ボワ・デュルシ
bois durci

 ボワ・デュルシによる大型メダイヨン 直径 114ミリメートル 当店の商品


 「ボワ・デュルシ」(仏 bois durci)は十九世紀半ばに発明された素材です。二十世紀のプラスティクスと同様に自由な成型が可能で、質感の点でもプラスティクスにたいへん似ていますが、合成樹脂ではありません。

 十九世紀後半のイギリスでは、黒いモーニング・ジュエリー(英 mourning jewellery 服喪用ジュエリー)をはじめとするセンティメンタル・ジュエリーが愛好され、その流行はやがてヨーロッパ大陸にも伝わりました。黒く着色したボワ・デュルシは、センティメンタル・ジュエリーの素材としても使われました。


【ボワ・デュルシの製造方法、及びボワ・デュルシ製品の例】

 「ボワ・デュルシ」(bois durci) とはフランス語で「硬化させた木」という意味で、フランソワ・シャルル・ルパージュ (François Charles Lepage) という人が 1856年にパリで特許を取得した素材です。ボワ・デュルシ製品の製作は、木の粉に蛋白質水溶液を加え、乾燥させた後に再び粉砕します。こうして得られた粉末を鋼鉄の型に入れ、水圧プレスで加圧しながら水蒸気で加熱すると固形化します。これを研磨すると艶やかな光沢が得られます。

 ボワ・デュルシの基材となる粉末は鉱物や金属を使用することもできましたが、実際には木の粉が多く使われ、多くの場合に黒色顔料で着色されました。蛋白質水溶液はゼラチンを水に溶いた物や卵白も使えますが、実際には屠殺場から得られる動物の血液が多く使われました。


 ボワ・デュルシ製品には、センティメンタル・ジュエリー以外にも、次のようなものがありました。

   装飾用プラケット ※ 横顔で肖像を浮き彫りにした作例が多い。
   写真立ての枠、鏡の枠
   アルバムの表紙
   各種文房具 ※ アンクリエ(仏 encrier インク壺立て)、ペン皿、ブロッター、ペーパー・ウェイトなど
   室内用の各種小物 ※ 気温計、気圧計、クロック、レター・ラック、卓上カレンダーなど
   小箱や小さな像
   女性用バックル、パースなど


(下) ボワ・デュルシ製センティメンタル・ジュエリー 「愛の薔薇を差し出す手」 44 x 19 mm 当店の販売済み商品





【ボワ・デュルシ産業の沿革】

 ボワ・デュルシに関する年表を、以下に示します。


   年号    できごと
       
   1855    ルパージュが他の二人とともに、フランス、ベルギー、イギリスにおいて、ボワ・デュルシの製造方法に関する十五年間の特許を申請する。
       
   1857    ルパージュら、先の特許に関して、追加明細書を提出する。ルパージュがパリ、ストックホルム通り四番地に「ラ・ソシエテ・デュ・ボワ・デュルシ」(a Société du Bois Durci ボワ・デュルシ協会)を、ソトヴィル=レ=ルーアン(Sotteville-les-Rouen ノルマンディー地域圏セーヌ=マリティーム県)に工場を、それぞれ設立する。
       
   1858    一月、アルフレッド・ラトリー(Alfred Latry)が「木をプラスティック素材で代用したブローチ」の特許を申請し、パリ、ヴィオレ通り三十九番地でボワ・デュルシ製品の製造を開始する。
       
   1859    二月、アルフレッド・ラトリーが、ルパージュたちのボワ・デュルシ製品の販売独占権を得る。これ以降、ボワ・デュルシ製品は、ラトリーの会社(A Latry & Cie. of 7 Rue du Grand-Chantier, Paris)のみが扱うことになる。
       
   1860    ラトリーが特許追加明細書を提出する。
       
   1861    ラトリーがさらに別の特許追加明細書を提出する。この年エリゼ宮で開かれた勧業博覧会(Exposition des arts industriels au palais de l’Industrie autorisée par Leurs Excellences le Ministre d’État, et le Ministre des Travaux Publics, de l’Agriculture et du Commerce)にて、ラトリーがメダイユを獲得する。
       
   1862    ラトリー、 さらに別の特許追加明細書を提出する。この年ロンドンで開かれた万国博覧会にて、ラトリーはメダイユ二枚と栄誉賞を獲得。この年、ボワ・デュルシ製品の三分の一が輸出される。
       
   1864    ラトリー、 内国勧業協会(la Société d'Encouragement pour l'Industrie Nationale)から金メダルを受ける。またバイヨンヌ(Bayonne ヌーヴェル=アキテーヌ地域圏ピレネー=アトランティック県)で開かれたフランス・スペイン国際博覧会(l'Exposition internationale franco-espagnole)にて、栄誉賞を受ける。
       
   1865    ボルドー博覧会(l'Exposition de Bordeaux)に出品。ポルト博覧会(l'Exposition Internationale de Porto)にも参加し、栄誉賞を受ける。
       
   1867    ラトリー、この年のパリ万国博覧会(l'Exposition Internationale de Paris)で審査員を務める。
       
   1868    ラトリーの下で働いたのちに退職したデュフール(Dufour)が、ボワ・デュルシ製品工場を設立する。ラトリーはデュフールを提訴して、勝訴する。この年、ラトリーはパリのジュエリー製造業者二社を意匠盗用で提訴するが、自社製品の意匠をあらかじめ登録していなかったために敗訴する。
       
   1870    ボワ・デュルシの特許が切れ、この後数年の間にいくつものメーカーが誕生して、ボワ・デュルシ製ビジュ・ド・ドゥイユ(仏 bijoux de deuil  モーニング・ジュエリー)が製造されるようになる。
       
   1874    ビジュ・ド・ドゥイユのメーカー、アンブローズ・アドリアン・シュヴァリエ(Ambroise Adrien Chevalier)が、パリに「ラ・マニュファクチュール・ド・ボワ・デュルシ」(仏 la Manufacture de Bois Durci ボワ・デュルシ制作社)を創業する。
       
   1876    デュフールが二つめの自社工場をパリに開設する。
       
   1878    ラトリー、パリ万博に出品。ルーヴェル(Louvel)、デュフール社を買収し、パリ万博に参加。
       
   1883    シュヴァリエ、「ラ・マニュファクチュール・ド・ボワ・デュルシ」をセザンヌ(Sézanne グラン・テスト地域圏マルヌ県)に移す。新工場の所在地は、シャロン通り十七番地(17, rue de Chalons, Sézanne)。
       
   1886    アンブローズ・アドリアン・シュヴァリエ死去。「ラ・マニュファクチュール・ド・ボワ・デュルシ」は未亡人が引き継ぐ。
       
   1887    シュヴァリエ未亡人のラ・マニュファクチュール・ド・ボワ・デュルシが、パリ、プレヴォスト社の営業権(fond de commerce)を獲得する。プレヴォスト社はルーヴェル社を買収した会社である。
 この年、シュヴァリエ未亡人がアドルフ・アルヌル(Adolphe Arnoult)と再婚。アドルフ・アルヌルがラ・マニュファクチュール・ド・ボワ・デュルシの経営者となる。
       
   1914    アドルフ・アルヌルの甥ルコルシュ(R. Lecorche)がラ・マニュファクチュール・ド・ボワ・デュルシの経営を引き継ぐ。
       
   1916    R. ルコルシュ、ソンムの戦いで行方不明者となる。
       
   1920    ラ・マニュファクチュール・ド・ボワ・デュルシの工場は、ピエール・エ・アンドレ・ユヌベル合名会社(la société en nom collectif Pierre et André Hunebelle)に売却される。
       
   1921    ピエール・ユヌベル,、弟アンドレに経営権を譲る。
       
   1926    ラ・マニュファクチュール・ド・ボワ・デュルシから同社のものとなった工場が火災に遭う。火災によって停止したボワ・デュルシの生産が、この後に再開することはなかった。
       
   1928    アンドレ・ユヌベル、焼失したボワ・デュルシ工場を売却し、ガラス業界に経営を転換する。


 上の年表からわかるように、十九世紀後半のボワ・デュルシは画期的素材として高い評価を受けました。しかしながらやがて様々なプラスティクスが開発され、ボワ・デュルシの重要性は薄れてゆきました。 ボワ・デュルシをいちばん後まで製造していたのは、セザンヌにあるアンドレ・ユヌベルの工場でしたが、1926年に工場が消失したときは、既にベークライトの時代になっていました。1926年の工場火災はボワ・デュルシの生産が完全に停止するきっかけになりましたが、この火災がもしも起こっていなくても、ボワ・デュルシは数年以内に作られなくなっていたことでしょう。



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