福音書に登場する聖女たちに随(したが)ってパレスチナからカマルグに渡ったエジプト人の娘サラの非常に珍しいメダイ。フランスの多才な芸術家レオポルド・ジョルジュ・クルーザ
(Léopold Georges Crouzat, 1904 - 1977) の作品で、直径4センチメートルを超える立派なサイズです。
このメダイにおいて、サラは中近東風の衣装を身に着けて、サント=マリ=ド=ラ=メールのバシリカ」(Basilique des Saintes Maries de la Mer) の前に立っています。周囲にはフランス語で「旅する人々の守護聖人、聖サラ」(Sainte Sara, patronne des gens du
voyage) と刻まれています。「旅する人々の守護聖人」とは、「ジプシーの守護聖人」という意味です。
9世紀に起源を遡り、ヤコブス・デ・ヴォラギネの「レゲンダ・アウレア」("Legenda Aurea" XCVI, c. 1260) にも収録されている伝承によると、三人の聖マリア、すなわちマリア・ヤコベ、マリア・サロメ、マグダラのマリアは帆も舵も無い小舟に乗ってパレスティナを脱出し、南フランスのカマルグに上陸しました。聖女たちのうち、マグダラのマリアはマルセイユで福音を広めた後、サント=ボーム山塊の洞窟に籠りましたが、マリア・ヤコベとマリア・サロメは侍女サラとともにカマルグに残り、この地で福音を広めた後に亡くなりました。三人の聖女(マリア・ヤコベ、マリア・サロメ、サラ)の遺体はカマルグに手厚く葬られました。
サラは「サラ・カリ」(Sara Kali 「浅黒い肌のサラ」あるいは「ジプシーのサラ」)と呼ばれ、ジプシーの守護聖女とされています。19世紀中頃以来、サント=マリ=ド=ラ=メールは「サラ・カリ」の巡礼地として、ヨーロッパじゅうのジプシーの尊崇を集めるようになりました。毎年5月の第四週末には、ヨーロッパ各国から何千人ものジプシーがサント=マリ=ド=ラ=メールの聖堂に集います。土曜日のミサでは巡礼者たちが聖堂でサラ・カリに賛歌を捧げるなか、聖遺物の棺がゆっくりと天井から降ろされます。サラ・カリの聖像が地下の祭室から運ばれて来ると、巡礼者たちは聖像を運ぶ行列を作り、薔薇の花びらを敷き詰めた道を通って海岸まで歩きます。サント=マリ=ド=ラ=メールに集うジプシーたちは、祭礼の終わりに次のような祈りを捧げます。
「聖サラよ、我らを正しく導きたまえ。善き信仰と善き健康を与えたまえ。我らを嫌う者の心を変えて、我らに親切であらせたまえ。」
本品は画家、メダイユ彫刻家であったレオポルド・ジョルジュ・クルーザ (Léopold Georges Crouzat, 1904 - 1977)
の作品です。クルーザはパリの国立高等美術学校 (L'École nationale supérieure des Beaux-Arts de
Paris, ENSBA) でポール・ランドフスキ (Paul Maximilien Landowski, 1875 – 1961) に師事し、サロン展
(Le Salon des artistes français) では 1928年に選外優良賞 (mention honorable)、1938年に銀メダルを受賞しています。また
1937年のパリ万国博覧会でも銀メダルを受賞しています。
クルーザの師ポール・ランドフスキはポーランド系の彫刻家です。リオ・デ・ジャネイロのキリストの巨像はランドフスキの作品です。