オリーヴと剣
olive and sword




(上) Daniel Chester French, "America at War and America at Peace", 1877, The Old Post Office, St. Louis


 オリーヴは「平和」を、剣は「戦争、争い」を象徴しますが、このふたつは芸術作品や紋章においてときに同時に用いられることがあります。いくつかの例を挙げます。



・ダニエル・チェスター・フレンチ 「戦時のアメリカと平時のアメリカ」

 ワシントンD.C.、リンカーン記念館のリンカーン像で知られるダニエル・チェスター・フレンチ (Daniel Chester French, 1850 - 1930) は、ミズーリ州セント・ルイスの裁判所 (The U.S. Custom House and Post Office) に、「戦時のアメリカと平時のアメリカ」("America at War and America at Peace", 1877) を製作しています。このページの最上部にあるのがそれで、誰が見ても分かりやすく、美しい作品に仕上がっています。

 この作品は別名「平和と備え」("Peace and Vigilance") とも呼ばれます。ラテン語で「平和」を表す「パークス」(PAX) は女性名詞、「備え、警戒、注意」を表す「ウィギランティア」(VIGILANTIA) も女性名詞、「戦争」を表す「ベッルム」(BELLUM) は中性名詞です。これに対してフレンチの作品におけるふたりの人物はともに女性ですから、剣を持った女性は「戦争」よりもむしろ「備え」を表すとも考えられます。この例からも分かるように、剣と組み合わせたオリーヴは、「剣を備えたうえでの平和」、あるいは「剣によって得られる平和」を表します。



・ルイ=フィリップ・エベール 「エドワード7世記念碑」のうち、「平和」

 モントリオールにある「エドワード7世記念碑」は、ケベックの彫刻家ルイ=フィリップ・エベール (Louis-Philippe Hebert, 1850 - 1917) の作品です。下の写真は記念碑の台座の一部で、「平和」を表します。この彫像において、平和の擬人化である女性像はオリーヴの枝を高々と掲げていますが、剣を衣に隠しています。

 この記念碑が建てられたのは、第一次世界大戦が始まった1914年のことです。平和は代償なしに得ることができません。ここで希求され表現されているのは、武力に裏付けられた平和であることがわかります。


(下) Louis-Philippe Hebert, "Le Monument a Edouard VII" (details), 1914, Phillips Square, Montreal





 下に示したテンペラ画は、ロレンツォ・イル・マニフィコ(ロレンツォ・デ・メディチ Lorenzo de' Medici, 1449 - 1492)が従弟のロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコ・デ・メディチ (Lorenzo di Pierofrancesco de 'Medici, 1463 - 1503) の結婚祝いとしてボッティチェリに描かせたものです。この作品において、女神はメディチ家の象徴(三つあるいは四つの指輪を組み合わせたもの)が付いた衣を着て盾を背負い、右腕を伸ばしてケンタウロスの髪を掴んで服従させています。女神はまたオリーヴを身に纏(まと)い、左手にハルバード(鉾槍)を持っています。


(下) Sandro Botticelli, Pallade e il Centauro, c. 1482/83, tempera su tela, 207 x 148 cm, Galleria degli Uffizi, Firenze




 この作品の寓意について、素行に問題があった従弟ピエロフランチェスコの結婚祝いにイル・マニフィコが贈ったものであり、本能的欲望を象徴するケンタウロスが、知恵の化身である女性に服従する姿を描いて、結婚する従弟への教訓としたと考えるのがひとつの説です。通常知られている「パラス=アテナとケンタウロス」("Pallade e il Centauro") という作品名は、この解釈に基づきます。(註1)


 いっぽうプリンストン大学の美術史教授アーサー・フロシンガム (Arthur Lincoln Frothingham, Jr., Ph. D, 1859 - 1923) が唱える有力な異説によれば、メディチ家を象徴する衣を身に着けたこの女神はアテナ(ミネルヴァ)ではなく、フロレンティア (Florentia)、すなわちフィレンツェを表しています。

 最古の殉教者列伝として知られるフィロカルス (Furius Dionysius Philocalus) の「354年の年代記」("Furii Dionysii Philocali calendarium antiquum sub annum CCCLIV scriptum") は、七惑星の絵や黄道十二宮に関する記事、ローマ市の簡易な年代記など多彩な内容を含みますが、この書物の第二部にローマ、アレクサンドリア、コンスタンティノポリス、トレベリス(TREBERIS 現在のトリーア Trier)を擬人化した絵があります。このうちトレベリスのイラストでは、盾を背負ったアマゾネスの姿で表されたローマ帝国の辺境都市トレベリスが、ゲルマン民族の未開性を象徴する蛮族の男の髪を右手で掴み、馴致しています。抵抗を諦めて盾、弓、箙(えびら)を投げ出した男すなわちゲルマン民族の上には、ローマ帝国の善政がもたらす文明の恵みが降り注いでいます。




 「354年の年代記」中のこのイラストとボッティチェリのテンペラ画を比べると、顕著な類似性に気付きます。ルネサンス期のフィレンツェではイル・マニフィコのサークルを中心に、古代の文献が熱心に研究されていました。ボッティチェリ自身は古典学者ではありませんが、パトロンであったイル・マニフィコを通じてギリシア・ローマの文献に接しており、カロリング朝以来よく知られた文献である「354年の年代記」にも、当然馴染んでいたはずです。

 フロシンガムは「354年の年代記」に描かれた上のイラストに基づいてボッティチェリのテンペラ画を解釈し、女神はアテナではなくフロレンティア(フィレンツェ)であり、ケンタウロスはメディチ家の善政によって支配されるフィレンツェ市民であると主張しました。これはたいへん説得力のある学説です。フロシンガムが正しいとすれば、ボッティチェリのテンペラ画における剣(武器)とオリーヴの組み合わせは、強力な支配がもたらす平和を表していることになります。



 最後に採り上げるのはスペインの異端審問所の紋章です。紋章の中央には十字架、十字架の右(向かって左)にはオリーヴ、十字架の左(向かって右)には剣があり、この三つの図像を次のラテン語の聖句が取り囲んでいます。

EXURGE DOMINE ET JUDICA CAUSAM TUAM. PSALM. 73   神よ、立ち上がり、御自分のために争ってください。(詩篇74篇22節の前半 新共同訳)(註3)






 グレゴリウス改革に続く時代、西ヨーロッパには「使徒的生活」を送ろうとする人々、すなわち福音宣教に励もうとする人々が数多く現れました。教会はこれらの集団を教会内部に留まらせ、あるいは帰一させることを試みました。聖フランチェスコの小さき兄弟会のように、カトリック教会の内に留まった集団には修道会の認可が与えられましたが、カタリ派やワルド派のように教会に戻る意思を示さない集団には、これを根絶すべく、仮借のない迫害が加えられました。

 異端審問所の紋章は、使徒的集団に対する教会の姿勢を表すものです。オリーヴが象徴するのは、教会のうちに留まり、あるいは教会に戻る者に対する「寛容」と「平和」です。剣が象徴するのは、教会への帰一を拒む者との「戦い」です。



註1 知恵の女神アテナ(ミネルヴァ)はまた戦いの女神でもあるので、ルネサンス期において重要な武器であったハルバードを手にしているのは自然な表現です。またオリーヴもこの女神を象徴するもののひとつです。
 アテナイの建国神話によると、当時アッティカと呼ばれていたアテナイの王ケクロプスは、ポセイドンとアテナから、いずれかを守護神とするように求められました。ケクロプスが、人間に役立つ物を与えてくれる神を選ぶと答えたところ、ポセイドンは海水の湧く泉を、アテナはオリーヴを贈りました。アッティカの人々はオリーヴを選び、こうしてアテナがアッティカすなわちアテナイの守護神になったと伝えられています。

註2 A. L. Frothingham, "The Real Title of Botticelli's 'Pallas'" in "American Journal of Archaeology, 12.4 (October 1908), pp. 438 - 444

註3 詩篇の章節分けに関して、宗教改革以前のキリスト教会及びカトリック教会は七十人訳に、プロテスタント教会はマソラ本文に従っています。新共同訳はプロテスタント教会と同様にマソラ本文に従っています。



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