ルルドの聖母の出現を受けた少女、ベルナデット・スビルー (Bernadette Soubirous, 1844 - 1879) のメダイ。表(おもて)面にベルナデットの上半身像、裏面に聖母出現のシーンを刻んでいます。
メダイに刻まれるベルナデットの肖像には、俗人姿のものと修道女姿のものがあります。本品のベルナデットは俗人の服装をしています。
ルルドの聖母が現れたのは、ベルナデットが十四歳であった 1858年のことです。このとき以降 1860年6月まで、ベルナデットは家族と共に住み、家事、幼い弟妹たちの世話、自身の学業にいそしんでいました。しかるに、聖母出現後のルルドを訪れる巡礼者たちは、ベルナデットの都合など考えずに面会を求め、なかにはベルナデットの髪や衣服、シャプレ(数珠 ロザリオ)などを聖遺物として持ち帰るために無理やり奪おうとすることさえありました。このような状況ゆえに、1860年の春以降、ベルナデットは愛徳姉妹会がルルドで運営するオスピス(un hospice 救貧院)で暮らすことになりました。このメダイに刻まれたベルナデットの半身像は、オスピスの司祭であるベルナドゥー神父
(l'abbé P. Bernadou) が 1861年か 1862年頃に撮影した写真に基づいて制作されたものと思われます。
本品はわが国の百円硬貨と同じ直径で、メダイとしては大きめのサイズです。浮き彫りの出来栄えはたいへん優れており、あたかも生身のベルナデットを眼前に見るかのような錯覚を覚えさせます。ベルナデットは口許に微かな微笑みを浮かべつつ、両目を開いて斜め上を見上げています。ベルナデットの穏やかな表情には、聖母に見(まみ)えた少女の混じり気のない信仰心が、見事に形象化されています。
上の写真に写っている定規のひと目盛は 1ミリメートルです。ベルナデットの顔の各部は言うまでもなく、髪を被う布や肩掛けの襞、組み合わせた手から、シャプレ(数珠、ロザリオ)のクルシフィクスとビーズ、肩掛けの房飾り等の細部に至るまで、大型の浮き彫り彫刻に勝るとも劣らない見事な仕上がりです。本品を制作したメダイユ彫刻家は、作品にサインを残していませんが、美的感覚と職人的技量の両方においてたいへん優れた能力を発揮しています。
浮き彫りを取り巻くように、「ベルナデット・スビルー」(Bernadette Soubirous) の文字が刻まれています。ベルナデットは教皇ピウス十一世によって
1925年に列福、1933年に列聖されますが、本品においてはベルナデットの名前に何の称号も付されておらず、このメダイの制作時期はベルナデットの列聖前であることがわかります。
ピウス11世よりも二代前の教皇ピウス十世(Pius X, 在位 1903 - 1914)は、1913年 8月 13日、ベルナデットの列福手続きの開始を宣言した際に、ベルナデットを「尊者」(vénérable)
と宣言しました。またピウス十一世即位の翌年である 1923年11月18日には、ヴァティカン宮殿の君主の間 (Sala Ducale) で、尊者ベルナデット・スビルーの徳に関する教令が読み上げられました。本品はこれら二つのうちいずれかを記念するもの、私見ではベルナデットが「尊者」と宣言された
1913年に制作されたものと思われます。
裏面は 1858年にマサビエルの洞窟においてルルドの聖母が出現したときの様子を浮き彫りにしています。「ロサ・ミスティカ」(ROSA MYSTICA ラテン語で「奇(くす)しき薔薇」)である無原罪のマリアは、エヴァの罪に傷つくことなく、茨の繁みに裸足で立っています。当時14歳のベルナデットはヴェールを被り、右手にシエルジュ(大ろうそく)、左手にシャプレを持って、聖母の前に跪いています。
上の写真に写っている定規のひと目盛は一ミリメートルです。人物の顔は直径一ミリメートルに満ちません。人物像は突出部分であるゆえに軽度の磨滅が見られますが、もともとはきちんと表情が造形されていたことがうかがえます。衣の襞や岩肌のごつごつした様子、聖母の足下で花を咲かせる茨、ロザリオのビーズなどの細部も丁寧に仕上げられています。
本品は百年以上前に制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にもかかわらずたいへん良好な保存状態です。立体感のある作りにもかかわらず、突出部分の磨滅はごくわずかで、細部まできれいに残っています。左肩あたりに何かとこすれ合った痕があり、古色(経年による変色)が失われていますが、時間が経てば再び古色に被われます。
「聖ベルナデット」のメダイは入手しやすく、「福者ベルナデット」のメダイも稀に見つかります。しかしながら列福前のメダイは非常に珍しく、当店で扱うのは本品が三点目です。