたを導いてくれるのだ。
         
     À LUI TOUT VOTRE AMOUR.    全ての愛を込めて天使に祈ろう。
     Ange de Dieu, qui êtes mon gardien, je vous ai été confié par la bonté suprême ; pendant ce jour, éclairez-moi, conduisez-moi, gardez-moi, gouvernez-moi.    我が守り手なる神の御使いよ。神はこの上なき恵みを以て、私をあなたに委ね給いました。今日ひと日のあいだ、我を照らし、我を導き、我を守り、我を治め給え。
     (Indulgence de 100 jours.)   (百日間の免償) 
         
     1044   図版番号 1044 
     Bouasse-Lebel. 29, rue Saint Sulpice, Paris   ブアス=ルベル パリ、サン・シュルピス通二十九番地


 祈りの下部にはエチエンヌ(Étiennes)という名前と 1862年の年号が鉛筆で書き込まれています。先述したようにブアス=ルベルの図版番号 1044は 1860年に制作・印刷されたカニヴェですが、エチエンヌ少年はその二年後に本品を贈られたのでしょう。





 本品は百六十年以上前、我が国で言えば幕末期に当たる時代にパリで制作された繊細な紙細工ですが、祈祷書か何かに挟まれて保存されてきたらしく、それほどまでに古いものとは俄かに信じがたいほど綺麗な状態です。カニヴェの紙は良質の中性紙ですので酸性紙のような劣化は起こらず、今後も劣化することはありません。

 本品の聖画は古典的技法の版画で制作され、高倍率のルーペか顕微鏡で見なければ分からない高度なテクニックが駆使されて、写真と見紛う精緻な画面となっています。聖画を取り巻く植物文の透かし細工は幅広かつ非常に繊細ですが、一箇所の破損も無い完品です。現代のフランスは最も世俗的な社会のひとつですが、十九世紀のフランスでは農村部は言うに及ばず、パリやリヨン、マルセイユのような大都市の日常生活にも、カトリック信仰が深く浸透していました。1860年のパリで制作された本品は、永遠に失われてしまった信仰深いフランスの空気を現代に伝えています。





本体価格 22,800円 簡易な額装付

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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