聖マドレーヌ(マグダラのマリア)の美しいメダイ。およそ八十年前のフランスで制作された作品で、メダイユ彫刻が発達したフランスならではの、非常に精緻な浮き彫りが施されています。
フランスの伝承によると、マグダラのマリアはマリア・ヤコベ、マリア・サロメとともに帆も櫂も無い舟に乗り、パレスチナを脱出してカマルグに上陸しました。マリア・ヤコベとマリア・サロメは侍女サラと共にカマルグに残り、マグダラのマリアはサント・ボーム山塊に入って洞窟に居を定め、いずれも残りの生涯を祈りに捧げました。
この作品において、マリアは隠修生活を送る洞窟の中にいます。向かって左、マリアの背後に洞窟の開口部が見えており、壺が置かれています。キリスト教の伝統的イコノグラフィーにおいて、ナルドの香油を入れた壺はマグダラのマリアのアトリビュート(聖人を判別する印)であり、洞窟の入り口付近に置かれた壺も香油の壺と思われます。しかしながら比較的大きな壺であること、住居の入り口に置かれていることを考えると水入れのようにも見え、ごつごつした岩肌の写実性と相俟って、マリアが自らに課した苦行の厳しさを、見る者にひしひしと感じさせます。
マリアは敷物も敷かず、脚も裸足のまま、硬く冷たい岩の上に跪(ひざまず)いています。束ねることもなく無造作に伸ばした髪は美しい艶と輝きを失っていませんが、マリアは髑髏(どくろ)を前に地上の生の儚さを思い、十字架上に受難し給うたイエスの愛に包まれて、神との対話に沈潜しています。
マリアの前に置かれた髑髏は、ラテン語で「メメントー・モリー」(MEMENTO MORI) と呼ばれる図像です。「メメントー」(MEMENTO)
は、ラテン語の不完全動詞「メーミニー」(MEMINI, -ISSE 「おぼえている」「忘れずにいる」)の命令形、詳しく言えば命令法未来能動相三人称複数という形で、「人々は今後も憶えていよ」「皆は忘れることが無きようにせよ」という意味です。「モリー」はラテン語の形式所相動詞「モリオル」(MORIOR,
MORI, MORTUUS SUM 「死ぬ」)の不定詞、詳しく言うと不定法現在形で、「死ぬこと」という意味です。したがって「メメントー・モリー」は、「自分がいつかは死ぬということを、誰も忘れることがないようにせよ」という意味です。
上の写真は実物の面積を 110倍に拡大しています。定規のひと目盛は 1ミリメートルです。マリアの姿は生身の若い女性さながらに写実的で、多くの男性たちを虜にした魅力的な体つきが粗衣の下に隠されていることもよくわかりますが、跪くマリアの高さは
9ミリメートルに過ぎません。体の前に組まれた両手や衣の裾からのぞく裸足は一本一本の指や関節まで見事に再現されていますが、いずれの大きさも 1ミリメートルほどに過ぎません。髪の流れや衣の襞までもが大型の彫刻作品さながらの自然さで再現されており、メダイユ彫刻家の芸術的才能と職人的技量は真に驚嘆に値します。
メダイの裏面には大輪の白百合が、あたかも生花を思わせる写実的な浮き彫りで表現されています。白百合は純潔を意味するとともに、神に選ばれた身分を象徴します。本品の浮き彫りは、花や蕾の正確な形状のみならず、花弁の脈管に至るまで見事に再現しています。その精緻さは表(おもて)面に劣りません。
このメダイは 1930年代のフランスで制作された真正のヴィンテージ品ですが、たいへん良好な保存状態です。突出部分に軽度の磨滅が見られますが、浮き彫りの細部は制作当時のままの状態で残っています。フランスにおいて極度に発達したメダイユ彫刻の技術が、小さな画面に遺憾なく発揮された名品です。