ジェイムズ・ティソ作 「ファウストとマルガレーテの出会い」 二十二歳の天才画家による作品 グピルによるフォトグラヴュール 1883年

The Meeting of Faust and Marguerite


原画の作者 ジェイムズ・ティソ (James Tissot, 1836 - 1902)

製版 グピル (Goupil et Cie, Paris)


画面サイズ  横 249 mm  縦 161 mm



 ゲーテ(Johann Wolfgang von Göthe, 1749 - 1832)が六十年以上かかって書き上げた「ファウスト」("Faust")から主題を取ったフォトグラヴュール。本品の原画「ファウストとマルガレーテの出会い」(La rencontre de Faust et de Marguerite / The Meeting of Faust and Marguerite)はジェイムズ・ティソの油彩で、フォトグラヴュールを制作したのはパリのグピル社(Goupil & Cie)です。




(上) James Tissot, La Rencontre de Faust et de Marguerite, 1860, Huile sur bois, 117 x 78 cm, Musée d'Orsay, Paris


 原画を描いたジェイムズ・ティソ(James Tissot, 1836 - 1902)は西フランスのナントに生まれた画家で、十九世紀後半のフランスとイギリスでたいへん人気がありました。ティソは上流階級の人々を描いた人物画やジャポニスム絵画で主に知られていますが、生家が布地商であったためか、布地や服への関心が強く、非常に正確な描写が特徴です。そのような特徴はこの作品にも表れており、ファウストとマルガレーテだけでなく、たまたま居合わせた男女も子供も、主役の二人とまったく同等の丁寧さで描写されています。本品のきわめて迫真的な画面を見ていると、十五世紀頃のドイツに身を置いたかのような錯覚に陥ります。




(上) Henri Leys, "Promenade hors les murs", 1854, Huile sur toile, le musée des beaux-arts de Gand


 1855年、パリのシャン・ド・マルス公園(仏 Parc du Champ-de-Mars)で、第一回パリ万国博覧会(仏 Exposition Universelle des produits de l'Agriculture, de l'Industrie et des Beaux-Arts de Paris 1855)が開かれました。ベルギーの画家アンリ・レ(Henri Leys, 1815 - 1869)は、過去の風俗を正確に再現した作品をこの博覧会に出品して称賛を浴び、名誉賞(médaille d'honneur)を獲得しました。上の写真はこのとき出品されたうちの一点、「城壁外の散歩道」("Promenade hors les murs", 1854)で、ベルギー王室のコレクションとなっています。

 当時十八歳か十九歳の若者であったジェイムズ・ティソは、アンリ・レの作品を博覧会場で目にして大いに感銘を受けました。ティソが 1859年に発表した歴史画「ファウストとマルガレーテの出会い」(La rencontre de Faust et de Marguerite / The Meeting of Faust and Marguerite)には、アンリ・レの強い影響が見られます。





 本品は十九世紀の美術書「フランス美術名品集」("The Masterpieces of French Art")から採った図版です。これはフランスの画家たちとの生涯と作品を紹介した月刊の美術書で、非常に古い時代から当年のサロン展入選作までを掲載していました。「フランス美術名品集」の出版社はフィラデルフィアのゲビー・アンド・カンパニー(Gebbie & Co., Philadelphia)で、第一巻の刊行は 1882年です。フォトグラヴュール「ファウストとマルガレーテの出会い」(The Meeting of Faust and Marguerite)は 1883年の刊に収められています。





 本品に描かれているのは、「ファウスト」第一部 2605行から 2677行、メフィストフェレスの力で若返ったファウスト博士が、街中で少女マルガレーテ(グレーテル、グレートヒェン)を見初める場面です。マルガレーテはたいへん美しい十四、五歳の少女で、罪も穢れもないのに告解に通うような信心深い娘でした。ファウストに声をかけられたときもマルガレーテは教会からの帰り道で、この絵においてもマルガレーテは手に祈祷書を持ち、施し物を入れる袋を腰に提げています。

 二人の出会いで交わされる言葉はごく短く、原テキストでは四行にしかなりません。「ファウスト」第一部 2605行から 2608行のドイツ語原文と日本語訳を示します。日本語訳は筆者(広川)によります。


       Straße.    街なか
       Faust. Margarete vorübergehend.    ファウスト登場。マルガレーテが前を通りがかる。
           
       Faust.    ファウスト
   2605    Mein schönes Fräulein, darf ich wagen    麗しいお嬢様。どうぞ
   2606    Meinen Arm und Geleit Ihr anzutragen?    腕をお貸しして、お送りいたしましょう。
           
       Margarete.    マルガレーテ
   2607    Bin weder Fräulein, weder schön,    私、お嬢様でも麗しくもありません。
   2608    Kann ungeleitet nach Hause gehn.    お送りいただかなくても家に帰れます。
       (Sie macht sich los und ab.)    (マルガレーテ、ファウストを振り切って去る。)


 この出会いのシーンはウジェーヌ・ドラクロワをはじめ、有名無名の数十人の画家が描いています。また文学を離れて、「女に言い寄る男と、それを撥ねつける女」をテーマにした軽妙なイラストともなって、グリーティングカード等にもよく描かれています。





 マルガレーテに振られたファウストが、たったいま去って行った少女の姿を思い返しつつ街角で独りごちていると、メフィストフェレスが現れます。ファウストはマルガレーテをすぐに手に入れる(性交渉に応じさせる)ようにメフィストフェレスに命じますが、娘の清らかさを知っているメフィストフェレスは、今すぐには難しいと答えます。その日の夕刻、ファウストはメフィストフェレスに連れられてマルガレーテの自宅の部屋に忍び込み、ジュエリーの小箱を衣装入れに隠して、誘惑を開始します。

 その後マルガレーテは叔母マルテの庭で「ハインリヒ」と名乗るファウストを紹介され、初心(うぶ)さゆえに他愛なく恋に落ちてしまいます。マルガレーテはファウストを家に招き入れて逢引したいばかりに、彼に渡された眠り薬を母親に飲ませますが、薬の量を誤って母親を殺してしまいます。さらにファウストの子を身ごもってしまい、彼女の兄ヴァレンチンはファウストと決闘しようとしてファウストに殺されてしまいます。悲しみのあまり気がおかしくなったマルガレーテは、生まれた子供を自らの手で池に沈めて殺し、罪に問われて投獄されます。処刑の前夜、ファウストはマルガレーテを救出すべく牢獄を訪れますが、マルガレーテは逃げることを拒み、魂の救いを得ます。





 本品の製版は、フォトグラヴュール(仏 photoguravure)によります。フォトグラヴュールは写真術を応用した版画技法ですが、感光以外のすべての工程は人力によって行われます。また酸で腐食させた後の版にも、ビュラン(彫刻刀)やメゾチント用ロッカーでさらに手が加えられます。上の写真はファウストの頭部を拡大しています。本品を肉眼で見ても気づきませんが、このように大きく拡大すると、髪と髭、被り物の暗部にメゾチント用ロッカーが適用されていることがわかります。

 マルガレーテに目を移すと、ビュランによる溝が衣装に加えられていることが、拡大写真に見て取れます。





 マルガレーテは男性経験など持たない無垢な少女で、ファウストに声をかけられたときの表情には、戸惑いと羞恥、一抹の恐れが読み取れます。マルガレーテという名は真珠の意味で、少女の清らかさは真珠の輝きを思わせます。またマルガレーテはアンティオキアの聖マルガリータに因む名前です。伝説の聖女は牢の中で悪魔に打ち勝ちましたが、ファウストのマルガレーテもまた牢に入れられ、救出に訪れたファウストの誘惑に打ち勝って救いを得ます。ゲーテは牢の中で救いを得るマルガレーテの姿を、アンティオキアの聖マルガリータに重ね合わせたのだと、筆者(広川)は考えます。


 ファウスト博士自身もマルガレーテの祈りにより、「ファウスト」第二部の最後で救いを得ます。無垢な少女を罪に陥らせたファウストがなぜ救いに値するのか、一見したところ疑問に思えます。しかしながらユング心理学を通して考えると、「ファウスト」は魂が自己の全体性を実現する物語として読むことができます。

 メフィストフェレスを呼び出す前のファウスト博士は、知的営為のみを求めていました。これは人間としてたいへん偏った生き方であり、それによって生じたひずみはいずれかの時点で顕在化せざるを得ません。メフィストフェレスの力で若返ったファウスト博士は、さっそく女の肌を求め、何のためらいも見せずに無垢なる少女を騙して犯します。これはすなわち、ファウスト博士がかつて人格者であったときに抑圧されていた「影のファウスト」が、あたかもマグマだまりの圧が高まって火山が噴火するように、自我に反旗を翻し、爆発的な活動を始めたものに他なりません。

 一方、少女マルガレーテはファウスト博士のアニマであると解釈できます。ファウストはアニマによって導かれ、第二部の最後において自己実現に至る(心の全体性を取り戻す)のです。ゲーテはこれを文学的に表現し、マルガレーテの祈りによってファウストの魂が救いを得る結末を書いたのだと、筆者(広川)は考えています。

 ちなみにユングは 1936年の小論「ヴォータン」(„Wotan“)において、ナチの台頭をゲルマン異教の神ヴォータンの顕現と捉えました。1930年代のドイツは凶悪な愚行へと国を挙げて暴走し、止まることができませんでした。「世界に冠たるドイツ」(„Deutschland über alles in de Welt“ 国家の一番の歌詞)の明るい面を「意識」あるいは「自我」とすれば、ナチは千年に亙って抑圧され続けた「影」に当たります。少女マルガレーテを犯し、母と子を殺させ、少女の兄を自らの手で殺したファウストの暴走は、ゲーテが知らなかったドイツの歴史を思い起こさせます。





 版画の鑑賞に戻ります。上の写真はマルガレーテの右後方(向かって左後方)にいる通りがかりの市民です。





 ジェイムズ・ティソはこの家族も主役と同様の精密さで描いています。後方の聖像にも手を抜いていません。

 ジェイムズ・ティソは二十歳であった 1856年にパリに出て、パリ高等美術学校(l'École nationale supérieure des beaux-arts de Paris, ENSBA)の前身である王立美術学校(l'École royale des beaux-arts)に入学しました。その三年後の 1859年には、早くもサロン・ド・パリへの出品を果たしましたが、本品「ファウストとマルガレーテの出会い」(La Rencontre de Faust et de Marguerite)はこのときに発表された五点のうちの一点です。この作品を発表したとき、ジェイムズ・ティソがわずか二十二、三歳であったことには驚きを禁じ得ず、この一点からも画家の天才ぶりがうかがえます。





 本品は未額装のシートとしてお買い上げいただくことも可能ですが、当店では無酸のマットと無酸の挿間紙を使用し、美術館水準の保存額装を提供しています。上の写真は額装例で、外寸 40 x 31センチメートルの木製額に、赤色ヴェルヴェットを張った無酸マットを使用しています。この額装の価格は 24,800円です。

 額の色やデザインを変更したり、マットを替えたりすることも可能です。無酸マットに張るヴェルヴェットは青や緑、ベージュ等に変更できますし、ヴェルヴェットを張らずに白や各色の無酸カラー・マットを使うこともできます。


 版画を初めて購入される方のために、版画が有する価値を解説いたしました。このリンクをクリックしてお読みください。





フォトグラヴュールの価格 38,800円 (額装別)

電話 (078-855-2502) またはメールにてご注文くださいませ。





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