最初期に属するラ・サレットの聖母の稀少なメダイ。同時代のメダイにおいてはブロンズが標準的な材質ですが、本品は800シルバーを使用しており、特別な品物であることがわかります。
本品の珍しい形は「十字架」「錨」「心臓」を重ねたもので、これら三つの事物は、キリスト教の枢要徳、すなわち「信仰」「希望」「愛」を、それぞれ象(かたど)っています。上部の環に近い箇所には、フランスにおいて
800シルバーを示す「イノシシの頭」のポワンソン(ホールマーク)と、フランスの銀製品工房のマークが刻印されています。
「十字架」が「信仰」を表すことは説明不要でしょう。「錨」が「希望」を象徴するのは、下に示した「ヘブライ人への手紙」6章 19節の聖句によります。
わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入って行くものなのです。 (新共同訳)
「錨」は「魚」や「善き羊飼い」と並んで、初期キリスト教徒に最も愛用された象徴的図像のひとつです。下の写真はローマの聖セバスティアヌスのカタコンベに見られるキリスト教徒の線刻で、墓碑銘 (ATIMETVS AVG VERN VIXIT ANNIS VIII MENSIBVS III EARINVS ET POTENS FILIO) の左に「錨」、右に「魚」を刻んでいます。
ちなみに「魚」はキリストの象徴ですが、これは「イエースース・クリストス、テウゥ・ヒュイオス、ソーテール」(Ἰησοῦς Χριστός, Θεοῦ
Υἱός, Σωτήρ ギリシア語で「イエス・キリスト、神の子、救い主」の意)というフレーズにおいて、各単語の頭文字を並べると、「イクテュス」(ἰχθύς ギリシア語で「魚」の意)という単語ができることによります。
「愛」が心臓形(ハート形)で表されるのは、かつて魂が心臓に宿ると考えられていたからです。信仰と希望と愛はキリスト教における三つの枢要徳であり、いずれも大切な徳目ですが、この中で最も大切なのは愛です。愛が有するこの重要性ゆえに、本品においても心臓は最も目立つ中心部に配され、強調されています。使徒パウロは「コリントの信徒への手紙 一」13章
13節において、次のように書いています。
信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。 (新共同訳)
心臓形の画面には、ふたりの牛飼いの子供、15歳の少女メラニー・カルヴァと11歳の少年マクシマン・ジロー に、ラ・サレットの聖母が出現したシーンが浮き彫りにされています。聖母は子供たちに向かって預言を語り、祈りを勧め、子供たちは聖母の言葉に耳を傾けています。群像の背景は細かい点によって艶が消されており、そのせいで人物像がいっそう浮き上がって見えます。聖母は子供たちに向かって次の預言を語っています。
Avancez, mes enfants, n'ayez pas peur, je suis ici pour vous conter une
grande nouvelle. |
側に来なさい、子供たちよ。恐れることはありません。わたしは大切な知らせを伝えにやってきました。 |
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Si mon peuple ne veut pas se soumettre, je suis forcée de laisser aller le bras de mon Fils. Il est si fort et si pesant que je ne puis plus le maintenir. Depuis le temps que je souffre pour vous autres ! Si je veux que mon Fils ne vous abandonne pas, je suis chargée de la prier sans cesse. Pour vous autres, vous n'en faites pas cas ! Vous aurez beau prier, beau faire, jamais vous ne pourrez récompenser la peine que j’ai prise pour vous autres. | もし人々が行いを改めようとしないならば、わたしは息子の腕を放さざるをえません。息子の腕は力強くて重いので、わたしにはこれ以上支えることができないのです。わたしはもう長い間、あなたがたのために苦しんだのです。息子があなたがたを身捨てないよう望むゆえに、わたしは絶え間なく祈らなければなりません。それなのにあなたがた自身は、祈りを軽んじています。あなたがたがいくら祈っても、振る舞いを律しても、わたしがあなたがたのために身に帯びた苦しみを償うことは決してできないでしょう。 |
19世紀後半のフランスは、「悔悛のガリア」の時代でした。フランスの人々はイエスに与えた苦しみを、心からの悔悛と愛を以て償おうとしました。
ラ・サレットの聖母は「あなたがたがいくら祈っても、振る舞いを律しても、わたしがあなたがたのために身に帯びた苦しみを償うことは決してできないでしょう」と語り、イエスと聖母への忠実な愛を求めています。ラ・サレットの聖母はフランスの人々に求めたのは、何よりもまず「神への愛」でした。それゆえ、聖母が子供たちに預言を示す姿は、「十字架」でも「錨」でもなく、「愛」を表す「心臓」に刻まれています。
もう一方の面には、ラ・サレットの聖母に執り成しを求める祈りの言葉が打刻されています。
Notre-Dame de la Salette, priez pour nous. ラ・サレットの聖母よ、我らのために祈りたまえ。
聖母や聖人に執り成しを求める祈りがメダイに刻まれるのはよくあることなので、読み流してしまいそうになりますが、本品に刻まれた祈りの言葉が、「息子の腕は力強くて重いので、わたしにはこれ以上支えることができないのです」と語ったラ・サレットの聖母に向けられていることを考えると、当時の人々の真摯な祈り、イエスへの不正を償いたいという誠実な気持ちが伝わってきます。
本品に彫られた群像には、フランスのメダイにしばしば見られるような驚嘆すべき細密性はありませんが、決して粗雑な作品ではありません。写真ではよくわかりませんが、聖母が子供たちに視線を注ぎ、子供たちが聖母の顔をまっすぐに見上げて教えに耳を傾けている様子が、あたかもその光景を眼前に見るかのような臨場感を以て再現されています。一見したところ単純な線のみで構成された群像にこれほどのリアリティを持たせるのは、優れたメダイユ彫刻家のみが為し得る仕事です。
銀は信心具に使われる最高の素材ですが、20世紀初頭頃までは社会全体があまり豊かでなかったので、銀はめっきとして使われる場合がほとんどでした。19世紀の銀無垢メダイがあまりにも薄く小さいことに、しばしば驚かされます。しかしながら、本品は大きめのサイズで、しっかりとした厚みもあるにも関わらず、銀を惜しまずに使っています。これは「イエスへの裏切りを償いたい」、「イエスと聖母に最高のものを捧げたい」という真摯な気持ちの表れであり、本品は素材の点においても「悔悛のガリア」にふさわしいメダイであるといえます。
本品は百数十年前に制作された真正のアンティーク品ですが、保存状態は極めて良好です。古い物でありながら磨滅がほとんど見られず、細部まできれいに残っています。