福音書に登場する聖女たちに随(したが)ってパレスチナからカマルグに渡ったエジプト人の娘サラの非常に珍しいメダイ。
メダイの表(おもて)面には、カマルグのバシリカ「サント=マリ=ド=ラ=メール」(Basilique des Saintes Maries de
la Mer) に秘蔵されている聖サラ像を楕円画面の中央に浮き彫りにしています。楕円画面の上部に「サント・サラ」(Sainte Sarah フランス語で「聖サラ」)の文字があります。
聖像を囲む幅広の縁には金属のインゴットを連想させる視覚的重量感があります。余分なものをそぎ落とした「マッス」(masse フランス語で「塊」)による表現は、20世紀中ごろのデザインに見られる特徴です。
裏面にはカマルグにあるサント=マリ=ド=ラ=メールのバシリカ」(Basilique des Saintes Maries de la Mer) が浮き彫りにされ、「サント・マリ」の文字が刻まれています。「サント・マリ」(Saintes Maries フランス語で「聖マリアたち」)が複数形であるのは、マリア・ヤコベとマリア・サロメを指しています。
カマルグ (la Camargue) はローヌ川が地中海に注ぎ込む地点にある広大な三角州です。9世紀に起源を遡り、ヤコブス・デ・ヴォラギネの「レゲンダ・アウレア」("Legenda Aurea" XCVI, c. 1260) にも収録されている伝承によると、三人の聖マリア、すなわちマリア・ヤコベとマリア・サロメ、及びマグダラのマリアは帆も舵も無い小舟に乗ってパレスティナを脱出し、カマルグに上陸しました。
聖女たちのうち、マグダラのマリアはマルセイユで福音を広めた後、サント=ボーム山塊の洞窟に籠りましたが、マリア・ヤコベとマリア・サロメは侍女サラとともにカマルグに残り、この地で福音を広めた後に亡くなりました。三人の聖女(マリア・ヤコベ、マリア・サロメ、サラ)の遺体はカマルグに手厚く葬られました。
サラは「サラ・カリ」(Sara Kali 「浅黒い肌のサラ」あるいは「ジプシーのサラ」)と呼ばれ、ジプシーの守護聖女とされています。19世紀中頃以来、サント=マリ=ド=ラ=メールは「サラ・カリ」の巡礼地として、ヨーロッパじゅうのジプシーの尊崇を集めるようになりました。
毎年5月の第四週末には、ヨーロッパ各国から何千人ものジプシーがサント=マリ=ド=ラ=メールの聖堂に集います。土曜日のミサでは巡礼者たちが聖堂でサラ・カリに賛歌を捧げるなか、聖遺物の棺がゆっくりと天井から降ろされます。サラ・カリの聖像が地下の祭室から運ばれて来ると、巡礼者たちは聖像を運ぶ行列を作り、薔薇の花びらを敷き詰めた道を通って海岸まで歩きます。
サント=マリ=ド=ラ=メールに集うジプシーたちは、祭礼の終わりに次のような祈りを捧げます。「聖サラよ、我らを正しく導きたまえ。善き信仰と善き健康を与えたまえ。我らを嫌う者の心を変えて、我らに親切であらせたまえ。」
本品は数十年前のフランスで制作された真正のヴィンテージ品ですが、良好な保存状態で、特筆すべき瑕疵(かし 欠点)はありません。
カマルグのバシリカは、「サント・マリ」という名の通り、マリア・ヤコベとマリア・サロメに捧げられた聖堂であって、ジプシーの少女サラは脇役に過ぎず、サラのメダイはほとんど制作されていません。このメダイも、私自身、初めて目にしました。