ノートル=ダム・ド・パリの美麗なメダイ。高名なメダイユ彫刻家ラウル・ラムルドデュ (Raoul Lamourdedieu, 1877 - 1963)
の作品です。
一方の面にはこの聖堂に安置されている「パリの聖母」を浮き彫りにしています。聖母は上半身をよじって幼子に向き合い、幼子イエズスは体全体を聖母に向けて、右手を母へと伸ばしています。イエズスは全宇宙の支配権を象徴する「世界球」(グロブス・クルーキゲル)を持っていますが、いまは慈母に抱かれる幼子として母に甘え、母子ともに睦み合っています。聖母子の周囲には、中世の書体を用い、「ノートル=ダム・ド・パリ」(Notre-Dame
de Paris) と記されています。「ノートル=ダム・ド・パリ」(フランス語で「パリの聖母」の意)は聖母子像の名前でもあり、パリ司教座聖堂の名前でもあります。
メダイ下部、向かって左の縁付近に、メダイユ彫刻家ラウル・ラムルドデュ (Raoul Lamourdedieu, 1877 - 1963) のサインが刻まれています。ラウル・ラムルドデュはパリの国立高等美術学校 (l'École nationale supérieure des
beaux-arts de Paris, ENSBA) において、アール・ヌーヴォー期のフランスを代表する多才な芸術家のひとりであるアレクサンドル・シャルパンティエ (Alexandre Louis Marie Charpentier, 1856 - 1909) に師事し、「国民美術協会サロン展」(Salon de la Société Nationale des Beaux-Arts シャン・ド・マルス展
Salon du Champs de Mars)、前衛的な傾向の「サロン・ドートンヌ展」(Salon d'automne)、「アンデパンダン展」(Salon
des Artistes Independants) にも参加して、活発に活動しました。ラウル・ラムルドデュは象徴性に富む女性像を得意とし、オーギュスト・ロダンに「彫刻界のピュヴィス・ド・シャヴァンヌ」と評されています。
もう一方の面には東側から見たパリ司教座聖堂ノートル=ダムを浮き彫りにしています。ノートル=ダム・ド・パリは飛梁(フライング・バットレス)を採用した最初期のゴシック建築として知られ、このメダイの浮き彫りにおいても、内陣外壁を支える繊細で美しい飛梁が描写されています。
メダイの全体的なコンディションは、突出部分もほとんど摩耗しておらず、細部までよく残っています。この年代のものとしては、非常にすぐれたコンディションです。