イポリト・ジュール・ルフェーヴル
Hippolyte Jules Lefèbvre, 1863 - 1935



 イポリト・ジュール・ルフェーヴル 1900年頃に撮影された写真


 イポリト・ジュール・ルフェーヴルは存命中から高く評価されたフランスの彫刻家で、モンマルトルのサクレ=クールのバシリカにあるジャンヌ・ダルクルイ9世の騎馬像をはじめとする大型の彫刻群、及び数々の美しいメダイユによって知られています。


【イポリト・ジュール・ルフェーヴルの生涯】

 イポリト・ジュール・ルフェーヴル (Hippolyte Jules Lefèbvre, 1863 - 1935) は、1863年2月4日、リール(Lille ノール=パ・ド・カレー地域圏ノール県)に生まれました。リールはフランスの北東端に近く、ベルギーとの国境に接する都市で、当時は工業都市として繁栄しており、イポリトが生まれたのも労働者階級の家庭でした。

 イポリト少年は地元のリール美術学校 (l'École des beaux-arts de Lille) に入学し、夜間の彫刻コースでも学びました。地元で多数の賞を獲得したイポリトは、1883年にリール市から奨学金を受けてパリの国立高等美術学校 (L'École nationale supérieure des Beaux-Arts de Paris, ENSBA) に進みます。同校ではピエール=ジュール・カヴリエ (Pierre-Jules Cavelier, 1814 - 1894 註1) に師事したほか、ルイ=エルネスト・バリアス (Louis-Ernest Barrias, 1841 - 1905 註2)、ジュール=フェリクス・クータン (Jules-Félix Coutan, 1848 - 1939 註3) からも指導を受けました。

 サロン展 (Le Salon des artistes français) には1887年以降、定期的に出品し、1888年と 1891年にローマ賞彫刻部門で二等を取った後、1892年にプルミエ・グラン・プリを獲得しました。ローマからパリに送った作品は、1893年サロン展で選外優良賞 (mention honorable)、1896年サロン展で二等メダルを受けています。

 ローマからパリに帰ったルフェーヴルは、1898年サロン展で一等メダル、1900年パリ万国博覧会で金メダルを受賞し、1902年、サロン展に出品した群像彫刻「盲目の子供たち」("Jeune Aveugles") によって、サロン展における最高賞「メダイユ・ドヌール」(médaille d'honneur) を獲得します。「盲目の子供たち」は国家に買い上げられ、リュクサンブール宮に置かれました。この年、ルフェーヴルはまだ30歳代の若さでレジオン・ドヌール章シュヴァリエを受けています。

 ルフェーヴルはアカデミックな教育を受けた正統派の彫刻家ですが、斬新な面も持っていました。彫刻の作風がオーソドックスである一方で、まるで抽象画のようなデッサンを描いたのです。彫刻自体にも革新性がありました。アカデミックな作風の彫刻家であれば、ふつうは古代風の衣装を着けた作品を作りますが、ルフェーヴルは自分と同時代の服装を身に着けた彫刻作品を数多く発表しました。1906年の「イヴェール」("Hiver" 「冬」)、1909年の「プランタン」("Printemps" 「春」)はそのような作品の例で、サロン展でも他の批評家からも高く評価されました。

 また留学前のルフェーヴルは専ら丸彫り彫刻に関心を向けていましたが、ローマから帰った後はメダイユ彫刻にも真剣に取り組むようになります。イポリト・ジュール・ルフェーヴルのメダイユ作品はどれも美しく、駄作がありません。上記の「イヴェール」「プランタン」も、もとは丸彫り彫刻ですが、イポリト・ジュール・ルフェーヴル自身の手によって、立体感を損なわない見事なメダイユになっています。

 イポリト・ジュール・ルフェーヴルは、1920年にフランス学士院アカデミー・デ・ボザール(L' Académie des beaux-arts 美術アカデミー)の会員に選ばれ、1925年にはレジオン・ドヌール章オフィシエを受けました。出身地リールには、彫刻家の名を冠した「イポリト・ルフェーヴル通り」(Rue Hippolyte Lefebvre) があります。




註1 ピエール=ジュール・カヴリエ (Pierre-Jules Cavelier, 1814 - 1894) はダヴィッド・ダンジェ (Pierre-Jean David d'Angers, 1788 - 1856) の弟子で、1842年にローマ賞彫刻部門プルミエ・グラン・プリを獲得しています。1864年にパリ国立高等美術学校の教授に就任し、多数の弟子を育てました。イポリト・ジュール・ルフェーヴルは最も有名になった弟子の一人です。

註2 ルイ=エルネスト・バリアス (Louis-Ernest Barrias, 1841 - 1905) はピエール=ジュール・カヴリエの弟子で、1865年のローマ賞彫刻部門プルミエ・グラン・プリ受賞者です。パリ・オペラ座の装飾をはじめとする数々の優れた大理石彫刻で知られています。1894年、バリアスはカヴリエの後任として、パリ国立高等美術学校の教授に就任しています。

註3 ジュール=フェリクス・クータン (Jules-Félix Coutan, 1848 - 1939) もピエール=ジュール・カヴリエの弟子で、1872年のローマ賞彫刻部門プルミエ・グラン・プリ受賞者です。クータンは 1900年にパリ国立高等美術学校の教授に就任しています。



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