極希少品 赤・緑・紫のエモー・ブレサン 三つの下げ飾りが揺らめくアンティーク・ペンダント 43 x 28 mm たいへん珍しい完品 フランス 1870 -1890年代頃


上部の可動環を除くペンダント全体のサイズ 幅 28 x 高さ 43 mm  最大の厚さ 7 mm

重量 6.6 g

円形部分の直径 各 11 mm    下げ飾りのしずく型部分のサイズ 各 12 x 6 mm



 三つの下げ飾りが揺らめくエマイユ(七宝)のペンダント。フランス東部の都市ブルカンブレス(Bourg-en-Bresse オーヴェルニュ=ローヌ=アルプ地域圏アン県)で、およそ百五十年前に制作されたアンティーク品です。





 ブルカンブレスを含むアン県はスイス国境に近く、ラ・ブレス・サヴォヤルド(仏 la Bresse savoyarde サヴォワに属するブレス)と呼ばれる地方に属します。ブルカンブレスはラ・ブレス・サヴォヤルドの主邑で、エモー・ブレサン(仏 les émaux bressans ラ・ブレスのエマイユ細工)の産地として知られます。エモー・ブレサンはエマイユの胎(下地)となる金または銀板にギヨシャージュ(仏 guillochage ギョーシェ彫り)様(よう)のパターンを打ち出すこと、シャンルヴェやクロワゾネのような隔壁無しに多色を用いること、色鮮やかな作品が多いこと、金箔や色ガラスの小球、ときには枠にセットした宝石で手の込んだ装飾を施すことが特徴です。





 エモー・ブレサンはシャンルヴェでもクロワゾネでもなく、独特の技法によって制作されます。エマイユの下地となる金属はフランス語ではフォン(仏 fond 土台、底、裏などの意)ですが、我が国では胎(たい)と呼んでいます。エモー・ブレサンの胎は銀または金の小片で、分厚い金属板の上に置き、多くはクロワシヨン(仏 croisillons 番号記号、#)状のパターンが打ち出されます。クロワシヨン状のパターンはギヨシャージュ(仏 guillochage ギョーシェ彫り)のようにも見え、深みがある陰翳をエマイユに与えます。クロワシヨンにはガラスが金属に融着する面積を大きくしてエマイユの剥落を防ぐ役割もあり、この点でもギヨシャージュに似ています。本品の胎が有するパターンは一般的なクロワシヨンではなく植物の葉を模っており、エモー・ブレサンの中でもとりわけ美しい作例です。





 エマイユの元となるガラス粉末をフリット(仏 fritte)といいます。フリットは繰り返して洗浄されて不純物が除かれ、純水で溶かれます。フリットの主成分は珪素、酸化鉛、酸化ナトリウム、酸化カリウムで、これに各種金属の酸化物を加えることで意図する発色を得ます。エマイユは摂氏 860度で数度に亙って焼成されますが、まず最初に焼成されるのはコントレマイユ(仏 contre-émail)、すなわち胎を保護するために裏面に施されるエマイユです。表(おもて)面に関しては最初に単色のエマイユが施され、その上に他の色のエマイユ、金箔、色ガラスの小珠が付加されて、そのたびに焼成が重ねられます。




 金箔は厚さ二センチメートルの鉛板に大きな箔を載せ、十六通りから選んだ型をあてがって、ひとつひとつ木槌で打ち抜きます。金箔はピンセットを使ってトラガカントゴム(仏 gomme adragante マメ科植物から得られる粘稠液)で固定されますが、エマイユの最上層に置かれるとは限らず、下層や中層に置かれることもあります。焼きあがったエマイユは台座にセットされてジュエリーが完成します。

 エマイユの表面に色ガラスの小珠を付加するには、高度の熟練を要します。珠の大きさを揃えるのも難しいですが、最も困難なのは炉で加熱するときで、炉から引き出すのが数秒遅れると珠が融けて流れ、製品は使い物にならなくなります。

 これらの工程を経て無事に完成したエマイユはジュエリー職人に引き渡され、枠にしっかりとセットされて、輝くように美しいジュエリーが出来上がります。





 本品ペンダントは四つの円を横長の菱形に並べた上部と、三つの下げ飾りによる下部で構成されています。下げ飾りは倒立したしずく型で、自由に揺れ動くように作られています。

 フランスにおいて純度 800パーミル(800/1000、80パーセント)の銀を示す検質印は、イノシシの頭または蟹です。本品は上部に突出した環に蟹の検質印二個と銀細工工房のマーク一個が刻印されており、エマイユの枠が銀製であることがわかります。エマイユの胎もおそらく銀でしょう。胎にかぶせたガラスの色は、上部の円形エマイユがオレンジと緑、下部の下げ飾りは両側が紫、真中が緑です。上下合わせて七か所のエマイユは、いずれも金箔とガラスの小球で飾られています。金箔の形とガラスの小珠の配置はエマイユの色ごとに変えてあります。





 エモー・ブレサンは制作にたいへん手間がかかる工芸品で、それなりに高価ではありますが、宝石と貴金属のジョワヨ(仏 joyaux ファイン・ジュエリー)ほどではありません。それゆえ多くは農村に住んでいたラ・ブレス地方の人々にとって、エモー・ブレサンは人生の節目に欠かすことができないビジュ・レジオノ(仏 les bijoux regionaux 地域固有のジュエリー)となりました。初整体を受ける少女にはエモー・ブレサンのクロワ・ド・クゥ(十字架型ペンダント)が贈られました。意中の女性への贈り物にはエモー・ブレサンのコリエ・デスクラヴァージュ(仏 collier d'esclavage 「奴隷の首飾り」 首飾りの一種)が選ばれました。エモー・ブレサンの装身具は大切な財産として母から娘へと伝えられ、女性たちは人生の様々な機会にエモー・ブレサンのビジュ(仏 bijoux ジュエリー)を身に着けました。

 エモー・ブレサンは都会で豊かな生活を楽しむ人々にも人気があり、ヴィネグレット(仏 vinaigrette 人が轅を取る二輪の轎車)の装飾、オペラグラス、カルネ・ド・バル(仏 carnet de bal 舞踏会に携行する手帳)、シャトレーヌ(仏 châtelaine 女性が懐中時計等を提げる装飾的な鎖)、カフスボタンなどが制作されました。エモー・ブレサンによるこれらの品々は教養と趣味の良さ、裕福さ、女性の愛らしさの徴(しるし)でした。アンナ・パヴロワは世界を熱狂させたプリマ・ドンナであり、今日に至るまでおそらく最も有名なバレリーナですが、彼女がエモー・ブレサンの熱烈な愛好家であったことはよく知られています。





 本品のサイズは幅 28ミリメートル、高さ 43ミリメートル、厚さは 7ミリメートルです。上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。







 エモー・ブレサンの工房数は時期によって多少の変動がありますが、1870年代から 1880年代頃には五、六軒の工房が存在し、いずれも劣らず美しい作品を送り出しました。しかしながら十九世紀が過ぎ去るとエモー・ブレサンは急速に衰退して、一軒の工房が代替わりしつつ存続するだけになりました。およそ百五十年前の最盛期に制作されたエモー・ブレサンは市場に出ることも滅多に無くなって、いまではブルカンブレスのミュゼ(博物館)で見られるのみとなりました。

 本品はエモー・ブレサンの最盛期であった十九世紀後半に、ブルカンブレスの職人が手作業で制作した品物です。エモー・ブレサンはすべてが手作りであるために制作数が少なく、そもそも同じデザインのものが無い上に、十九世紀後半の最盛期を過ぎると一挙に作られなくなったため、どのようなデザインの作品も入手はほぼ不可能です。とりわけ本品は手の込んだデザインで時間をかけて作られており、同じ物が二度と手に入らないのは言うまでもなく、同等レベルの品物の入手も困難な逸品です。

 なおエモー・ブレサンはエマイユ部分がドーム状に盛り上がっているため、稀に見つかる古い品物もほとんど常に破損箇所があって、完品は極めて稀です。支払う金額の問題ではなく、品物自体が無いのです。本品は真正のアンティーク品であるにもかかわらず稀少な完品であり、実用上、美観上とも特筆すべき瑕疵(かし 欠点)は何もありません。下記の価格は良心的に付けています。お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。

 当店の商品は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(金利手数料無し)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。お気軽にご相談くださいませ。





本体価格 120,000円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




エモー・ブレサン ブルカンブレスのエマイユ細工によるジュエリー 商品種別表示インデックスに戻る

国や民族、地域に固有のジュエリー 一覧表示インデックスに戻る


サヴォワに固有のジュエリー 商品種別表示インデックスに移動する


フランスの各地域に固有のジュエリー 商品種別表示インデックスに移動する

フランス(全仏)に固有のジュエリー、及びフランスの各地域に固有のジュエリー 商品種別表示インデックスに移動する


国や民族、地域に固有のジュエリー 商品種別表示インデックスに移動する


宝石とジュエリー 商品種別表示インデックスに移動する



アンティーク アナスタシア ウェブサイトのトップページに移動する




Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS