最初期の男性用腕時計 《ハミルトン グレード 986A 17石手巻き》 アール・デコ様式のエマイユ 二針のドレス・ウォッチ 1925年
HAMILTON grade 986A, 17 jewels, circa 1925
ペンシルヴェニア州ランカスターに本社があったハミルトン・ウォッチ・カンパニーが 1925年頃に制作した男性用腕時計。ケースの材質は十四カラット・ゴールド・フィルド(十四金張り)です。突出部分を除くケースのサイズは
28 x 28ミリメートルで、五百円硬貨(直径 27ミリメートル)と同じぐらいの大きさです。もともと男性用として作られた時計ですが、1925年の時計は現代のものよりも小さめで上品ですので、女性にもお召しいただけます。バンドは茶や赤などお好きな色に交換可能です。百年近く前の品物にもかかわらず保存状態はきわめて良好で、きちんと動作します。
われわれ現代人はウォッチという言葉で腕時計を思い浮かべます。しかしながら十九世紀の人々にとって、ウォッチ(携帯用時計)とは懐中時計のことでした。二十世紀初頭になるとおしゃれな女性たちが小さな懐中時計を手首に固定して使うようになり、1910年代半ばに女性用腕時計が作られるようになりました。その後もしばらくのあいだ腕時計は女性用で、男性はみな懐中時計を使っていました。男性用腕時計が初めて市販されたのは、いまからおよそ百年前、1920年半ばのことです。1925年に製作された本品は、最初期の男性用腕時計のひとつです。
上の写真で風防越しに見えている部分を文字盤(もじばん)または文字板(もじいた)、時計内部の機械をムーヴメント(英 movement)、ムーヴメントを保護する金属製の容器(時計本体の外側)をケース(英
case)といいます。本品が搭載する手巻きムーヴメント《ハミルトン グレード 986A》は円形ですが、ケースと文字盤は八角形です。
1925年当時は「男は外、女は内」の時代でしたから、社会で働く男性の時計には女性用よりも高い精度が求められました。それゆえ男性用腕時計には懐中時計の時代から制作技術が確立され、高精度で制作しやすいサイズの円形ムーヴメントが採用されました。しかしながらおしゃれな男性たちが欲しがったのは、懐中時計との違いが際立つ「四角い腕時計」でした。本品が円形ムーヴメントを搭載しつつも、ケースが八角形であるのはこの理由によります。なお八はわが国でも末広がりとして喜ばれますが、キリスト教文化圏でも天地創造に要した日数(七)の次に来る数であるゆえに、新しいサイクルの開始、すなわち新生を象徴します。
ヴィンテージ・ウォッチ(アンティーク・ウォッチ)の文字盤にはさまざまな程度の変色が見られますが、本品の文字盤は班艶消しの明るい銀色で、極めて良好な保存状態です。この文字盤は再生文字盤(リファービッシュ、リダン)ではなく、時計製作当時のままのオリジナルです。
文字盤の周囲十二か所にある長針五分ごと、短針一時間ごとの数字を、インデックス(英 index)といいます。インデックスには年代ごとに流行があり、1940年代までの腕時計にはアラビア数字が使われます。本品のインデックスもアラビア数字で、視認性を高めるためにラジウムが塗布されています。
ラジウムは発癌性のある放射性物質で、時計の文字盤にラジウムを塗布する職工が癌で死亡する例が相次いだため、現在では時計文字盤への使用が禁止されています。ラジウムには四つの同位体がありますが、大部分はラジウム226です。ラジウム226の半減期は
1601年ですから、本品のラジウム塗料は夜光塗料としての機能を失っている一方で、放射能のみを当時のままに保持していることになります。しかしながら文字盤にラジウムを塗布する職工が癌になったのは、夜光塗料が付いた筆先を舐めつつ作業をし、大量のラジウムを体内に取り込んだためです。時計の着用者が被曝することは決してありませんのでご安心ください。
時針と分針はミリタリー・ウォッチに使われるラジウム針で、インデックスと同じ夜光塗料が塗布されています。1950年代までの男性用腕時計には、たいていの場合六時の位置にスモール・セカンド(小秒針)が取り付けられていますが、本品には秒針がありません。秒針が無い時計はドレス・ウォッチであり、腕時計の中で最も高い地位に位置づけられます。
本品の短針と長針はいずれも青焼き(ブルー・スティール)となっています。鋼鉄製の針を青焼きにするのは酸化しにくくするためで、本品の針も錆の無い良好な状態です。
懐中時計のケースは、たいていの場合、ムーヴメントを保持するリング状の本体と、文字盤側で本体に被さるベゼル(英 bezel)、ベゼルと反対側の裏蓋に分かれます。本品は懐中時計の名残を留めていて、懐中時計と同様に、ケースが三部分(ベゼル、本体、裏蓋)に分かれています。
1930年代以降の腕時計ケースはベゼルと本体が一体化し、裏蓋を外すだけでムーヴメントを取り出せる簡略な構造になります。いっぽう本品のケースは懐中時計と同じ構造で、裏蓋を外しただけではムーヴメントを取り出せません。ムーヴメントを取り出すには竜真を抜き、機留めネジも外して、ムーヴメントをケース本体から外す必要があります。これは懐中時計と同じ方式です。
上の写真は本品ケースから取り外した裏蓋の内側で、手彫りでハミルトンの社名を刻み、ケースの材質とシリアル番号を打刻しています。引っ搔きキズで手書きされた文字と数字は、整備の記録です。
本品のケースは十四金張り(14カラット・ゴールド・フィルド)です。金張り(ゴールド・フィルド)とは薄板状の金をベース・メタルに張り付けたもので、現代の金めっき(エレクトロプレート)に比べると、金の厚みは十数倍ないし数十倍に達します。金の層が厚いため摩耗に強く、見た目にも高級感があります。本品のケースに張られている金は十四金(純度
14/24のゴールド)です。
なお純金(二十四金)ではなく十四金を使用するのは、材料費を節約するためではありません。純金は軟らかすぎて容易に摩耗・変形するので、これを金合金とすることによって実用に必要な強度を得ています。金は本来金色ですが、これに銀と銅を加えると金色を保ってイエロー・ゴールドになります。本品のケースには、純度
14/24の金合金(金を銀と銅で割ったイエロー・ゴールド)が張られています。
時計ケースの上部にあって風防の枠となる部分を、ベゼルといいます。本品のベゼルにはアール・デコ様式の直線的意匠で溝を彫り、黒色不透明ガラスを流し込んでエマイユ・シャンルヴェ(エナメル、七宝)としています。
ベゼルに嵌っている透明のガラスやアクリルを、風防といいます。本品の風防はプレクシグラスと呼ばれる高透明度のアクリル製です。アクリル樹脂が発明されたのは第二次世界大戦中のことですから、1925年製の本品にはもともとミネラルガラス製風防が嵌っていたはずですが、途中で割れて交換したのでしょう。
本品の風防は緩やかなドーム状で、横から見るとベゼルよりも高く盛り上がっています。盛り上がった風防は平坦な風防に比べて瑕(きず)が付き易いという欠点があり、ガラス製風防の場合に大きな問題となります。ミネラルガラスに付いた瑕は除去できないからです。一方プレクシグラス製風防は瑕を簡単に磨き落とすことができます。本品の風防はプレクシグラス製ですから多少の瑕は綺麗に修復可能です。またプレクシグラスはガラスよりも透明度が高く、見た目の高級感も問題ありません。
本品は 6/0サイズの手巻きムーヴメント、ハミルトン グレード 986Aを搭載しています。ハミルトン グレード 986Aの受けは丁寧に面取りされ、美しいコート・ド・ジュネーヴ装飾が施されています。
良質の機械式腕時計ムーヴメントには、摩耗してはいけない部分にルビーを使います。ルビーはたいへん硬い鉱物ですので、良質の時計の部品として使用されるのです。本機ハミルトン グレード 986Aは十七個のルビーを使用した十七石(じゅうななせき)のムーヴメントで、これは摩耗してはならない個所すべてにルビーを使用した高級機であることを示します。十七石以上のムーヴメントをハイ・ジュエル機(英
a high jewel movement)と呼びます。1925年当時の腕時計用ムーヴメントに使われるルビーの数は七石か、多くても十五石がほとんどですが、本機は十七石のハイ・ジュエル機となっています。受けと地板に嵌め込んだルビーは、金製のシャトン(枠)がアンカーとなってしっかりと固定されています。
受けにはハミルトンの社名(HAMILTON WATCH CO)、十七石(17JEWELS)、ムーヴメントのグレード名(986A)、ムーヴメントのシリアル番号(2176872)が刻まれています。このシリアル番号は、本機が
1925年に製作されたことを示します。ハミルトン 986Aのひげぜんまいはブレゲひげ(巻き上げひげ)で、天符の振動数は一時間当たり一万八千振動(f
= 18000 A/h)、パワー・リザーヴは三十六時間です。
振動数に関して、本機には大きな長所があります。ハミルトン グレード 986Aは 5振動のロー・ビート機です。時計について浅く齧った素人はハイ・ビート機を崇拝し、ロー・ビート機を見下しがちです。知ったかぶりをする自称時計通が多いので、このような顧客層に訴求するため、近年の機械式時計はどれも
6振動以上に作られています。時計会社が存続するためには利益を出さなくてはならず、顧客の大部分を占める素人に分かりやすい数値を示すのは、販売数を伸ばす賢いやりかたかもしれません。しかしながら筆者(広川)はこのような大衆への迎合を残念に感じています。機械式腕時計において大切なのは、天符の振動が様々な要因
― 主ぜんまいの残量、気温、重力の方向 ― に影響されないことであって、これと振動数の大小はまったくの別問題です。
分かりやすい例を出すならば、非常に正確な機械式クロックとして知られるビッグ・ベンは、振り子が四秒で一往復します。片道は二秒ですから、振動数は本機の十分の一に相当する
0.5振動(A/f = 1800)で、極めてロー・ビートです。さらに言えば天体の動きは地上の如何なるクロック、如何なるウォッチよりも正確ですが、地球の自転一回を一振動と考えるならば、一日は
86400秒ですから、地球の振動数はおよそ 0.00001振動(1/86400振動 A/f = 0.0000115740)です。時計の正確さを決めるのは振動数の大小ではなく、振動の安定性であることが、この一事からもお分かりいただけるでしょう。
天体は人工の機械でないゆえに、地球の自転に言及することに違和感を持たれる方があるかもしれません。しかしながら機械式時計は宇宙を支配する物理法則をに逆らわず、譬えていえばその波にうまく乗って時間を計っています。
ロバート・フック(Robert Hooke, 1635 - 1703)はひげぜんまいの等時性を見出し、1670年にレバー式脱進式のクロックを開発しました。ひげぜんまいを使用し、傾けても止まらない天符式携帯時計(ウォッチ)を作ったのは、クリスティアン・ホイヘンス(Christian
Huygens, 1629 - 1695)です。効率的な脱進機はトーマス・トンピオン(Thomas Thompion, 1639 - 1713)が
1695年にシリンダー式を、トーマス・マッジ(Thomas Mudge, 1715 - 1794)が 1754年にレバー式を開発し、後者は今日の時計に使われています。このように概観して分かる通り、我々は数百年前と同じ技術を現在まで使い続けています。これらの技術がいつまでたっても古びないのは、不易不変の物理法則に従っているからです。
ロー・ビート機が持つ最大の長所は、部品の摩耗が抑えられることです。本機ハミルトンはアメリカ製ですが、現代のスイス時計も、最も高級な機種はロー・ビートです。これは最も高級な時計が一生ものであり、さらには世代を超えて受け継がれることを想定して、部品の摩耗を抑えているからです。あくまでも振動の安定性が大切なのであって、これと振動数はまったく無関係です。
本品はもともと男性用ですが、1925年の時計は現在に比べて小さめのサイズであり、たいへん上品であるゆえに、女性にもお使いいただけます。上の写真の一枚目は男性が、二枚目は女性が本品を着用しています。
本品に適合するバンド幅は十六ミリメートルで、この幅さえ合えばお好きな色、質感、長さのバンドに換えることができます。時計会社はバンドまで作っていませんので、アンティーク時計のバンドをお好みのものに取り換えても、アンティーク品としての価値はまったく減りません。時計お買上時のバンド交換は、当店の在庫品であれば無料で承ります。
当店はアンティーク時計の修理に対応しております。アンティーク時計の修理等、当店が取り扱う時計につきましては、こちらをご覧ください。
当店では時計用の箱をご購入いただけます。箱はレプリカ(現代の複製品)ではなく、時計と同時代のヴィンテージ品(アンティーク品)です。写真に写っている箱のサイズは重量感のあるオールド・プラスティック、おそらくガラリスでできており、基部の幅 13.4センチメートル、基部の奥行 8.7センチメートル、全体の高さ 4.5センチメートルです。税込価格は 22,000円ですが、時計をお買い上げいただいた方には税込価格
13,200円にてご提供いたします。
当店の時計は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(三回払い、六回払い、十二回払いなど。利息手数料なし)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご遠慮なくご相談くださいませ。
本体価格 148,000円
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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