十九世紀末頭に制作された美麗メダイユ。十二歳の少女の初聖体を記念する銀無垢の高級品で、上部に突出した環にテト・ド・サングリエ(仏 tête de sanglier イノシシの頭)が刻印されています。テト・ド・サングリエは純度八百パーミル(800/1000 八十パーセント)の銀を示すパリ造幣局のポワンソン(仏
poinçon 貴金属の検質印)です。重量は 4.6グラムで、百円硬貨とほぼ同じです。
左右非対称の意匠に曲線的な植物を合わせた本品には、アール・ヌーヴォーの強い影響が見られます。アール・ヌーヴォーは幕末にヨーロッパに紹介された日本美術を源流とし、1910年代頃までのヨーロッパを席捲しました。本品はこの時期のフランスで制作されたもので、「ベル・エポック」(仏
la Belle Époque 美しき時代)と呼ばれた当時の華やぎを身に纏っています。
メダイの一方の面には、少女の横向きの上半身が非常に丁寧な浮き彫りで表されています。十二歳の少女は初聖体の拝領者で、胸の前に手を合わせつつ、カリス(聖杯)上に浮かぶ聖体を仰いでいます。
聖体には "IHS" の文字が見えますが、これはラテン文字の「イ・アシュ・エス」(アイ・エイチ・エス)ではなくて、ギリシア文字の「イオタ・エータ・シグマ」です。大文字シグマの標準字体は
Σ ですが、特にラテン文字圏では異体字 S がしばしば使われます。
「イオタ・エータ・シグマ」は救い主の御名イエースース(希 Ἰησοῦς)の略記で、クリストグラム(仏 christogramme キリストを表す象徴的文字)のひとつです。良く知られたクリストグラムとしては「キー・ロー」(XP)、「アルファー・カイ・オーメガ」(AΩ)、イクテュス(ΙΧΘΥΣ)、「イー・エヌ・エル・イー」(INRI ラテン語読み)が挙げられますが、聖体の美術表現においては「イオタ・エータ・シグマ」(IHS)が常用されます。
聖体に「イエースース」(IHS)の文字が浮き出ている理由は、実体変化後の聖体がもはらパンではなく、キリストの御体、すなわちイエス・キリスト御自身であるからです。トマス・アクィナスは韻文による「サクリース・ソレムニイース」(SACRIS
SOLEMNIIS)で次のように謳っています。日本語訳は筆者(広川)によります。
Panis angelicus fit panis hominum; Dat panis caelicus figuris terminum; O res mirabilis: manducat Dominum Pauper servus et humilis. |
天使のパンが、人のパンになる。 天のパンにより、数々の前表が終わりを告げる。 なんと驚くべきことであろう。 貧しく卑しき僕(しもべ)が主を食べるとは。 |
実体変化後の聖体はあくまでもコルプス・クリスティ(羅 CORPUS CHRISTI キリストの御体)であって、決してパンではありません。「天使のパンが人のパンになる」(羅 PANIS ANGELICUS FIT PANIS HOMINUM)という詩的な表現でトマスが言っているのは、キリストご自身の御体が、それを拝領する人の魂の糧となり、魂に永遠の生命を与え給うということです。
本品は聖体とクリストグラムを重ねる一方で、少女に白百合を重ねています。聖体に重ねたクリストグラムが聖体そのものの属性を示すのと同様に、少女に重ねた白百合は、少女自身が持つべき徳性を表しています。百合は「純潔」「神の摂理に対する信頼」「神に選ばれた身分」の象徴ですから、本品はこれら三つの属性を持つべきキリスト者として、初聖体の少女を描写しています。
まず、純潔に関して。初聖体を拝領する少女はまだ十二歳ですから、処女の純潔を失っていません。医学的知見や現代の価値基準に照らして考えても、十二歳は性行為には早すぎますが、現代に比べて世俗化が進まずカトリック教会の力が強かった十九世紀のフランスでは、若い女性たちは修道女になること、少なくとも生涯の一時期を修道院で過ごすことを、しばしば教会から勧められました。現実はどうであれ、性の純潔は若い女性が第一に守るべき徳と考えられていました。
次に、神の摂理に対する信頼に関して。初聖体の少女とそう違わない年齢であったはずの少女マリアは、神の摂理を無条件に信頼し、「お言葉通りこの身に成りますように」と答えました。聖母はキリスト者の鑑(かがみ 手本)ですが、とりわけ少女たちは全ての点においてマリアに倣うように教えられており、それは百合が象徴する信仰、神の摂理への信頼に関しても同じことでした。
最後に、神に選ばれた身分に関して。百合は神による選びの象徴であり、図像においては男女の殉教者、証聖者とともに描かれますが、百合に最も相応しい聖人は「神の花嫁」として選ばれた処女マリアです。キリスト教に基づく伝統的解釈において、「雅歌」に登場する「おとめ」は聖母マリアを指すとされますが、同書三章二節はおとめについて「おとめたちの中にいるわたしの恋人は、茨の中に咲きいでたゆりの花」(新共同訳)と謳っています。ローブ・ド・マリエ(仏
robe de mariée ウェディング・ドレス)を着た初聖体の少女は、キリストの花嫁です。神の花嫁マリアに百合が相応しいのと同様に、キリストの花嫁となる初聖体の少女にも、百合は相応しい花なのです。
本品に浮き彫りにされた少女は、顔立ちと手の形が美しく整っているのみならず、顔、手、肩のそれぞれが自然な丸みを持ちつつ、肩が最も手前に突出しているように見えます。本品は浮き彫りの小品彫刻ですから、作品の各部は見て感じられるほどの物理的凹凸を実際に有してはいません。それにもかかわらず本品は、生身の少女を眼前に見るかのような錯覚を抱かせます。視覚上の三次元性に加えて、ヴェールの透け感や香しい白百合の写実的表現、不定形な雲の巧みな表現など、メダユール(仏 médailleur メダイユ彫刻家)の芸術的才能と優れた職人的技量は本品のあらゆる部分に表れています。
この面の全体的意匠を見ると、百合の自然主義的描写、対称性を大きく崩した各部の配置、女性の体と植物の曲線が、日本美術とアール・ヌーヴォーの強い影響を感じさせます。
もう一面の中央には十八世紀風のロカイユ(仏 rocaille)に縁取られた空間があり、名前と初聖体の日付を彫り込めるようになっています。「スヴニール・ド・プルミエール・コミュニオン」(仏
souvenir de première communion 初聖体記念)の文字が、中央の空間を取り巻いています。中世風のアンシャル体文字は、本品に古典的な表情を与えています。
中央の空間には何も彫られていませんが、初聖体を受けた少女は本品を日々身に着けて愛用したことが分かります。頻用されていたと分かる根拠は、上部に外付けされ溶接で閉じられている環が、メダイユの環状部分及び鎖と擦れ合い、内側から摩耗しているからです。本品の着用時には裏面が肌または服に触れていたはずですが、この面は意匠の凹凸が小さいゆえに、摩滅による変化はほとんどありません。文字も突出するのではなくインタリオ(陰刻)で刻まれているので、字体の細部まで原状をよく留めています。
なお外付けされた環の摩耗は破断に至るほどではないので、本品はお買い上げ後にそのまま安心して着用いただけます。
本品が制作されたアール・ヌーヴォー期、フランスは後に回顧して「ベル・エポック」(仏 la Belle Époque 美しき時代)と呼ばれる繁栄の時代を迎えました。しかしながらベル・エポックを謳歌できたのは都市住民の一部にすぎません。十九世紀のフランスは貧富の差が大きく、普通の人が手にできるメダイユは銀めっきのものか、銀無垢であれば小さくて薄いものに限られました。
本品は銀無垢製品であるにもかかわらず、分厚いうえにサイズも大きめであり、たいへん高価な品物であったことがわかります。フランスの少女にとって、初聖体あるいはコミュニオン・ソラネルはたいへん大きな出来事です。生まれてからまだ十二年しか生きていない少女にとって、美しいドレスを着、家族や親類縁者、町の人々の祝福を受けるこの日は、心躍る晴れ舞台でした。両親にとっても、初聖体の主日は娘の成長を実感し、将来の幸せを神に心から祈る日となりました。少女を囲む人々の愛と祝福が、また愛され祝福される少女の胸をいっぱいに満たした幸福が、美しい銀無垢メダイユである本品に籠められ、小さな美術品として形になっています。
上の写真は本品を男性店主の手に乗せて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。
現代の銀製品には硫化を防止するためにロジウムめっきが掛けられていますが、本品は銀がそのまま露出し、めっきが掛かっていないので、放置すると表面が硫化して黒ずみます。黒ずみを取りたいときは、練り歯磨きで軽く擦って水洗すれば、家庭でも簡単にクリーニングできます。なおペンダントとして着用していれば、肌や服と擦れ合って知らず知らずのうちに研磨されるので、手入れは不要です。
本品はおよそ百二十年前のフランスで制作された真正のアンティーク品ですが、古い年代にも拘わらず、極めて良好な保存状態です。写真では実物の雰囲気が伝わりませんが、本品はいずれの面も滑らかで、美しい金属光沢があります。時を経た銀製品のみが獲得する古色と優しい丸みが、現代のものには決して真似のできない趣きを醸しています。
本品は小さいながらも美術品と呼ぶに十分な芸術的水準に到達した作品です。お買い上げいただいた方には必ずご満足いただけます。