スティール・エングレーヴィング 「パリ、マドレーヌ教会内部」

Interior of the Madeleine, Paris


原画の作者 トーマス・アロム (Thomas Allom, 1804 - 1872)

版の作者 サドラー (John Saddler, 1813 - 1892)


画面サイズ 188 x 133 mm

イギリス  1860年代



パリの聖マドレーヌ教会(Sainte-Marie Madeleine)内部を描いたスティール・エングレーヴィング。聖マドレーヌ教会はコンコルド広場からロワイヤル通りを北に入った突き当たりにある教会で、ギリシア神殿そのものの外観が特徴です。

 教会の建設が始まったのはルイ15世時代の1764年で、当初は建築家コンスタン・ディヴリ(Constant d'Ivry, 1698-1777)のプランに従い、レ・ザンヴァリドの聖ルイ教会(St. Louis des Invalides)にならってラテン十字型プランの新古典様式の建物になるはずでした。しかし教会の完成を待たずにコンスタンが亡くなって、ギュイヨーム・クチュール(Guillaume Couture)が仕事を引き継ぐと、教会のプランはパンテオンのようなギリシア十字型に変更され、工事は振り出しに戻りました。
 ところがこの新しいプランにも支持が集まらず、教会の建設工事は中途で放棄されて、1790年から1806年までこの状態が続きました。

  ナポレオンはこの建物に証券取引所、フランス銀行、国立文書館などいろいろな用途を考えたようですが、最終的にナポレオン軍(La Grande Armée)に捧げられたギリシア式の「神殿」となすべきことを宣言し、その設計を建築家ピエール・ヴィニョン(Pierre Alexandre Vignon, 1763-1828)に任せました。高さ19.5mのコリント式列柱52本が立ち並ぶ完全なギリシア式モニュメントです。

 1814年にナポレオンが失脚すると、ルイ18世は建物の用途を当初のとおり教会とし、外観はギリシア式であっても内部はカトリックの聖堂とすることを命じて、ヴィニョンに仕事を続けさせました。ヴィニョンは教会の完成を見ずに、1828年に亡くなりました。その後も教会の建設工事は続けられましたが、1837年になって建物の用途をふたたび変更し、パリで最初の鉄道駅とする決定が下されそうになりました。結局この案は取りやめになり、1842年に工事が完了すると、聖マドレーヌ教会として献堂されました。


 版画を初めて購入される方のために、版画が有する価値を解説いたしました。このリンクをクリックしてお読みください。





本体価格 38,000円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




トーマス・アロムによる聖堂建築画 商品種別表示インデックスに戻る

風景と建築物をテーマにしたアンティーク版画 一覧表示インデックスに戻る


風景と建築物をテーマにしたアンティーク版画 商品種別表示インデックスに移動する

19世紀のものを中心としたアンティーク版画 商品種別表示インデックスに移動する


美術品と工芸品 商品種別表示インデックスに移動する



アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップページに移動する




Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS