スティール・エングレーヴィング 「死海とエリコとヨルダン川河口」
The Dead Sea,
Jericho, and the Mouth of Jordan
原画の作者 J. M. W. ターナー (Joseph Mallord William Turner, R.A. 1775 - 1851)
版の作者 E. F. フィンデン (Edward Francis Finden, 1791 - 1858)
画面サイズ 縦 92 mm 横 139 mm
イギリス 1836年
≪この版画のエングレーヴァーについて≫
この版画のエングレーヴァー、エドワード・フランシス・フィンデン(Edward Francis Finden, 1791 -1858)とその兄ウィリアム・フィンデン(William
Finden, 1787-1852)は19世紀イギリスでもっとも優れたエングレーヴァーで、数々の本や美術誌「アート・ジャーナル」 (The Art Journal) の美しい挿絵で知られています。
1833年から数年間にわたって製作・発表したバイロン(Lord Byron, 1788-1824)のシリーズ、また1838年から15部に分けて発表された「ギャラリー・オブ・ブリティッシュ・アート」
(Gallery of British Art, 1838-1840)は版画史上に大きな足跡を残しています。
≪この版画について≫
マスターズ(R. Masters)のスケッチに基づいてパレスチナの聖地を描いたターナー作品のエングレーヴィング、「死海とエリコとヨルダン川河口」(The Dead Sea, Jericho, and the Mouth of Jordan)。
画面左から流れてきたヨルダン川が死海に注いでいます。ヨルダン川近辺に見えているのはエリコ(ジェリコ
Jericho)の町、死海の対岸に見えているのはモアブ山です。
死海は死海―ヨルダン地溝帯の最深部で、地球上の陸地で最も低い場所(海抜
-394m)です。よく知られているように湖水の塩分濃度が約30%(海水の約10倍)にも達し、高度好塩菌やある種の藻類など特殊な微生物しか棲息できません。
ヨルダン川からの流入量(年間平均)が1日あたり650万トンある一方で流出河川が1本も無いのに水位が増えないのは、地下で地中海とつながっているためだとか、大量の湖水が西岸の平野部に浸透して失われるのだとか言われてきしたが、実際は流入する水と等量の蒸発があるためです。乾期(5月から
10月)の気温は40~50℃にも達して膨大な量の水が死海から蒸発し、また近年ヨルダン川の水が灌漑用水等に大量に利用されるために死海の水位が下降し、パイプラインを敷設して紅海から死海に水を引く計画があります。
エリコはヨルダン川の渡河が可能な地点にあり、エジプトを出たイスラエルの民が最初に攻略した大きな町です。(ヨシュア記2&6章)またエリヤが火の戦車に乗って天に上げられた町であり、エリシャが泉の水を淡水にした町でもあります。(列王記下2章)
イエスはエリコで盲人バルティマイを癒し(マルコ10:46ff)、皆から嫌われていた徴税人ザアカイの家に泊まりました(ルカ19:1ff)。またヨルダン川は洗礼者ヨハネがイスラエルの人々とイエスに洗礼を授けた場所です。(マルコ1章他)
参考 ターナーの原画 「死海」(The Dead Sea) 1832 - 34年 紙に水彩 127 x 202 mm 個人蔵 Wilton number: 1241
テート・ブリテンが収蔵する版画 1988年に購入 Rawlinson number: 577 ※ 当店の商品と同じものです。
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