極稀少品 優れた細密浮き彫りによる芸術の香気 《エドモン・アンリ・ベッケル作 修道院長聖オディリア 直径 15.4 mm》 ラテン語による小メダイ フランス 1910
- 30年代
突出部分を除く直径 15.4 mm 厚さ 2.1 mm 重量 1.5 g
聖オディリア(聖オディル、聖オッティーリエ)はアルザス公を父に持つメロヴィング時代の聖女で、目が不自由な人の守護聖人、ならびにアルザスの守護聖人と考えられています。カトリック教会では12月14日、正教会では12月13日が祝日となっています。
オディル及びオッティーリエは、フランク語で豊かさを表す名前です。オディリアはオディルのラテン語形、すなわちフランク語オディルにラテン語式語尾を付けて、ラテン語らしい響きを持たせた語形です。本品ではラテン語形オディリアが使われていますが、これは二十世紀半ば以前の古いメダイによく見られる特徴です。
(上) オアンブール女子修道院付属聖堂の鐘楼に立つ聖オディリア像
本品はおよそ百年前に制作されたメダイで、フランスの高名な彫刻家エドモン・アンリ・ベッケルによります。サンクタ・オディリア(羅 SANCTA
ODILIA)の文字で囲まれた聖女の浮き彫りは、オアンブール女子修道院付属聖堂の鐘楼に立つ像をモデルにしています。
伝承によるとオディリアはアルザス公の長子として生まれましたが、父が跡継ぎの男子を望んでいたにも関わらず女子として生まれ、しかも生まれつき盲目であったせいで父に見捨てられ、十三歳までヴォージュ山中の修道院で育てられました。この修道院は上記の像があるオアンブール女子修道院とは別で、ボーム=レ=ダム(Baume-les-Dames ブルゴーニュ=フランシュ=コンテ地域圏ドゥー県)に現存しており、サントディル修道院(聖オディリア修道院)と呼ばれています。
父に疎まれた少女がボーム=レ=ダムの修道院にいたとき、アイルランドの宣教師聖エルハルトが神から命じられてこの修道院に立ち寄り、少女に洗礼を授けました。その際エルハルトが少女の眼に聖油を付けると、少女は視覚を取り戻したと伝えられます。少女はそのときからオディル(仏
Odile)またはオディリア(羅 ODILIA)と呼ばれるようになりました。
オディリアが修道院から戻った当初、父はオディリアを温かく迎えてはくれませんでした。しかしながら城内の一室に住むようになった娘を父は徐々に受け容れ、やがて娘の修道生活に理解を示すようになりました。亡くなる数年前、父は居城を娘に譲り、オディリアは城を修道院に変えました。これが現在まで存続するオアンブール女子修道院です。オディリアはオアンブール女子修道院の創設者であり、初代院長でもあります。
修道院長聖オディリアが左手に持つ書物は、ベネディクト戒律の象徴です。
生まれつき盲目であったオディリアは、洗礼の際に視力を回復しました。それにも関わらず図像における聖オディリアは、しばしば視覚障碍者のような表情で描かれます。開いた両眼は聖女の顔ではなく、書物の上にあります。本品の浮き彫りでも、やはりそのような描写がなされています。
修道院長聖オディリアは視覚を回復しているはずなのに、聖女の表情は幼時と変わらず盲人のようであり、開いた両眼が聖女の顔ではなくベネディクト戒律の上に描かれる理由は、聖オディリアが与えられた視覚を自身のためではなく、神のために使っているからです。洗礼によって視覚を取り戻した聖オディリアは、その後の人生の全て、知情意の全て、五感の全てを神に捧げました。自身を神に捧げた聖オディリアは自らの立場で物を見る眼を放棄して、神のうちに生き、いわば全てを神のために見ることで、却って明敏な視力を手に入れました。開いた両眼を聖女の顔ではなくベネディクト戒律の上に描いた聖オディリア像は、聖女の生き方を可視的に表現したものなのです。
修道戒律に重ねて表現された二つの眼は、知情意の全て、五感の全てをを神に捧げたオディリアの生き方を象徴します。これに加えて二つの眼は、聖人の列に加えられたオディリアがアルザスを見守り、さらには世界の人々を見守る眼を表しています。
とりわけ本品メダイに浮き彫りにされたオディリアは、オアンブール女子修道院の鐘楼頂上からアルザスを見守る聖女の像をモデルとしています。本品メダイに彫られた眼は、鐘楼上の聖オディリアが眼下に見下ろすアルザスと世界に向ける温かな眼差しであり、祝福のため差し伸べられた聖女の右手と共に、守護の聖女オディリアを通して神が全ての人々に注ぎ給う愛の象(かたど)りとなっています。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。浮き彫り各部の優れた出来栄えは、大型彫刻に勝るとも劣りません。右手を挙げて人々を祝福する聖オディリアの柔らかな微笑みに、神から発出する不可視の愛が美しく形象化されています。
聖オディリアの向かって右側、聖女の左肩(向かって右肩)の後ろ付近に、エドモン・アンリ・ベッケルの署名(BECKER)が刻まれています。
メダイの裏面にはオアンブール修道院の風景が浮き彫りにされています。修道院付属聖堂の鐘楼が中央に聳え、浮き彫りのモデルとなった聖オディリア像が、丸屋根の頂上に立っています。
こちらの面にメダユール(仏 un médailleur メダイユ彫刻家)の署名はありませんが、もう一方の面と同様に、エドモン・アンリ・ベッケルによる浮き彫りと考えられます。
エドモン・アンリ・ベッケル(Édmond Henri Becker, 1871 - 1971)はフランスの多彩な芸術家です。
ベッケルは 1871年にパリで生まれ、現在パリ15区にある国立高等工芸美術学校(L'École nationale supérieure des arts appliqués et des métiers d'art, ENSAAMA 別名エコール・オリヴィエ=ド=セール École Olivier-de-Serres)の前身、エコール・ジェルマン・ピロン(École Germain-Pilon)で、動物彫刻家のシャルル・ヴァルトン(Charles Valton, 1851 - 1918)に師事しました。フランス芸術家協会(Salon des Artistes Français)の会員となり、弱冠二十歳であった 1892年以降のサロン展に参加しています。
ベッケルがデザインを制作したブシュロンの振り子式置時計 1900年
1900年のパリ万国博覧会では、高級宝飾店ブシュロンの出品作品のデザインによって金メダルを、1911年のサロン展では一等(プルミエール・クラス
première classe)のメダルを受賞しました。
ベッケルは宝飾品をはじめとする彫金作品、丸彫り彫刻、木版画、ガラス工芸を含む多くの分野に優れた作品を残しましたが、最も力を注いだのはメダイユ彫刻でした。当店がこれまでに扱ったベッケル作の浮き彫りとしては、本品以外に幼きイエスの聖テレジアの釣り鐘型プラケットとパリの聖ジュヌヴィエーヴの円形メダイがありますが、本品を含めこれらのいずれもが極めて美しく、芸術の薫り高い作例となっています。
上の写真に写っている定規のひと目盛りは、一ミリメートルです。高さ十ミリメートル、幅十二ミリメートルの中に浮き彫りで描かれた修道院の建築群には、小さなメダイを超えた広がりが表現されています。背景に見えるアルザスの山々と針葉樹の香り、山頂の修道院を包むモン・サントディル(聖オディリア山)の冷気が、ベッケルの優れた浮き彫りにより、居ながらにして感じられます。
上の写真は本品を男性店主の手に載せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりも一回り大きなサイズに感じられます。
本品は古い品物にも関わらず、保存状態は極めて良好です。直径 15.3ミリメートルと小さめのサイズは、どのような服装にも合わせることができます。
メダイが制作される数と種類は、聖人によって大きく異なります。イエス・キリストと聖母マリアは別格としても、それ以外で多種のメダイが制作されるのは聖クリストフォロスと聖フランチェスコとリジューの聖テレーズ、作られる数が多いのは聖ベネディクトゥスのメダイでしょうか。
筆者(広川)は長年に亙ってフランス製メダイを扱ってきたので、聖オディリアのメダイもこれまでに数点を目にしましたが、この聖女のメダイはいずれも稀少でめったに手に入りません。また少数ながら制作されるメダイも定型化が進み、聖オディリアはどの作品でも右手に牧杖、左腕に本を持つ同じ姿で表現されます。しかるにベッケルよる本品のオディリアは姿勢の点でも、上半身のみが表されている点でも非定型的で、これまでに筆者が見た唯一の作例です。
優れたメダイユ彫刻家ベッケルの作品だけあって、本品は通常のメダイとは一線を画する芸術品となっています。そもそも聖オディリアのメダイはいずれもが稀少品ですが、ベッケルによる本品はいくら探しても見つかるものではなく、再入荷はおそらく不可能です。お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。
本体価格 27,800円
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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