サンタンヌ・ド・ボープレ ボープレの聖アンナのバシリカ
La Basilique de Ste-Anne-de-Beaupré
サンタンヌ・ド・ボープレのバシリカは、ケベック(ヴィル・ド・ケベック、ケベック・シティ)の東約 30キロメートル、ボープレの町にある
聖アンナのバシリカで、年間 500万人の巡礼者が訪れる北アメリカ最大の聖地です。
【サンタンヌ・ド・ボープレのバシリカの歴史】
・初代の聖堂 1658年
サンタンヌ・ド・ボープレのバシリカの歴史は、1658年に建てられた木造の聖堂に始まります。
1666年から 1671年まで、ケベックの対岸リール・ドルレアン (L'Île d'Orléans) にあるサント・ファミーユ教会 (Sainte-Famille)
の主任司祭であったトーマス・モレル師 (Thomas Morel) の記録によると、地元住民であるルイ・ギモン氏 (Louis Guimont)
は酷い脊柱側湾症で松葉杖無しに歩けませんでしたが、この聖堂の建設に参加したところ、自力で歩行できるようになりました。ギモン氏の例を皮切りに奇跡的な治癒が相次ぎ、この聖堂には大勢の巡礼者が集まるようになりました。
・2代目の聖堂 1661 - 1676年
初代の聖堂はセント・ローレンス川の岸辺に建てられていましたが、川に近すぎたために浸水による被害を受け、1661年に2代目の聖堂が建てられました。2代目の聖堂の敷地は初代聖堂の東隣で、現在は墓地になっている場所です。この2代目の聖堂は木と石材を併用した真壁造りでしたが、カナダの厳しい気候のせいで長くは持ちませんでした。
・3代目の聖堂 1676 - 1876年
3代目は堅固な石造りの聖堂で、2代目よりも大規模なものでした。この聖堂はカナダの気候によく耐えましたが、1876年、老朽化のために取り壊されました。
・4代目の聖堂(最初のバシリカ) 1876 - 1922年
1872年、3代目の聖堂の南側に 4代目の聖堂が定礎されました。工事はなかなか捗りませんでしたが、1875年にゴブロー師 (Antoine-Adolphe
Gauvreau, 1841 - 1911) が主任司祭に着任すると建設工事のペースは速まり、翌 1876年に、全長 158メートル、翼廊の長さ 77メートルを誇る
4代目の聖堂が完成しました。またこの年、聖アンナがケベックの守護聖人であると宣言されました。4代目の聖堂が正式に献堂されたのは 1878年です。
ゴブロー師は 1870年から1875年までサン=ニコラ (St-Nicholas) の主任司祭でしたが、この前任地においてケベック愛徳姉妹会
(Soeurs de la Charité de Quebec) を設立したことからもわかるように活動的な人ですが、4代目の聖堂が完成すると、巡礼者の数も
1875年の 27,000人から 1877年には 38,500人と急増し、ゴブロー師を含む3人の司祭では対応しきれなくなりました。そこでゴブロー師は、サンタンヌ・ド・ボープレの教区と巡礼の関連業務を修道会の担当とするようにケベック大司教タシュロー師
(Elzéar-Alexandre Taschereau, 1820 - 1898) に願い出て、1878年からはボルティモアのレデンプトール会、次いでベルギーのレデンプトール会がその任に当たることとなりました。1881年にはケベックの鉄道が開通し、巡礼者の数はさらに増加しました。
この聖堂は 1886年、教皇レオ13世によって、北アメリカでふたつめの小
バシリカとされました。ちなみに 1874年にケベック司教座聖堂が北アメリカで最初の小バシリカとされています。
4代目の聖堂は、1922年 3月 29日、火事で焼失しました。西側ファサードにはヘント(ベルギー)の彫刻家マティアス・ゼンス (Matthias
Zens, 1838 - 1921) による聖アンナの大きな木像が飾られていましたが、この像は難を逃れ、現在の聖堂においても西側ファサード最上部に据えられています。
・5代目の聖堂
1923年 6月 6日、焼失した4代目の聖堂と同じ場所に、パリの建築家マクシム・ロワザン (Maxime Roisin) と、ケベック近郊シャーブルックの建築家ルイ=ナポレオン・オーデ
(Louis-Napoléon Audet, 1881 - 1971) の設計によるネオ・ロマネスク様式の聖堂建設が始まりました。
この5代目の聖堂が現在のもので、ケベック・シティの南にあるボース (Beauce) 産の花崗岩が使用され、全長 105メートル、西側正面の幅
48メートル、翼廊の長さ 61メートル、尖塔の高さ 91メートルの規模を誇ります。
1962年、鐘楼の尖塔ができあがり、5代目の聖堂建設は完成しました。正式に献堂されたのは 1976年 7月 4日で、モーリス・ロワ枢機卿 (Maurice
Roy, 1905 - 1985) によります。ただし現在の聖堂にも何も置かれていない壁龕や彫刻が施されていないコーニス(軒蛇腹)が多数あり、全面的に完成しているわけではありません。
サンタンヌ・ド・ボープレのバシリカにおいては、いまでも巡礼者に奇跡が起こると信じられており、ここで癒された人々が奉納した多数の杖や松葉杖などを目にすることができます。
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