ニヴェルの聖ゲルトルード
Ste. Gertrude de Nivelles
ニヴェルの聖ゲルトルード (Ste. Gertrude de Nivelles, c. 626 - 659) はアウストラシアの宮宰大ピピンの娘で、神秘思想家として知られるベネディクト会の修道女です。聖ゲルトルードは猫と旅人の守護聖人として、ベネルクス三国周辺及びイングランドを中心とするヨーロッパ各国で篤く崇敬されています。
【ニヴェルの聖ゲルトルードの生涯】
ニヴェルの聖ゲルトルードは、アウストラシアの宮宰で大ピピンとも呼ばれるランデンの聖ピピン (St. Pepin de Landen, + 639/640)
とニヴェルの聖イダ(Ste. Itte de Nivelles, + 652) の末子として、ランデン(Landen ベルギー、フランデレン地域フラームス=ブラバント州)に生まれました。シャルルマーニュの直系の祖先であるアルデンヌの聖ベガ
(Ste. Begga d'Ardenne 註1) の妹にあたります。
ゲルトルードは幼時から信仰心に篤く、修道女になるためにダゴベール1世 (Dagobert I, c. 603 - 639) との結婚、あるいはアウストラシアのある公爵の息子との結婚を拒んだといわれています。
ゲルトルードの父大ピピンが亡くなった後、マーストリヒトの司教聖アマン (St. Amand de Maastricht) の助言によって、母イダはニヴェルに複合修道院(男子修道院と女子修道院にわかれた修道院)を造り、当時20歳前後であった若きゲルトルードを初代院長にして、自分は一介の修道女として娘を支えました。
ゲルトルードは修道院長として巡礼者を手厚く保護しました。また7、8世紀はアイルランドにおいてヨーロッパ大陸をはるかにしのぐ高度の学芸が栄えた時代で、フランク王国にも多数のアイルランド人宣教師が渡ってきていましたが、ゲルトルードは彼らを歓待して親交を結びました。とりわけアイルランド出身の宣教師、聖ウルタン
(St. Ultan de Fosses, + 657) と聖フュイリアン (St. Feuillien/Foillan/Foilan de
Fosses) の兄弟にには現在のフォス=ラ=ヴィル(Fosses-la-Ville ベルギー、ワロン地域ナミュール州)の土地を与え、現在のサン=フュイリアン教会
(La collegiale Saint-Feuillien) の起源となった修道院を建てさせました。聖ウルタンはここの修道院長となり、聖フュイリアンはニヴェルの修道院で修道者たちを指導しました。
ゲルトルードは長年の苦行と節制で身体を壊し、死の前年である658年の末、修道院長職を姪の聖ヴィルフェトリュディス (Ste. Wilfetrude
de Nilelles, c. 610 - 669) に譲って、自身は聖書の研究に打ち込むことにしました。
翌659年、死が近いことを悟ったゲルトルードは聖ウルタンの許にひとりの修道士を遣わして、自身(ゲルトルード)がいつ死ぬかを神が聖ウルタンに知らせたもうたかどうか、尋ねさせました。聖ウルタンの答えは翌日すなわち聖パトリックの日である3月17日のミサの最中に亡くなるであろうというものでしたが、果たしてその通りになりました。ゲルトルードは亡くなってすぐに聖人と崇められるようになり、ニヴェルの第三代修道院長アグネスはゲルトルードに奉献した聖堂を建てました。
ニヴェルの聖ゲルトルード教会
【守護聖人としてのニヴェルの聖ゲルトルード】
ニヴェルの聖ゲルトルードは修道院長として巡礼者を保護したことから、旅人の守護聖人として崇められています。あるとき、ゲルトルードは数人の人を遠くの地に遣わしましたが、彼らを送りだす際に、旅の途中で遭難することはないと約束しました。しかし彼らの船は海の怪物に転覆させられそうになりました。彼らが聖ゲルトルードの助けを求めて祈ると、怪物は去って行ったと伝えられています。
ニヴェルの聖ゲルトルードは当日に亡くなった人の魂を守る聖人でもあります。当時、死者は天国に到るまで三日間の旅路をたどり、最初の夜は聖ゲルトルード、二日目の夜は
大天使ミカエルの許で休むとされました。
さらにニヴェルの聖ゲルトルードは猫と愛猫家の守護聖人でもあります。図像において、聖ゲルトルードは修道服を着て修道院長の杖を持って表されますが、修道衣または杖にはネズミが留まっています。
【聖ゲルトルードの聖遺物函】
聖ゲルトルードの聖遺物函はニヴェルの修道院の注文により、ゴシック聖堂の外観そのままに十字架形を象(かたど)って製作され、1272年に完成しました。聖遺物函には85キログラムもの銀が使用され、長さ
180センチメートル、幅 54センチメートル、高さ 86センチメートルという最大級の大きさを誇っていました。
1940年5月、ニヴェルはドイツ軍の空襲を受け、ニヴェルの参事会聖堂は甚大な被害を被りました。聖ゲルトルードの聖遺物函もこの際に破壊され、130もの断片になってしまいました。
聖ゲルトルードの聖遺物函は、大勢の美術史家と修復技術者の協力により、近年になって復元され、今日ふたたび堂々たる姿を見せています。
註1 聖ベガはメス大司教聖アルヌルフ (St. Arnoul de Metz, c. 582 - 640) の息子であるアンゼギゼル (Ansegisel
ou Ansegise, c. 602/610 - c. 662?) と結婚して、中ピピン (Pepin II de Herstal, ou
Pepin le Gros, c. 645 - 714) を産んだ人です。中ピピンはカール大帝 (Charlesmagne, 742/748
- 814) の曽祖父にあたります。
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