カルメル山の聖母
Notre-Dame du Mont-Carmel
カルメル山の聖母とは、聖サイモン・ストック(St. Simon Stock, c. 1165 - 1265)にカルメル山のスカプラリオを与えた聖母マリアの称号です。
本来カルメル山とはレバノン山脈の一部を為す標高 525メートルの山の名前ですが、葡萄や
オリーヴが実る美しく肥沃な地であることから、しばしば聖母マリアの象徴としてこの山の名が用いられます。
また旧約聖書「列王記 上」 18:41 - 46において、預言者エリヤはカルメル山の頂上に登って恵みの雨を呼び、三年にわたる大旱魃で乾ききった大地に大雨を降らせました。このときエリヤが呼んだ雲は聖母マリアの
前表とされ、教皇ピウス十世は
無原罪の御宿りに関する 1904年 2月 2日の回勅「喜ばしきかの日に向かいて」において、アダム、ノア、アブラハム、ヤコブ、モーセ、ダヴィデと並び、エリアが呼んだ雲についても聖母の前予表であると論じています。
【聖サイモン・ストックとカルメル会】
聖サイモン・ストックはイギリス出身の修道士で、その前半生については詳しいことがわかりませんが、若い頃パレスティナに巡礼し、そこで出会ったカルメル会の修道士たちに合流したと考えられています。イスラム教徒のパレスティナ侵入に伴ってカルメル会士たちはヨーロッパに移住し、聖サイモン・ストックもイギリス、ケント州のエイルズフォード
(Aylesford) に移って、1245年頃にはロンドンでカルメル会総長に就任しました。
聖サイモン・ストックが総長に就任したのは、カルメル会が観想修道会から托鉢修道会へと発展してゆく時期でした。聖サイモン・ストックはカルメル会に若者を取り込むため、イングランド、アイルランド、スペイン等の大学のある都市に修道院を設置しました。
聖サイモン・ストックは 1265年にボルドーで没するまで二十年にわたってカルメル会総長の地位にあり、修道会の発展に尽力しました。聖サイモン・ストックの遺体はボルドー司教座聖堂に埋葬されています。聖人の頭部は切り離されてイギリスのエイルズフォードに運ばれ、聖遺物として崇敬を受けています。聖サイモン・ストックの祝日は5月16日です。
【カルメル山の聖母とスカプラリオ】
カルメル会の伝承によると、1251年7月16日、ケンブリッジにおいて、聖サイモン・ストックに対して聖母が出現し、茶色のスカプラリオを与えて、これを肌身離さず身に着ける者は死後に地獄に落ちることがないということ、またこのスカプラリオは救いを証明し、危険を防ぎ、安らぎと契約のしるしとなることを約束したといわれています。
カルメル山の聖母のスカプラリオ (*)
聖サイモン・ストックに対してカルメル山の聖母が出現したというこの出来事に関して、同時代の記録は見当たらず、最初の詳しい資料は 1642年になって初めて現れるために、聖母出現の史実性は強く疑われています。しかしそれにもかかわらずカルメル山の聖母の信心は世に広まって、多くの人がこのスカプラリオを身に着けています。
スカプラリオ (仏 scapulaire) の語源はラテン語のスカプラリウム(羅 SCAPULARIUM )です。スカプラリウムはスカプラ(羅
SCAPULA 肩)に由来する形容詞の中性形で、「肩に関係する物」すなわち「肩に掛ける物」という意味です。すなわちスカプラリオはもともと修道者が着用する肩布のことですが、一般信徒用のスカプラリオは紐で繋いだ小さな布二枚を肩布の代用とし、身に着けやすくしています。
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