フランスで制作された古いメダイ。30ミリメートルを超える直径、3ミリメートル近い厚さ、10.6グラムの重量があり、手に取ると心地よい重みを感じます。五百円硬貨の直径は
26.5ミリメートル、厚さは 1.8ミリメートル、重量は 7.0グラムですから、本品は五百円硬貨よりもずっと立派なサイズです。
本品には手作業で透かし細工が施されています。型から鋳造されたままのメダイは、少なくとも鋳造された時点では同じものが複数個あるわけですが、本品は透かし彫りを施されることにより、世界に類品の無い「一点もの」になっています。
本品の中央部分には「五つのパンと二匹の魚」が透かし彫りで表されています。イエス・キリストは公生涯において、話を聞きに集まった群衆のためにパンを増やす奇跡を二度、起こしておられます。「五つのパンと二匹の魚」が関わるのはこのうち一度目の奇跡で、これについてはすべての福音書に記録が見られます。「マタイによる福音書」の該当箇所(14章
14 - 21節)を、新共同訳により引用します。
夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。 |
これはイエスが実際に起こされた奇跡ですが、象徴的な意味も有しています。イエスが「天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった」(マタイ
14: 19)様子は、最後の晩餐の際にイエスがされたことと同じです。「マタイによる福音書」の該当箇所(26章 26節 新共同訳)には次のように書かれています。
一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子たちに与えながら言われた。「取って食べなさい。これはわたしの体である。」
したがって男性だけで五千人、女性と子供を含めるとおそらく一万人以上の人々を満足させてなおあり余ったパンは、キリストが与え給う御体、すなわち人間が受けきれないほど大きな神の愛を象徴します。上の引用箇所の末尾には、「残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった」と書かれています(マタイ
14: 20)。パンの屑が十二の籠いっぱいになった事実は、パンに象徴される神の恵みの豊かさを如実に物語っています。
聖書の内的照応からは話が逸れますが、本品の意匠を美術史のコンテキストに置くとき、「魚」も無意味ではありません。生まれて間もないキリスト教会がローマ帝国から迫害を受けていた時代から、「魚」はイエス・キリストの象徴であったからです。
「イエースース・クリストス・テウゥ・ヒュイオス・ソーテール」(Ἰησοῦς Χρειστὸς Θεοῦ Υἱὸς Σωτήρ ギリシア語で「イエス・キリスト、神の子、救い主」の意)というフレーズにおいて、各単語の頭文字を並べると、「イクテュス」(ἰχθύς ギリシア語で「魚」の意)という単語ができます。象徴的図像としての「魚」は、「錨」や「善き羊飼い」と並んで、初期キリスト教徒に最も愛用されました。それゆえ初期キリスト教徒たちの目から見ると、イエスの周りに集まった群衆が「魚」を食べたことは、「パン」を食べたことと同様の意味を有したに違いありません。
「五つのパンと二匹の魚」を取り巻くように、次の言葉がラテン語で刻まれています。
PANEM CŒLESTEM ACCIPIAM われ、天のパンを受けむ。(私は天のパンを受けましょう。)
「天のパン」とはいうまでもなく聖体のことであり、トマス・アクィナスの「天使のパン」に類した表現です。幅広の字体でしっかりと刻まれた文字は、神に愛される大きな喜びを物語っています。
本品の大きなサイズ、大胆に簡略化したデザイン、力強い文字は、神が与え給う愛と恵みの豊かさを象徴します。神の恩寵の大きさはどのようにしても表せるものではありませんが、メダイの中央で溢れそうになるパンを受ける小さな籠が、「人間の小ささ」と、「小さな人間が神の愛を受ける喜び」を巧みに表現しています。