一方の面にはイエズスとその聖心、もう一方の面にはマルセイユの守護の聖母ノートル=ダム・ド・ラ・ガルドをそれぞれ浮き彫りにしたメダイ。直径 12ミリメートルと指先に乗る小さなサイズながら、800シルバーでできた高級品です。
一方の面には、マルセイユの象徴、バジリク・ノートル=ダム=ド=ラ=ガルドの鐘楼頂上にそびえ、「ラ・ボンヌ・メール」(優しい聖母さま)として市民に親しまれる聖母子の巨像、「ノートル=ダム・ド・ラ・ガルド」(守護の聖母)が浮き彫りにされています。聖母は戴冠し、左胸の前に抱いた幼子イエズスこそが救い主キリストであることを人々に示しています。聖母子の周囲には、優しい守護の聖母に執り成しを祈る言葉がフランス語で書かれています。大文字の
"U" のかわりに "V" を使うのは、クラシカルなラテン語式の表記です。
Notre-Dame de la Garde, priez pour nous. ノートル=ダム・ド・ラ・ガルドよ、我らのために祈り給え。
聖母の背後にメダイ彫刻家のサイン (TAIRAC) があります。
近代思想が力を得て、カトリック教会が危機感を募らせた19世紀後半は、あたかも近代思想に立ち向かうかのような力強い聖母子の巨像が、フランス各地に建立された時代でした。ノートル=ダム・ド・ラ・ガルドが祝別されたのは
1870年です。またル・ピュイ=アン=ヴレ(オーヴェルニュ)にある高さ16メートルの聖母像ノートル=ダム・ド・フランスの祝別は 1860年に行われました。美しく強い聖母は「ヨハネの黙示録」12章において竜と戦う女性であり、まさに「ノートル=ダム・ド・ラ・ガルド」(守護の聖母)の名にふさわしい姿です。
もう一方の面には聖心を示すイエズス・キリストが浮き彫りにされています。キリストは衣の前をはだけ、愛に燃える聖心を左手で示し、右手で祝福の仕草をしています。
19世紀後半以来、フランスでは「悔悛のガリア」の運動が盛んに行われていました。信仰深い人たちにとって、フランス革命とコミューンの内戦による荒廃、普仏戦争での敗戦、第一次大戦による荒廃は、マルグリット=マリを介して示された聖心の啓示をフランスが無視した報いと思われたのです。
(下・参考画像) キリストに身を投げかける悔悛のガリア。背景は
1914年9月4日のドイツ軍による空襲で炎上するランス司教座聖堂ノートル=ダム。当店の商品。
本品は第一次世界大戦期、あるいは第一次大戦が終わってあまり時間が経たない頃に制作されました。第一次世界大戦ではフランスの国土全体が戦場となり、軍人軍属の戦死者のみならず、無数の戦災死者、戦争寡婦、戦争孤児を出しました。その荒廃からフランスがいまだ立ち直りきれず、戦争の記憶も生々しい時期に制作されたこのメダイには、聖心を示すイエズス・キリストの前に身を投げ出して神の愛に縋(すが)ろうとする当時のフランスの人々、「悔悛のガリア」の祈りが籠められています。
本品の材質は銀で、フランスにおいて800シルバー(純度 800/1000の銀)を示すホールマーク「イノシシの頭」が、上部の環に刻印されています。シルバーはメダイの素材として最も高級なもので、ふつうはブロンズ製メダイのめっきに使われますが、本品は小さなサイズながらもメダイ全体が銀で出来ており、能(あた)う限り最高のものを神に捧げたいと願う当時の人々の祈りが伝わって来ます。
商品写真は実物の面積をおよそ70倍に拡大しているため、突出部分が磨滅しているのが分かりますが、実物を肉眼で見ると充分に美しいコンディションです。突出部分の磨滅のせいで、メダイ全体に優しい丸み、真正のアンティーク品ならではの趣(おもむき)が生まれています。