パート・ド・ヴェール
pâte de verre




(上) フランスのロザリオに使用されているパート・ド・ヴェールのビーズ。直径 6 ~ 7ミリメートル。19世紀末から20世紀初頭。当店の商品


 「パート・ド・ヴェール」(la pâte de verre) とはフランス語で「ガラスのペースト」「練りガラス」という意味です。「パート・ド・ヴェール」はおそらく最も古いガラスの技法で、古代エジプト、フェニキアでは装身具や副葬品が作られていました。

 「パート・ド・ヴェール」は制作にたいへん手間がかかるために大量生産に向かず、また大型の製品を作ることもできません。このため吹きガラス等、他の製法に駆逐されて姿を消しましたが、19世紀末、考古学に関心の深かった象徴主義の彫刻家アンリ・クロ (Henry Cros, 1840 - 1907) によって息を吹き返しました。アンリ・クロのすぐ後で、ジョルジュ・デプレ (Georges Despret, 1862 - 1952)、フランソワ・デコルシュモン (François Décorchemont, 1880 - 1971) もそれぞれ独自にパート・ドー・ヴェールの再現に成功しました。


【パート・ド・ヴェールの制作法】

 パート・ド・ヴェールは吹きガラス等に比べて格段に手間がかかる技法であるゆえに、小さな作品でも高価です。工程の例を示します。

1. 耐火石膏で型を作る。

 型の制作方法は様々であるが、失蝋法(ロスト・ワックス法、シール・ペルデュ法)はよく使われる方法のひとつである。失蝋法で型を作る場合、型の下部には融けた蝋が流れ出るための孔を開ける。型の上部には 2. のガラス粉末を入れる漏斗状のくぼみと、ガラスが型に入る通り道を作る。

2. 粉末状のガラスに繋ぎ剤となるオイルを加えて、ある程度の可塑性を有するペースト状にする。

 ガラス粒子の細かさによって、パート・ド・ヴェール作品の透明度に違いが出る。また異なる色のガラス粉末を混ぜることも出来る。

 パート・ド・ヴェールを含むキルンワークでは、熱膨張率の等しいガラスのみを使用する必要がある。熱膨張率が異なるガラスを混入させると、完成後数か月経った作品でも割れる場合がある。これを避けるために、膨張係数を 90に揃えたブルズアイ(ブルザイ)社のシリーズや、膨張係数を 96に揃えたスペクトラム社とウロボロス社のシリーズ(システム96)が、現在ではよく使われている。

3. 2. のペーストを 1. の型上部に作った漏斗状のくぼみに入れ、これをキルン(kiln 焼成炉)に入れて加熱する。

 加熱により蝋が流れ出るとともに、ガラス粒子のペーストが型の内部に落ち込む。この状態で800℃から900℃付近まで加熱し、ガラスの粒子同士を融着させる。

4. ガラス粒子の融着後、炉内の温度を段階的に下げて行く。

 キルン内の温度を一挙に常温まで下げると作品に罅(ひび)が入るので、最初に550℃付近まで下げて、一時間以上この温度を保つ。これによってガラスの品質が安定する。その後キルンの火を落として常温まで徐々に温度を下げる。特に大きな作品の場合、温度を下げるプロセスに一週間以上かかることもある。キルンの扉を開くのが早すぎると、作品に罅が入る。

5. 型を壊して作品を取り出す。


【パート・ド・ヴェール作家】

 パート・ド・ヴェールの技法がアール・ヌーヴォー期に再発見されて以来、フランスを中心に各国の作家が独自の工夫を凝らした美しい作品を発表しています。19世紀末から20世紀中頃までの主要な作家を挙げます。


アンリ・クロ (Henry Cros, 1840 - 1907)



 1880年頃、パート・ド・ヴェールの再現に成功し、この技法を近代に復活させました。セーヴルの国立磁器工場 (la manufacture nationale de Sèvres) を活躍の場とし、主に古典古代をテーマにアール・ヌーヴォーの美しい作品を制作しました。


アルベール・ダムーズ (Albert Dammouse, 1848 - 1926)



 1863年から68年までパリの国立装飾美術学校 (L'Ecole nationale superieure des arts decoratifs, ENSAD)、1868年からはパリの国立高等美術学校 (L'Ecole nationale superieure des beaux-arts, ENSBA) で学び、1871年にセーヴルにアトリエを構えました。1897年からはパート・ド・ヴェールを手掛け、翌年のサロンに多数の作品を出展しています。上の写真は1910年に制作した金属脚付のカップ(直径 12,4 cm 高さ 5.2 cm)で、オルセー美術館に収蔵されています。


ジョルジュ・デプレ (Georges Despret, 1862 - 1952)



 技術者、研究者、企業家でもあったベルギー生まれのガラス作家。古代ローマのパート・ド・ヴェールを研究し、その製法を独自に再現しました。


ジャン=デジレ・ランジェル・ディルザック (Jean-Désiré Ringel d'Illzach, 1849 - 1916)



 パリの国立高等美術学校で学び、ブロンズ、パート・ド・ヴェール、炻器、テラコッタによるメダイヨンの制作で知られるようになりました。パリのアトリエでガラスとエマイユの研究に励み、宝石にも似た輝きを有するアマイユ・アグロメレ (émaux agglomérés) を制作しました。


アマルリック・ワルター (Amalric Walter, 1870 - 1959)



 セーヴルでファイアンスとパート・ド・ヴェールを制作し、1900年のパリ万博で注目を集めた後、1905年から 1915年まで、ドーム (Daum) でアール・ヌーヴォー様式による百個以上のパート・ド・ヴェール作品を制作しました。


フランソワ・デコルシュモン (François Décorchemont, 1880 - 1971)



 パリの国立装飾美術学校に学び、美しいパート・ド・ヴェール作品で高い評価を受けました。熱心なクリスチャンであり、宗教をテーマにした作品、とりわけ聖堂用の大型のステンドグラス作品を、半透明で光を通す「パート・ド・クリスタル」(la pâte de crystal) を使って制作しました。


ガブリエル・アルジ=ルソー (Gabriel Argy-Rousseau, 1885 - 1953)



 アンリ・クロと親交を結び、パート・ド・ヴェール、パート・ド・クリスタルによって、人間、動物、抽象的形象など多様な形の作品を制作しました。


フレデリック・カーダー (Frederick Carder, 1863 - 1963)

 イギリスで生まれたガラス作家。1903年にアメリカに渡り、同年、ガラス会社社長のトーマス・J・ホークス (Thomas J. Hawkes) とともにニューヨーク州コーニングにステューベン・ガラス社 (Steuben Glass Works) を設立しました。


小柴外一 (1901 - 1973)

 岩城硝子株式会社(現、AGCテクノグラス株式会社)の社員であった小柴氏は、フランスのパート・ド・ヴェール製品を手掛かりにして、わが国で初めてこの技法を習得し、1932年、同社においてパート・ド・ヴェールの制作を始めました。



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