顔を斜め上に向けて天を仰ぐ聖マドレーヌ(マグダラのマリア)のメダイ。およそ百年前のフランスで制作されたものです。
メダイの表面には、キリストに捧げるナルドの香油を前に置き、いまはただ天上にのみ心を向けて祈るマグダラのマリアが刻まれています。
本品は直径十ミリメートル余りの極小サイズであるゆえに、彫刻家のサインがありませんが、マグダラのマリアの浮き彫りは、リヨンのメダイ彫刻家であるリュドヴィク・ペナン(Ludovic
Penin, 1830 - 1868)の原作に、ジャン・バティスト・ポンセ(Jean-Baptiste Poncet, 1827 - 1901)が手を加えたものです。卓越した才能の持ち主であるにもかかわらず、惜しくも夭逝したメダイユ彫刻家リュドヴィク・ペナンの作品は、十九世紀が終わりに近づく頃、同郷の芸術家ジャン・バティスト・ポンセの手によって現代風(すなわち十九世紀末風)の典雅さが加えられて、数々の美麗なメダイとなりました。
裏面には、最上部に小さな十字架、その下にフランス語で「サント・ボーム巡礼記念」(souvenir de la Sainte Baume) の文字が記されています。
(上) コロタイプによる古い絵はがき "La Sainte Baume : Intérieur de la Grotte", Établissements d'Impressions Photographiques Marius Bar - Toulon 当店の商品
「ラ・サント=ボーム」とはプロヴァンスのフランス語で「聖なる洞窟」という意味で、プロヴァンスに渡ってきたマグダラのマリアが隠修の日々を過ごしたと伝承される洞窟を指します。上の写真はフランスの古い絵はがきで、ラ・サント=ボームの内部を写しています。
商品写真でご覧いただけるように、本品は突出部分が摩滅し、アンティーク品ならではの趣(おもむき)を醸しています。突出部分がこのように摩滅した状態は、メダイユ彫刻家が意図したものではないゆえに、このように摩滅した作品は、新品時に比べて価値が目減りしていると考えられがちです。しかしながら、アンティーク品の持つ歴史性に重点を置いて考えるならば、古さゆえの摩滅や変色はアンティーク品をアンティーク品たらしめている本質的属性であり、一見したところ欠点とも見えるこれらの属性こそが、アンティーク品の本性的魅力であると考えられます。
美術作品に対してはしばしば大がかりな「修復作業」が行われます。美術品の修復は、長い歳月を経て制作当初とは異なる状態に立ち至った美術品を、洗浄や補綴、補色等により、制作当初の外見に若返らせようとする意図に基づきます。近年ではミケランジェロによるシスティナ礼拝堂の壁画と天井画が洗浄され、描かれた当時の色彩がよみがえりました。またラファエロの「鶸の聖母」も洗浄され、鮮やかな色彩がよみがえりました。
このような修復は、一般大衆の目から見れば、素晴らしい文化財保護活動であるように思えます。しかしながら古美術の専門家である美術史家や歴史家からは、しばしば異論が聞かれます。広い視野を持つ美術史家からは、「美術品が歴史的存在である以上、汚れたり、色褪せたり、摩滅したりするのはごく自然なことである。そればかりか、汚れや褪色、破損等の変化は、美術品がたどった歴史と不可分な要素であるゆえに、歴史的存在として見た美術品そのものと不可分な属性である。したがって美術品の来歴を無視し、制作時の状態に戻せばよいと考えるのは、美術品の歴史性を無視した暴挙である」という主張が聞かれるのです。
(上) サモトラケのニケ ルーヴル美術館蔵
これが全く正当な意見であることは、たとえばミロのヴィーナスに失った両腕を復元して取り付け、原色による元の彩色を新たに施した場合を想像すれば、よくわかります。サモトラケのニケに頭部と両腕を付けて色を塗った場合や、東大寺大仏を再めっきした場合を想像しても構いません。このような原状回復あるいは修復に我々は強い違和感を感じますが、それは美術品の歴史性、すなわち美術品はこれまでの歳月と来歴を身にまとった歴史的存在であるということを、我々が無意識のうちに承認しているからです。
ミロのヴィーナスやサモトラケのニケ、東大寺大仏などの大型作品のみならず、小さなアンティーク品にも同じことが言えます。フランスのアンティーク・メダイユは、優れて細密な浮彫を特徴とします。それゆえアンティーク品の歴史性を無視して美術工芸品としての完成度のみを重視するならば、制作されたばかりの新しい作品、あるいは古くても制作当時の状態を保持した作品こそが、高い評価に値することになります。なぜならば出来上がったばかりの作品は、彫刻家の意図に何も加えず、何も引かず、当初の計画通りの状態にあるからです。この考え方に立つならば、摩滅や変色のあるアンティーク品よりも、制作当時の状態を忠実に再現したレプリカ(複製品)のほうが、むしろ価値があることになります。
他方、アンティーク品の歴史性を重視するならば、レプリカには価値がありません。なぜならば、新しく作られたレプリカは、出来不出来にかかわらず、アンティーク品の本質的属性である歴史性を持たないからです。さらにこの考え方に立てば、未使用のまま残っていたデッドストック品も、使い古されたアンティーク品に比べて、むしろ価値が低いことになります。なぜならばデッドストック品は、レプリカほどではないにせよ、やはり歴史性を欠くからです。実際に使われてきたアンティーク品には摩滅や変色がみられますが、真正のアンティーク品にしかないこのような趣は「パティナ」(patina 古色)と呼ばれ、品物の内なる歴史に心を寄せる人々に愛されています。
本品もまさにそのような歴史性を持つメダイユです。突出部分の摩滅と美しいパティナ(古びた色合い)は、アンティークを愛する人の心を満たしてくれます。小さなメダイが身に帯びる歴史的な厚みと重みは、制作当時の状態と引き換えにして、長い歳月のあいだに得られたアンティーク品ならではの魅力です。