稀少品 パルツァムの聖コンラート ピウス11世による列聖記念メダイ 1934年 直径 20.4 mm


突出部分を除く直径 20.4 mm

1934年



 ドイツのフランシスコ会士ブルーダー・コンラート(コンラート修道士、パルツァムの聖コンラート)はその聖徳と行った数々の奇跡のゆえに、ピウス11世によって、1930年に福者の列、1934年に聖人の列に加えられました。本品は1934年の列聖時に制作されたもので、一方の面にコンラート修道士、もう一方の面に教皇ピウス11世を刻んでいます。





 聖コンラート修道士 (Hl. Bruder Konrad von Parzham, 1818 - 1894)アルテッティングの聖アンナ修道院に配属され、亡くなる3日前まで 41年にわたって日々忠実に門番の務めを果たし、グナーデンカペッレ (Gnadenkapelle) を訪れる巡礼者たちの心身の必要を満たすために奉仕にいそしみました。

 本品の浮き彫りにおいて、フランシスコ会の修道衣を着た聖コンラートは、地上を棄てて天上に憧れる魂の在りようそのままに、クルシフィクスをじっと見つめています。聖人の大きな手は、あたかも幼子を抱くかのように愛しげに、クルシフィクスを捧げ持っています。聖人の顔とクルシフィクスの距離がずいぶん近く描かれていますが、これは図像全体を小さなメダイの画面内に収める空間的要請のためのみならず、神と聖人の親密さを可視化した表現でもあります。


 聖人の周囲にはラテン語で「サンクトゥス・コンラドゥス・アー・パルツァム」(SANCTUS CONRADUS A PARZHAM パルツァムの聖コンラート)と記されています。ドイツ語、フランス語等の近代語の代わりにラテン語を使うのは、古い時代のメダイの特徴です。

 なおラテン文字(ローマ字)の小文字はカロリング時代(8世紀)に発明されたもので、古代のラテン語には大文字しかなく、"U" は "V" と表記されていました。"U" は小文字がまず作られて、そこから大文字が派生しました。古代のラテン語には小文字も無く、"U" の大文字も無かったのです。したがって "CONRADUS" を "CONRADVS" と書くのは、ラテン語のなかでもさらに擬古的な表記法です。





 メダイのもう一方の面には、コンラート修道士を1930年に列福、1934年に列聖した教皇ピウス11世の横顔が浮き彫りにされ、周囲にラテン語で「教皇ピウス11世」(PIUS XI PONTIFEX MAXIMUS) と書かれています。

 コンラート修道士を列聖した教皇ピウス11世は、リジューのテレーズやベルナデット・スビルーをはじめ現在でも特に親しまれている幾人かの聖人を列聖しました。また戦間期にあって平和維持のために尽力した教皇として高く評価されています。

 本品が制作された 1934年は、8月2日にドイツのヒンデンブルク大統領が亡くなると、同月19日の大統領選でアドルフ・ヒトラーが当選して国家元首となりました。この頃のピウス11世はナチス政権を承認していましたが、1937年には回勅「燃ゆるがごとき懸念を以って」 ("Mit brennender Sorge") によってナチスの非人道性を厳しく批判します。修道院の門番という地味な仕事に日々勤しみ、愛を以って巡礼者たちの世話をしたコンラート修道士の生き方に、実直な人物であったピウス11世は強く共感したことでしょう。


 本品はおよそ80年前に制作された真正のヴィンテージ品ですが、細部までよく残る良好な保存状態です。門番であるコンラート修道士と教皇であるピウス11世は、カトリック教会の序列においても世間への影響力においても対極にありつつ、同じ神を求めました。メダイユ彫刻家の優れた才能と技量によって、神に焦がれる魂の在りようが修道士と教皇の横顔にそれぞれ可視的に投影され、奥深い精神性を有する作品に仕上がっています。





9,500円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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