アンティーク品の保存状態と価値について ― 古美術品の歴史性を重視する立場からの考察
essai sur l'état de conservation et la valeur des objets anciens d'art - sous l'aspect de l'historicité





(上) Henri Michel Sauvage, "Veritas Consilii Burgofonte Initi ex ipsa hujus executione demonstrata", Augustae Vindelicorum (Augsburg) et Friburgi Brisg. (Freiburg i.Br.), sumptibus Fratrum Ignatii & Antonii Wagner, MDCC LXIV (Willaert No. 11092. De Backer-Sommervogel VII, 673 No. 1 and 949 No. 3) 当店の商品です。


 アンティーク品には破損や欠損、摩滅、変色や褪色、名前や日付の記入や刻印等、古い品物特有の特徴があります。アンティーク品を個別化するこのような特徴は、意匠の考案者や作り手が意図したものではないゆえに、品物が完成した当初に有していた価値を減ずる瑕疵(欠点)と考えられがちです。

 しかしながらアンティーク品の持つ歴史性に重点を置いて考えるならば、古さゆえの摩滅や変色は美術品がたどってきた年月の刻印であり、歴史と不可分な存在である古美術品にとって、本質的属性であるといえます。一見したところ欠点とも見えるこれらの属性こそ、個々のアンティーク品を一点限りのアンティーク品たらしめている本性的魅力です。





 美術作品に対してはしばしば大がかりな「復元作業」が行われます。美術品の復元は、長い歳月を経て制作当初とは異なる状態に立ち至った美術品を、洗浄や補綴、補色等により、制作当初の外見に戻そうとする意図に基づきます。近年ではミケランジェロによるシスティナ礼拝堂の壁画と天井画が洗浄され、描かれた当時の色彩がよみがえりました。またラファエロの「鶸の聖母」も洗浄され、鮮やかな色彩がよみがえりました。

 このような復元は、一般大衆の目から見れば、素晴らしい文化財保護活動であるように思えます。しかしながら古美術の専門家である美術史家や歴史家からは、しばしば異論が聞かれます。広い視野を持つ美術史家からは、「美術品が歴史的存在である以上、汚れたり、色褪せたり、摩滅したりするのはごく自然なことである。そればかりか、汚れや褪色、破損等の変化は、美術品がたどった歴史と不可分な要素であるゆえに、歴史的存在として見た美術品そのものと不可分な属性である。したがって美術品の来歴を無視し、単に制作時の状態に戻せばよいと考えて復元するのは、美術品の歴史性を無視した暴挙である」という主張が聞かれます。




(上) サモトラケのニケ ルーヴル美術館蔵


 これが全く正当な意見であることは、たとえばミロのヴィーナスに失った両腕を復元して取り付け、原色による元の彩色を新たに施した場合を想像すれば、よくわかります。サモトラケのニケに頭部と両腕を付けて色を塗った場合や、東大寺大仏を再めっきした場合を想像しても構いません。このような原状回復あるいは復元に我々は強い違和感を感じますが、それは美術品の歴史性、すなわち美術品はこれまでの歳月と来歴を身にまとった歴史的存在であるということを、我々が無意識のうちに承認しているからです。(註1)

 ミロのヴィーナスやサモトラケのニケ、東大寺大仏などの大型作品のみならず、小さなアンティーク工芸品にも同じことが言えます。アンティーク品の歴史性を無視して美術工芸品としての完成度のみを重視するならば、制作されたばかりの新しい作品、あるいは古くても制作当時の状態を保持した作品こそが、高い評価に値することになります。なぜならば出来上がったばかりの作品は、彫刻家の意図に何も加えず、何も引かず、当初の計画通りの状態にあるからです。この考え方に立つならば、摩滅や変色のあるアンティーク品よりも、制作当時の状態を忠実に再現したレプリカ(複製品)のほうが、むしろ価値があることになります。

 他方、アンティーク品の歴史性を重視するならば、レプリカには価値がありません。なぜならば、新しく作られたレプリカは、出来不出来にかかわらず、アンティーク品の本質的属性である歴史性を持たないからです。さらにこの考え方に立てば、未使用のまま残っていたデッドストック品も、使い古されたアンティーク品に比べて、むしろ価値が低いことになります。なぜならばデッドストック品は、レプリカほどではないにせよ、やはり歴史性を欠くからです。実際に使われてきたアンティーク品には摩滅や変色がみられますが、真正のアンティーク品にしかないこのような趣は「パティナ」(patina 古色)と呼ばれ、品物の内なる歴史に心を寄せる人々に愛されています。


 古美術品やアンティーク品を目にするとき、我々は百年前の物、千年前の物を見ているのではありません。もしも百年前の物、千年前の物を見ようとするのであれば、同じ素材と同じ技法を使い、制作当時の状態を正確に再現したレプリカを見る方が、むしろ目的に適います。百年前、千年前の古美術品やアンティーク品を見るとき、我々が見ているのは物品ではなく、可視化された時間すなわち歴史です。

 百年前に作られて現在まで伝わる物は、作られた当初からその在り様(よう)を変えて、「可視化された百年の年月」となっています。千年前に作られて現在まで伝わる物は、「可視化された千年の年月」となっています。ここで筆者(広川)が言う「在り様の変化」とは、経年による化学的変化から、社会的コンテクストの中でその物品が占める位置・役割の変化まで、歴史の中でその品物に起こったあらゆる変化を包摂します。すなわち古美術品やアンティーク品を見る我々は、物品に対面しているのではなく、むしろ歴史に対面しているのです。


 フランスの中世史家ミシェル・パストゥロー氏(Michel Pastoureau, 1947 - )は、色彩史の専門家としても知られています。同氏は 2008年の著作「黒 ― 或る色の歴史」("Noir : histoire d'une couleur", Paris, Éditions du Seuil, 2008)において、古美術品の色彩の復元に言及し、次のように述べています。日本語訳は筆者(広川)によります。文意が通りやすいように補った訳語は、ブラケット [ ] で囲みました。

      Les premières difficultés sont documentaires : sur les monuments, les œuvres d'art, les objet et les images que les siècles passés nous ont transmis, nous voyons les couleurs non pas dans leur état d'origine mais telle que temps les a faites.     [色彩史の研究者が] 最初に直面する困難は、資料上の問題(訳注 古美術品自体に起因する困難な問題)である。過ぎ去った幾世紀が我々に伝えてくれた記念物や芸術作品、物品や絵画に、我々が見る色彩は、元々の状態における色彩ではなく、歳月によって変化した色彩である。
     Ce travail du temps, qu'il soit dû à l'évolution chimique des matières colorantes ou bien à l'action des hommes qui, au fil des siècles, ont peint et repeint, modifié, nettoyé, verni ou supprimé telle ou telle couche de couleur posée par les générations précédentes, est en lui-même un document d'histoire.    歳月が為すこの仕事は、着色料の化学変化に起因する場合もあれば、人為的要因に拠る場合もある。数世紀の歳月が経過するうちに、人々は古美術品を幾度も彩色し、改変し、洗浄し、艶出し材を塗り、前世代の人が置いた斯く斯くの色の層を除去してきた。[着色料の化学変化による場合でも、人為的作業による場合でも、] 歳月の経過によって獲得された美術品の現状は、それ自体が歴史記録なのだ。
     C'est porquoi je suis toujours méfiant envers les entreprises de laboratoire qui se proposent, avec des moyens techniques désormais très élaborés, et une publicité parfois tapageuse, de <restaurer> les couleurs ou - pire - de les remettre dans leur état premier. Il y a lâ un positivisme scientifique qui me paraît à la fois dangereux et contraire aux missions de l'historien.    美術品修復作業で行われる復元の試みに関して、私が常に懐疑的であるのは、上記の理由による。現代の美術品修復作業では、非常に手の込んだ技術的手段により、しばしば仰々しい宣伝を伴って、色彩を「復元」しようとする。さらにひどい場合には、古美術品の色彩を、その作品が制作された当初の状態に戻そうとする。そこに見られる或る種の科学的実証主義は、私の目から見れば、危険であると同時に、歴史家の使命に反するとも思われる。
     Le travail du temps fait partie intégrante de sa recherche. Pourquoi le renier, l'effacer, le détruire ? La réalité historique n'est pas seulment ce qu'elle a été dans son état premier, c'est aussi ce que le temps en a fait. Ne l'oublions pas et ne restaurons pas inconsidérément.    歳月が為す仕事は、歴史研究の本質に不可欠の部分となっている。それを拒み、取り除き、破壊する理由などありはしない。歴史的事実は古美術品の最初の状態のみに在るのではない。古美術品に対して歳月が為した仕事もまた、歴史的事実なのだ。我々はそのことを忘れるべきではないし、浅慮に基づく復元を行うべきではない。


 上の引用個所では特に強調されていませんが、古美術品の完全な復元、すなわち古美術品が制作された時点と全く同じ状態に戻すのは、原理的に不可能であることを忘れてはなりません。古美術品の材質は、歳月とともに風化や褪色が起こります。それをもとの状態に戻す方法はありません。したがって、たとえばルネサンス期の絵画を洗浄して鮮やかな色彩をよみがえらせたとしても、その色彩は制作当時の色彩と同じではありません。





 上に引用したパストゥロー氏の議論は色彩に関する事柄ですが、色彩以外の点に関して古美術品の現状を評価するに際しても、同様の考え方が当てはまります。古美術品の古びた現状を材質の劣化という面からしか見ようとせず、価値が低いと決めつけるのは、歴史性という古美術品ならではの特性を無視することです。具体的に言えば、それは古美術品特有の美を見逃し、そこから得られる様々な情報に敢えて目を塞ぐことにほかなりません。また制作後の歴史を「無かったこと」にして、制作当初の状態に復元しようと試みることは、パストゥロー氏が言うように、その作品がたどった歴史の足跡を無視し、破壊し去ることであり、作品が完成して以降に蓄積されたあらゆる情報、たとえば、各時代の人々がその作品をどのような場に飾ったか、どのような用途に活用したか、作品を改変した各時代の美意識とはどのようなものであったか、というような情報が、二度と取り返せないような形で、すべて失われるという大きな犠牲を伴います。

 本は最も分かりやすい例です。このページ最上部に示した写真はイエズス会士アンリ・ミシェル・ソヴァージュ(Henri Michel Sauvage, 1704 Verdun - 1791 Nancy)による二巻本で、1755年にフランス語で出版された著作を、ドイツのイエズス会士ヨーゼフ・シュヴァルツ(Joseph Schwarz, 1715 Amberg - 1802 Muenchen)がラテン語に訳したものです。1621年にパリ近郊ブールフォンテーヌ(Bourgfontaine, BURGOFONS)のカルトジオ会修道院でジャンセニストの宗教会議が開かれたのですが、ソヴァージュはこの著作において、この宗教会議の内容を反ジャンセニズムの立場から批判的に記述しています。すぐ上に示した写真は同書に貼り付けてある蔵書票で、この本がもともとスイス、クール(Chur / CURIA)にある聖ルツィウス神学校(das Priesterseminar St. Luzi)の図書館にあったことを示します。この本は表紙に虫食いや水濡れ痕があり、綺麗に装丁し直す方が良いと感じる人もいるでしょう。しかしながら装丁をし直せば、古い装丁に関するデータが失われるのはもちろんのこと、この本の出所も不明になります。筆者はジャンセニズム研究の専門家ではありませんので、この本は特に面白そうなところを拾い読みしただけですが、全巻の内容を詳しく読み込めば、十八世紀半ば当時のイエズス会の立場がよく分かるだけでなく、この本がクールの聖ルツィウス神学校にあったという事実から、スイスにおけるイエズス会とジャンセニストの勢力分布を調べるのにも役立つでしょう。しかるにこの本を補修して装丁を綺麗にやり直せば、本文に印刷されている内容以外のデータはすべて失われてしまいます。

 もしも仮に、古美術品が制作された時点と全く同じ状態に戻すことが可能であれば、そのような犠牲を払うことに関して、一定の正当性を主張することも可能でしょう。しかしながら実際のところ、古美術品が制作された時点と全く同じ状態に戻すことは、原理的に不可能なのです。仮にそれが可能であったとしても、復元が達成された瞬間から、材質の劣化は再び始まります。そのことを考えるならば、古美術品がたどった歴史の足跡を破壊し捨て去る「復元」は、重要なものを失いつつも得るものが無い有害無益な所為であることになります。




(上) 反宗教改革期の巡礼用メダイ 「グアダルペの聖母」 31.0 x 21.7 mm スペイン 十六世紀前半 当店の商品です。


 アンティーク品には摩滅や変色があるのが普通ですし、ときには当時の人が文字を彫ったり書き込んだりしています。それぞれの品物が長い歳月のうちに獲得した特徴は、美術品の作り手が意図したものでは無いゆえに、それらを瑕疵(かし)と考える人々が多くいます。しかしながらアンティーク品は古美術品であり、歴史性を有します。それぞれの品物が制作後に獲得した特徴は、それらの品物が歩んできた歴史の記録です。

 瑕疵とは欠点のことであり、欠点とは本来あるべき美点が欠けている状態のことです。アンティーク品を歴史的存在として見るとき、摩滅や変色、彫り込みや書き込みは、決して瑕疵ではないことがわかります。なぜならばそれらの特徴はアンティーク品が歩んできた歴史の記録そのものであって、歴史的存在であるアンティーク品に「欠けているもの」ではなく、歴史的存在としてのアンティーク品の本質そのものであるからです。歳月によってアンティーク品に付加されたそれらの特徴は、アンティーク品が歴史的存在であるために不可欠な要素であり、瑕疵であるどころか、アンティーク品の本質と言っても過言ではないのです。




註1 ここで筆者(広川)は現代人の感覚を前提として話を進めています。しかしながら古美術品の保存と修復に関する近世以前の考え方は、現代と大きく異なっています。十八世紀における古美術品の保存と修復に関しては、別稿で扱いました。



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