ブノワ・アガトン・アフラング神父
Mgr. Benoît Agathon Haffreingue, 1785 - 1871
(上)
ブーローニュの聖母にバシリカを捧げるアフラング神父 ブーローニュの無原罪の御宿りのバシリカにある記念碑
ブノワ・アガトン・アフラング神父 (Mgr. Benoît Agathon Haffreingue, 1785 - 1871) は、フランス、本土の北東端、ベルギーとの国境に近いブーローニュ=シュル=メール(Boulogne-sur-Mer ノール=パ=ド=カレー地域圏パ=ド=カレー県)
近郊の、労働者階級の家庭に生まれました。フランス革命の際に破壊されたブーローニュ旧司教座聖堂(ブーローニュの無原罪の御宿りのバシリカ)を再建したことで知られています。
【ブーローニュ司教座聖堂再建の経緯】
1820年頃、30歳代半ばであったアフラング神父は、ブーローニュ旧司教座聖堂の近くのコレージュ(collège 中等学校)で教職に就いていました。当時、旧司教座聖堂はフランス革命の際に破壊されたまま、未だ再建されていませんでしたが、ある日、聖堂跡地を通りかかった神父は、聖堂を再建せよとの内的呼びかけを感じました。
アフラング神父は本格的に建築を学んだことがありませんでしたが、1822年にブーローニュ司教区のプチ・セミネール(petit séminaire カトリック系の中等学校)に礼拝堂を造り、1824年にはブーローニュ=シュル=メールのウルスラ会修道院のためにドーム付きの礼拝堂を建てました。
アフラング神父が次に取り組んだのは、ブーローニュ旧司教座聖堂の再建でした。神父は家族からの喜捨で司教座聖堂跡の土地と建物の残骸を買い取り、1827年から工事を開始しました。最初に取り掛かったのは、再発見されたロマネスク式クリプト(地下礼拝堂)の改修です。このクリプトはその存在を完全に忘れ去られていたもので、128
x 42メートルの広さがあり、フランス国内でも最大のクリプトの一つです。クリプトの改修には1829年までかかっています。また現司教座聖堂の後陣にあたる地上の礼拝堂も、同時に建設されました。この部分の建設には
1840年までかかっています。
(下) ブーローニュの無原罪の御宿りのバシリカ クリプトの一部
クリプトの補修と礼拝堂の建設に取り掛かった頃、有力な寄付者から 4万8000フランの寄付があり、その数カ月には寄付金がさらに増えたので、アフラング神父は
1827年中に、後の聖堂内陣となるロトンダ(円蓋付きの円柱形の建物)の建設に取り掛かりました。これは大規模な建物で、この部分が完成したのは 1854年です。当初の予定では、旧司教座聖堂はロトンダを以って完成となるはずでした。
しかしながらアフラング神父がロトンダ建設に取り掛かると、かつてフランス最大の巡礼地であったブーローニュ旧司教座聖堂の完全な再建を求める声が高まり、フランスの国中から、遠くはイギリスからも、寄付金が集まり始めました。また聖堂への巡礼もふたたび始まって、最初は近在から、次いで県外のアミアンやアブヴィル(Amiens,
Abeville いすれもピカルディー地域圏ソンム県)、やがてベルギーやイギリスからも、巡礼者がブーローニュ=シュル=メールを訪れるようになりました。寄付金も集まり続けました。シャトーブリアン
(François-René, vicomte de Chateaubriand, 1768 - 1848)、ヴィニー (Alfred Victor,
comte de Vigny, 1797 - 1863)、ヴィクトル・ユゴー (Victor Hugo, 1802 - 1885) も寄付を送りましたし、皇帝ナポレオン三世も1,000フランを寄付しています。こうして
1839年からは五廊式の身廊の建設が始まりました。身廊部分は 1851年に出来上がりましたが、西側正面の二基の塔は 1870年になってようやく完成しました。1879年、聖堂は
バシリカとなりました。
一方、アフラング神父は 1859年、教皇ピウス9世により、使徒座書記官 (protonotaire apostolique) とされました。またナポレオン3世はアフラング神父にレジオン・ドヌール勲章を授与しました。
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