聖アブドンと聖セナン(聖センネン)
Sts. Abdon et Sennen
【上】 Jaume Huguet (c. 1415 - 1492),
Sts. Abdon et Sennen, 1459/60, mixed technique on wood, 290 x 220 cm, Santa Maria d'Egara,
Terrassa, Catalonia
聖アブドンと聖セナン (Sts. Abdon et Sennen) はデキウス帝 (Gaius Messius Quintus Trajanus
Decius, 201 - 249 - 251) またはディオクレティアヌス帝 (Gaius Aurelius Valerius Diocletianus,
244 - 284 - 305 - 311) 時代の殉教者とされています。歴史的に確実なことはほとんど知られておらず、その名前もそれぞれ
"Abdo" あるいは "Abdus"、また "Sennes" あるいは "Sennis"
あるいは "Zennen" と、様々に綴られます。
【ボランディスト「アクタ・サンクトールム」による殉教伝】
ボランディストの「アクタ・サンクトールム」("ACTA SANCTORUM" 聖人伝)によると、聖アブドンと聖セナンはデキウス帝時代のペルシアの貴顕で、秘かにキリスト教を信仰する兄弟でした。ペルシアがローマとの戦いに敗れ、デキウスの支配下に入ったアブドンとセナンは、キリスト教徒に対するデキウスの非道な仕打ちに憤り、身の危険を顧みずに福音を広め、信徒を励まし、殉教者の遺体を葬りました。
遠征のためぺルシアに来ていたデキウスは、兄弟の信仰を知って怒り、裁きの場に呼びだしました。帝はローマがペルシアとの戦いに勝った事実を引き合いに出して、ローマは神々の加護を受けていると諭して、神々に生贄をささげるように兄弟に命じました。しかし兄弟は帝に答えて、ローマの勝利は神々の加護を証明するものではないこと、唯一の神、天地の造り主にして子なるイエズス・キリストと一体なる神が、人には知られない摂理に従って、ある者には勝利を与え、ある者には敗北を与えたまうということ、自分たちはイエズス・キリストのみを信仰するということを宣言しました。これを聞いた帝はふたりを投獄しました。
デキウスはペルシアの貴顕である兄弟を、誇るべき捕虜としてローマに連れ帰り、元老院の前に呼び出しましたが、このときも兄弟はキリストのみが神であると語り、神々に対する礼拝を拒みました。翌日、兄弟は円形競技場で鞭打たれた後、2頭のライオンと4頭の熊が兄弟に向かって放たれましたが、動物たちは兄弟の足下におとなしくうずくまり、他の者が兄弟に危害を加えないように守りました。兄弟はグラディアートル(剣闘士)の手によって、ようやく殉教しました。兄弟の遺体は3日間放置されていましたが、のちに兄弟の聖人伝の著者となる副助祭がひそかに遺体を回収し、自らの地所に葬りました。この殉教が起こったのは
254年のことでした。
両殉教者が埋葬された場所はその後忘れられていましたが、コンスタンティヌス帝 (Caesar Flavius Valerius Aurelius
Constantinus Augustus, c. 272 - 306 - 312 - 337) の時代に啓示によって明らかになり、ローマ近郊の古道ヴィア・ポルトゥエンシス
(Via Portuensis) 沿いの墓所に移葬が行われました。聖アブドンと聖セナンの遺体を納めたものと伝えられる石棺の墓室には、キリストから冠を受け取るふたりの殉教者がフレスコ画で描かれています。このフレスコ画は6世紀または7世紀のものと考えられています。
【聖アブドンと聖セナンの墓所】
ボランディストの「アクタ・サンクトールム」によると、上述の通り、聖アブドンと聖セナンの墓所はローマ近郊にあることになっています。しかしながらソワソン(Soissons ピカルディ地域圏エーヌ県)やフィレンツェをはじめとするいくつかの場所も、両殉教者の墓所として名乗りを上げています。ソワソンの聖遺物はサン・メダール修道院 (le monastere de Saint Medard) に安置されていましたが、ユグノーによって焼却されてしまいました。フィレンツェは両殉教者の遺体を370年以来安置すると伝えられます。教皇グレゴリウス4世(在位 827 - 844)によると、ローマのサン・マルコのバシリカ (Basilica di San Marco Evangelista al Campidoglio) も両殉教者の遺体の大部分を安置すると伝えられます。
スペインとの国境に近いアルル=シュル=テク(Arles-sur-Tech ラングドック=ルシヨン地域圏ピレネー=オリアンタル県)にあるベネディクト会修道院サント・マリ
(l'Abbaye Sainte-Marie) には、聖アルニュルフ (St. Arnulphe) がローマからもたらした両殉教者の遺体を収めるとされる大理石の石棺、サント=トンブ
(la Sainte-Tombe) があります。
【下】 アルル=シュル=テク、サント・マリ修道院 のサント=トンブ
聖アブドンと聖セナンの祝日は、ヴィア・ポルトゥエンシス沿いの墓所に移葬された日付とされる7月30日です。
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