オルセー美術館収蔵品 《オヴィド・ヤンセス作 柔らかな光をまとうクルシフィクス》 浅浮き彫りに揺蕩う光と影 ベル・エポックの聖水盤 35 x 19 x 3 cm フランス 1900年頃


聖水盤全体のサイズ 縦 35 x 横 19 cm   厚さ 3 cm

ブロンズ製クルシフィクスのサイズ 縦 178 x 横 132 mm   厚さ 3 mm



 1900年頃のフランスで制作された家庭用聖水盤。木の板にブロンズのクルシフィクスとブロンズの枠、磁器製の聖水入れを取り付けています。クルシフィクスはフランス美術界に偉大な足跡を遺したメダイユ彫刻家、オヴィド・ヤンセス(Ovide Yencesse, 1869 - 1947)の作品です。





 クルシフィクス(仏 crucifix)とは十字架につけられたキリスト像、あるいはキリスト像を取り付けた十字架のことです。

 クルシフィクスの語源であるラテン語クルーキフィークスス(羅 CRUCIFIXUS)は、「十字架につけられた人」という意味です。それゆえクルシフィクスとは十字架につけられたキリスト、あるいはそのようなキリストを表現する絵画や信心具を指します。キリスト像を取り付けた十字架のことと解しても構いません。


 本品クルシフィクスにおいて、キリスト像は背景の十字架と一体の浮き彫りで表されています。浮き彫りは凹凸のみで描写され、彩色はされていません。


 壁掛け用クルシフィクス、聖水入れ、ロザリオなど、通常の信心具におけるキリスト像は、はっきりとした輪郭と立体性を伴って迫真的に造形されるのが普通です。十字架は激しい苦痛を伴う刑具ですから、特に近世以降のキリスト像は苦痛に喘ぎ(クリストゥス・ドレーンス)、あるいは絶命して(クリストゥス・パティエーンス)、生々しい描写になりがちです。

 しかるに本品クルシフィクスのキリスト像は静謐で神秘的な雰囲気を漂わせています。この柔らかな浮き彫りは、メダイユ彫刻家オヴィド・ヤンセスならではの作風です。




(上) Francisco de Zurbarán, Crucificado, 1627, Óleo sobre lienzo, 290 x 168 cm, Art Institute of Chicago, Chicago


 上の写真はフランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbarán, 1598 - 1664)が 1627年に描いたクルシフィクス(西 El Crucificado 磔刑のキリスト)で、シカゴ美術館(英 The Art Institute of Chicago)に収蔵されています。

 クリストゥス・パティエーンス(羅 CHRISTUS PATHIENS 死せるキリスト)が漆黒の背景に浮かび上がるこの作品はキアロスクーロ(伊 chiaroscuro 明暗法)の傑作であり、最高の宗教画として完成当時から現在に至るまで世界中の讃嘆を集めています。





 本品聖水盤のクルシフィクスを見て筆者(広川)が思い浮かべたのも、上に示したスルバランの作品でした。オヴィド・ヤンセスの作品とスルバランの作品は、静謐な雰囲気が共通しています。


 しかしながらスルバランの作品とオヴィド・ヤンセスの作品には、二点の大きな違いがあります。

 第一に、スルバランは自然主義的な描写を目指し、キリストのみならず十字架の木肌や罪状書き、釘に至るまで写実的に再現しています。キアロスクーロの効果を最大限に活用したキリストは身体の輪郭も明瞭で、あたかも目の前におられるかのように感じます。これに対してオヴィド・ヤンセスは、宗教彫刻においても自身の作風を堅持し、単純化された十字架を背景に、あたかも霧の中に融け込むかのようなキリストを表現しています。

 スルバランのクルシフィクスは、四百年前に描かれた作品です。当時のスペイン絵画において、十字架を単純化するなど思いも寄らないことだったでしょう。これに対してオヴィド・ヤンセスの作品は百二十年ないし百三十年前に制作されていますから、十字架は単純な平面に抽象化されています。キリストが実際に架かり給うた十字架に比べて、ヤンセスの十字架ははるかに大きく幅広に造形されています。十字架は最大のアルマ・クリスティであり、これを大きく幅広に造形することで、ヤンセスは人の罪の大きさを表現しています。

 スルバランの写実的な十字架も観る者の胸に迫りますが、見方を替えれば、写実的な十字架は単なる木に過ぎないともいえます。これに対して幅が広く、表面に木を思わせるテクスチャも持たないヤンセスの十字架は、十字架というよりもむしろキリスト像の背景となり、人の罪の大きさに対して、キリストの愛を文字通り浮き彫りにしています。





 第二に、十字架上のキリストの全身がどのような形状に描かれているかに注目すれば、スルバランのキリストは Y字形、ヤンセスのキリストは T字形です。

 西ヨーロッパのクルシフィクスにおいて、キリスト像には三つの類型があります。一つめは中世の図像に見られるクリストゥス・トリウンファーンス(羅 CHRISTUS TRIUNPHANS 勝利のキリスト)で、サン・ダミアノ十字はこの例です。二つめと三つめは近世以降の図像に見られるタイプで、クリストゥス・ドレーンス(羅 CHRISTUS DOLENS 苦しむキリスト)及びクリストゥス・パティエーンス(羅 CHRISTUS PATHIENS 死せるキリスト)です。フランス製シャプレ(ロザリオ)のクルシフィクスは、大帝の場合クリストゥス・ドレーンス、クリストゥス・パティエーンスのいずれかです。





 バロック時代の画家であるスルバランは、ルネサンス期に続く時代の芸術家らしく、体重のせいで Y字形に下がるキリストを自然主義的に再現しています。苦しんでいるにせよ、既に亡くなっているにせよ、手のひらを釘で横木に打ち付けられれば、体重のせいで腕が斜め下に引っ張られ、人体は Y字形になるでしょう。

 いっぽう十九世紀から二十世紀の芸術家であるヤンセスには、近世初期の画家たちに見られるような自然主義へのこだわりがありません。本品クルシフィクスにおいてヤンセスが浮き彫りにするキリストの姿は、頭部がうつむきになった様子から判断して、クリストゥス・パティエーンス(死せるキリスト)のように見えます。十字架上で生命を失ったクリストゥス・パティエーンスの身体は、スルバランのキリストと同様に、Y字形にぶら下がるはずです。それにもかかわらずキリストの身体は生者と同様の確かさで体重を支え、Y字形ではなく T字形の姿勢を保っています。頭部は俯(うつむ)きつつも自身を支える力を失わず、両手は世の人々を招き抱きとめるかのように、指を真っ直ぐに伸ばしています。





 このように注意深く観察すると、ヤンセスのキリストは一見したところ写実的でありながらも自然主義的ではなく、スルバランのキリストとは大きく異なることに気づきます。十七世紀に生きたスルバランの作品は、自然主義的描写によって臨場感を高め、宗教感情の高揚をもたらそうとしています。これに対して十九世紀から二十世紀に生きたヤンセスは、いわば自然主義の呪縛から逃れ、地上の重力から解放された作品を制作しています。

 十字架上のキリストが T字形の身体であり、あたかも人々を差し招き、抱きとめ、あるいは祝福するかの如くに手の指を伸ばしているさまは、中世に描かれたクリストゥス・トリウンファーンス(勝利するキリスト)と共通します。ヤンセスはこの作品において、自然主義的観点から見た描写の正確性よりも、宗教的メッセージの豊かさを重視していることがわかります。





 十字架に架かり、苦しんで亡くなられた救い主の御姿には、人智を絶する神の愛が可視化されています。十字架上のキリストを見るとき、人は自身の罪深さに涙するとともに、神の愛に涙を流します。しかしながらキリストが十字架上に絶命されて終わったのでは、救世が達成されたことにはならず、キリスト教も意味を持ちません。キリストは十字架から降ろされて墓に葬られた後、復活することで死に勝利し給うたのです。

 一見したところ単に古拙な画風とも思える中世のクリストゥス・トリウンファーンス(勝利するキリスト)は、十字架上に絶命し、葬られたのち復活して、死に打ち勝ち給うた救世の過程を、いわば時間におけるキュビスムの如く、一つの図像で重層的に表したものに他なりません。オヴィド・ヤンセスはこの作品において多少の写実性を敢えて犠牲にし、通常であれば受難のみを表すクルシフィクスのうちにクリストゥス・トリウンファーンスの図像的特徴を忍ばせることで、救い主が死に打ち勝ち給うたというキリスト教の核心をも表現しています。





 オヴィド・ヤンセス(Ovide Yencesse, 1869 - 1947)はフランス東部、ブルゴーニュの古都ディジョンに生まれました。ディジョンの美術学校で学んだあと、パリの高等美術学校(仏 l'École Nationale Supérieure des Beaux-arts, ENSB-A)に移り、1871年からこの学校のメダイユ彫刻科教授を務めていた高名なポンカルム(François-Joseph-Hubert Ponscarme, 1827 - 1903)のもとで学びました。1893年にはサロン展に初出展しています。その後ディジョンに帰ったヤンセスは、当地の美術学校で校長に就任し、自らメダイユ制作に取り組むとともに、後進の指導に励みました。





 オヴィド・ヤンセスによる本品クルシフィクスは、パリのオルセー美術館に収蔵されています。当店アンティークアナスタシアには本品クルシフィクス以外にも、オルセー美術館が収蔵するのと同じヤンセス作メダイユ数点が在庫していますが、いずれの作品も極めて美しく、入手困難なものばかりです。

 なおオヴィド・ヤンセスはメダユール(メダイユ彫刻家)であったゆえに当然のことではありますが、その作品はメダイユあるいはプラケット(四角いメダイユ)に限られ、例外はこのクルシフィクスのみです。オヴィドヤンセスの作品はそもそも多くありませんが、フランスの会場やオンラインで開催されるオークションを見ても、出品されるのはメダイユとプラケットに限られます。少なくとも筆者(広川)が知る限り、本品と同じものはオルセー美術館に収蔵されている一点のみです。





 聖水盤の下部には、磁器の聖水入れが取り付けられています。聖水入れのおおよそのサイズは幅五十四ミリメートル、奥行二十七ミリメートル、高さ二十六ミリメートルです。





 聖水入れに施された細かい凹凸の文様と、丁寧な手描きの花々は、ベル・エポックの華やぎを本品に与えています。




 上の写真は男性店主が本品に手を添えて撮影しています。女性が本品の実物をご覧になれば、写真で見るよりもひと回り大きなサイズに感じられます。

 本品は高名なメダユール(仏 médailleur メダイユ彫刻家)であるオヴィド・ヤンセスの作品を中核に、ベル・エポック期のフランスで制作された宗教芸術の名品です。オヴィド・ヤンセスの手によるクルシフィクスは、見た目の美しさにおいても意味の深さにおいても、筆者が知る限り最も優れた作品です。均一のパティナ(古色)に覆われた本品クルシフィクスにおいて、幅広の十字架すなわち人間が犯す底知れない罪を背景に、救い主の優しき御姿は柔らかな愛の光に輝いています。





本体価格 88,000円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




聖水盤 商品種別表示インデックスに戻る

キリスト教関連品 その他の商品と解説 一覧表示インデックスに戻る


キリスト教関連品 商品種別表示インデックスに移動する



アンティークアナスタシア ウェブサイトのトップページに移動する





Ἀναστασία ἡ Οὐτοπία τῶν αἰλούρων ANASTASIA KOBENSIS, ANTIQUARUM RERUM LOCUS NON INVENIENDUS