稀少品 イポリト=ジュール・ルフェーヴル作 「フランスの支配権をキリストに捧げる悔悛のガリア」 モンマルトルのサクレ=クールのバシリカ 祝別記念メダイユ 1919年10月16日


直径 32.3 mm  最大の厚さ 2.7 mm  重量 16.5 g

フランス  1919年



 パリ、モンマルトルに立つバジリク・デュ・サクレ=クール(la basilique du Sacré-Cœur 聖心のバシリカ)は、1875年に建設が始まり、1919年10月16日、聖マルグリット=マリの祝日に祝別式が行われました。本品はこのバシリカの祝別を記念する作品で、フランスのメダイユ彫刻家イポリト=ジュール・ルフェーヴル(Hippolyte-Jules Lefèbvre, 1863 - 1935)による名作です。





 一方の面には、イエス・キリストを中心に、聖母マリア、ガリア、ジャンヌ・ダルク、大天使ミカエルの群像が浮き彫りで表され、絵画的彫刻と形容される浮き彫りの特性を最も良く活かした作例となっています。

 群像の中央に立つイエスの胸では、サクレ=クール、すなわち聖心が、あまりにも強い愛ゆえに炎を噴き上げ、強烈な光輝を放って輝いています。イエスは掌を前に向けて両腕を広げ、すべてを受け容れる神の愛を以て罪びとを招いています。イエスの表情はあくまでも柔和ですが、堕落したエルサレムを嘆いた悲しみの名残が、放蕩娘ガリアの回心を喜ぶ気持ちの陰に垣間見えるようにも感じられます。





 イエスの右(向かって左)には聖母が立っています。聖母の胸にも汚れなき御心が表され、神とイエスへの愛の炎を噴き上げています。聖母の汚れなき御心は、ロザリオ、すなわち愛を象徴する薔薇の花環に取り巻かれています。しかしながらひとりの人間に過ぎないマリアの愛の強さは、茨に取り巻かれてもなお愛の炎を噴き上げるイエスの愛の、人知を絶する強さと比べるべくもなく、この作品においては光の発出を伴わずに表されています。

 祈りを表すヴェールを被った聖母は、イエスに向かって跪(ひざまず)く女の肩に手を添えて、女をイエスに執り成しています。跪くこの女は、ガリア、すなわちフランスを表しています。質素な衣を着て跪くガリアの姿は強い悔悛を表しており、マグダラのマリアを連想させます。ガリアは長く美しい髪をしていますが、頭部の髪の流れはジャンヌのように細かく表現されておらず、灰を被っているようにも見えます。

 ガリアはイエスに王冠を差し出しています。頂部にフルール・ド・リス(百合文)をあしらう王冠は、フランスの支配権を象徴します。すなわち前非を悔いて悔恨の情に打ちひしがれるガリアは、イエスの前に跪き、今後は全身全霊を聖心に捧げることを誓っています。





 イエスの左側(向かって右側)には、大天使ミカエルとジャンヌ・ダルクの姿が見えます。天の全軍の将であるミカエルは、堂々たる体躯を屈めてイエスの前に跪いています。ミカエルは右手にオリフラム(戦旗)を持っています。

 ジャンヌ・ダルクもミカエルと同様に甲冑を身に着けています。ジャンヌは「フランスを救え」という神のお告げを、ミカエルを介して受け取りました。ジャンヌの肩に手を添えたミカエルの姿勢は、二人の特別な関係を表しています。このメダイユの作者イポリト=ジュール・ルフェーヴルは、「イエズス、マリア」の旗を高く掲げたジャンヌの騎馬像を、バジリク・デュ・サクレ=クールの前に制作しています。しかしながら本品のジャンヌは、同一の彫刻家による勇ましい騎馬姿をは打って変わって、兜を被らずに敬虔な面持ちでイエスを見上げ、胸の前に両手を合わせて跪いています。

 なおジャンヌ・ダルクは1909年4月18日、教皇ピウス十世により、パリ司教座聖堂ノートル=ダム(ノートル=ダム・ド・パリ)で列福され、十一年後の1920年5月30日、教皇ベネディクトゥス十五世により、ヴァティカンのサン=ピエトロ聖堂で列聖されました。このメダイユが制作された 1919年の時点ではジャンヌは列聖前ですので、頭部に後光が表されていません。





 メダイユの向かって右寄りの背景部分には、モンマルトルのバジリク・デュ・サクレ=クールが遠景に見えています。最下部には彫刻家のサイン (HIPPOLYTE LEFEBVRE) が刻まれています。群像を囲むように、次の言葉がラテン語で記されています。

  SACRATISSIMO CORDI JESU GALLIA POENITENS ET DEVOTA  イエズスの至聖なるみこころに、ガリアは罪を悔いて自らを捧げ奉る


 この群像の中心にいるのはイエスですが、意味内容の上で中心となるのは「罪を悔いて自らを捧げるガリア」(GALLIA POENITENS ET DEVOTA) です。

 聖母訪問会 の修道女である聖マルグリット=マリ (Ste. Marguerite-Marie Alacoque, 1647 - 1690) は、1689年、当時のフランス国王ルイ十四世へのメッセージを含む啓示をキリストから受け取りました。キリストはルイ十四世を「わが聖心の長子」(le fils aîné de mon sacré Cœur) と呼び、受難の際に受けた不正への償いとして、次のことを求めました。

・国王が自らを聖心に奉献し、その範によって宮廷および諸国の権力者をも聖心の信心へと導くこと。

・聖心に捧げた礼拝堂を、ヴェルサイユ宮に設けること。

・ルイ十四世自らがローマの聖座(教皇)に働きかけて、聖心に捧げたミサを定めさせること。


(下) 「ル・ロワ=ソレイユ(le Roi-Soleil フランス語で「太陽王」の意)として知られるルイ十四世は、当時のヨーロッパで最強の絶対君主であり、「レタ、セ・モワ」("L'État, c'est moi." フランス語で「朕は国家なり」の意)という言葉が伝えられています。

 Hyacinthe Rigaud, "Louis XIV", 1701, huile sur toile, 277 × 194 cm, musée Bernard d'Agesci, Niort


 マルグリット=マリはこの啓示を手紙に記して王国に送りましたが、国王からの反応はありませんでした。聖女の手紙がいずれかの段階で止められたか、あるいは国王が手紙を読んでも内容を実行しなかったのです。聖女に対するこの時の啓示が明らかになったのは、十九世紀半ばにマルグリット=マリが列福されて三年後、聖女が修道院長に宛てた手紙のひとつ(第98書簡)が1867年8月に公開されたときのことです。

 十九世紀後半のフランス人たちは、普仏戦争の敗北、コミューンの内乱など、フランスを襲った数々の不幸を、ノアの洪水に比して考えました。ルイ十四世とフランス人の心が頑なになり、キリストの啓示に聴き従わなかった結果、それらの災厄が起こったと思われたのです。キリストはマルグリット=マリを通してフランスに啓示を与えたのに、それ以来百年経ってもフランスは回心せず、それどころかフランス革命を起こして、ますます悪くなりました。聖女に啓示が為されたちょうど百年後、1789年の聖心の祝日(6月17日)に第三身分が国民議会を結成し、反キリスト教的、反教会的なフランス革命が本格化したことは、保守的な人々の目から見れば、フランスが神に反逆した象徴的な出来事と映りました。




(上) キリストに身を投げかける悔悛のガリア。背景は 1914年9月4日のドイツ軍による空襲で炎上するランス司教座聖堂ノートル=ダム。ノートル=ダム・ド・ランスは歴代のフランス国王が戴冠した司教座聖堂です。手前にジャンヌ・ダルクの騎馬像が見えます。当店の商品。


 十九世紀後半のフランスでは、こうして宗教的回心の必要が叫ばれるようになり、「悔悛のガリア」(GALLIA POENITENS ET DEVOTA 罪を悔いて自らをキリストの聖心に捧げるガリア)の運動が、国民的規模で起こりました。聖心に捧げた「サクレ=クール教会」がモンマルトルに建てられたのは、この運動が結実したものに他なりません。





 本品のもう一方の面には、十字架上で茨に取り巻かれつつ、愛の炎を噴き上げて輝く聖心の両側に、天使の奏楽隊が浮き彫りにされています。ガリアの悔い改めを喜んで高らかに音楽を奏でる天使たちの姿は、「九十九匹の羊」のたとえ話、及び「放蕩息子」のたとえ話を記録した「ルカによる福音書」十五章を思い起こさせます。「ルカによる福音書」 十五章七7節には次のように書かれています。

  言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある。(新共同訳)


 十字架上の聖心と天使たちを囲んで、次の言葉がフランス語で記されています。

  Consécration de la Basilique Nationale du Sacré-Cœur  フランス国民の聖心のバシリカ祝別記念





 「ラ・バジリク・ナシオナル」(la Basilique Nationale 「フランス国民のバシリカ」の意)という表現に、当時盛んに語られた「ル・ヴ・ナシオナル」(le Vœu National フランス語で「国民の誓い」の意)、すなわちフランスを聖心に奉献することを誓う国民の決心が籠められています。

 「モンマルトル」(Montmartre)、「1919年10月16日」(16 octobre 1919)の文字が、十字架の基部付近に刻まれています。10月16日はルイ十四世に手紙を送った聖マルグリット=マリの祝日であり、モンマルトルのラ・バジリク・デュ・サクレ=クールがこの日に祝別されたことは、1689年に聖女に与えられたキリストの命(めい)に、遅ればせながら従おうとするフランスの信仰を象徴しています。





 上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。

 本品はいまから百年前の 1919年にフランスで鋳造された真正のアンティーク・メダイユですが、古い年代に関わらず、保存状態はきわめて良好です。突出部分の金めっきが失われていますが、めだいそのものは突出部分においても磨滅しておらず、その他の部分にも特筆すべき問題はありません。ブロンズと金が混じり合った温かみのある色合いは本品が辿った百年の歳月が可視化したものであり、アンティーク品ならではの魅力です。





本体価格 19,500円 販売終了 SOLD

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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