ハミルトン グレード 770 《ローリー》 22石手巻き アメリカン・ウォッチの到達点 1953/54年頃

HAMILTON 《RALEIGH》 grade 770, 22 jewels, circa 1953/54


 ペンシルヴェニア州ランカスターに本社があったハミルトン・ウォッチ・カンパニーが 1953年頃に制作した美しい時計、ローリー(Raleigh)。ケースの材質は十カラット・ゴールド・フィルド(十金張り)です。突出部分を除くサイズは 23 x 26ミリメートルで、五百円硬貨ほどの大きさです。もともと男性用として作られた時計ですが、1950年代の時計は現代のものよりも小さめで上品ですので、女性にもお召しいただけます。バンドは茶や赤などお好きな色に交換可能です。およそ七十年前の品物にもかかわらず、保存状態はきわめて良好で、きちんと動作します。





 時計内部の機械をムーヴメント(英 movement)、ムーヴメントを保護する金属製の容器(時計本体の外側)をケース(英 case)といいます。本品のムーヴメントである《ハミルトン グレード 770》の形状は長方形に近いですが、四辺は外側に向けてわずかに膨らんでいます。このような形状をクッション型といいます。ムーヴメントがクッション型であるのに対し、本品のケースと文字盤は樽型(トノー型)で、水平方向の辺(十二時側と六時側の辺)は直線、垂直方向の辺(三時側と九時側の辺)はごくなだらかな曲線です。

 本品をはじめ、1950年代に作られたアメリカン・ウォッチの特徴は、アール=デコ様式に基づく高度なデザイン性です。1940年代と 1960年代の時計はシンプルでオーソドックス(正統的)なデザインですが、1950年代の時計には華やかさが求められ、個性的なモデルが美を競い合いました。

 本品は正面から見ると飾り気がないように思えますが、側面の意匠はグラマラスな曲線を描いています。すなわち本品のケースは一見したところ長方形ケースのようにも見えますが、実際には左右の線が優しい曲線を描いて張り出した樽型です。風防はミネラル・ガラスでできており、中央が高くなったドーム型です。ベゼルと風防が接する線は、縦の辺も横の辺も、風防の形状に合わせて美しい弧を描きます。





 女性が身に着ける洋服は、カジュアル服のみならず、スーツの場合も全体の形からボタンの大きさや数、位置等の細部に至るまで、まったく自由にデザインされます。これに対して男性用のスーツは全体から細部まですべてに型が決まっていて、そこからの逸脱が許されません。しかるに男性用スーツの場合、たいへん不思議なことに、規定通りに作っただけの量産品はまるで国民服あるいは人民服のようにも見えますが、優れた職人が仕立てたスーツには美術工芸品のような格調、男の色気が感じられます。腕の良い職人は正統的な紳士用スーツの約束事を守りつつ、織り糸の繊維の長さや縫製の仕方などの見えない部分にも工夫を凝らすことで、グラマラスな輝きを生み出しているのでしょう。

 同じようなことは男性用時計にも言えます。男性用時計には女性用時計のように奔放なデザインが許されず、本品のケースも一見したところ飾り気のない長方形に見えます。しかしながら本品は側面がなだらかに張り出した樽型であり、抑制を効かせた曲線が描く美しい弧はルネサンス絵画のディアナやウェヌス(ヴィーナス)にも似て、審美的で上品な色香を秘めています。





 本品の樽型ケースの内部には、アメリカン・ウォッチの最高峰、《ハミルトン グレード 770》が匿(かく)されています。

 ここで「匿されている」と言ったのには、二つの理由があります。一つめの理由は、抑制の効いたケース・デザインで一見したところ普通に見える本品の内部に、極めて美しい機械が搭載されていることです。1950年代はアメリカ合衆国の黄金時代でした。本品のムーヴメントは石数が多いだけでなく、黄金時代の輝きをそのまま焼き付けたかのように華やかな仕上げを施されています。受けの縁は丁寧に面取りされ、表面は手作業のバフ掛けによってコート・ド・ジュネーヴ(仏 la Côte de Genève)装飾を施されています。ハミルトンのコート・ド・ジュネーヴは通常のものよりも凝っていて、白、グレー、黒の縞模様を描きます。




(上・参考写真) グレード 753 《ハミルトン ウィンザー》に搭載されているもの。


 「匿されている」という言い方をした二つめの理由は、本品のムーヴメントが最上級の機種に載せ替えられているからです。本機ハミルトン《ローリー》は、本来であればグレード 753を搭載しているはずです。グレード 753は十九石の高級ムーヴメントで、グレード 770と同じ形、、同等水準の丁寧な仕上げが施された高級機です。しかしながら本品はこの機械を何らかの理由でグレード 770に載せ替えています。グレード 753とグレード 770を比べると、後者では三番車と四番車に受け石を追加し、インカブロック(耐衝撃装置)も装備しています。

 グレード 770はハミルトン社が 1950年代に制作したなかで最も良く知られ、名機として讃えられるムーヴメントです。グレード 770は機械式時計の完成形です。ハミルトンの技術力と時計作りの丁寧な姿勢は、この機械によって、「アメリカのパテック・フィリップ」と評されました。





 グレード 770は 12/0サイズのクッション型手巻ムーヴメントで、ペンシルヴェニア州ランカスターのハミルトン社自社工場において、1954年頃に生産が開始されました。本品《ハミルトン ローリー》は 1953年に限って発売された機種ですが、ムーヴメントをグレード 770に載せ替えているので、商品タイトルでは制作年を「1953/54年頃」としました。

 グレード 770の天符はチラネジ天符、ひげぜんまいはハミルトン社のエリンバー=エクストラ(Elinvar-Extra)による巻き上げひげ(ブレゲひげ)です。エリンバー=エクストラはハミルトン社が誇る優れた合金で、これで作ったひげぜんまいの弾性は温度変化による影響を受けません。振動数は 5振動(f = 18000 A/h)、パワー・リザーヴは 45時間です。





 良質の機械式腕時計ムーヴメントには、摩耗してはいけない部分にルビーを使います。ルビーはたいへん硬い鉱物ですので、良質の時計の部品として使用されるのです。本機ハミルトン グレード 770は二十二個のルビーを使用しています。上の写真ではルビーが六個しか見えませんが、あとの十六個は機械の裏側(文字盤側)など、上の写真に写っていない部分に使われています。

 十七個のルビーを使用した十七石(じゅうななせき)のムーヴメントは、摩耗してはならない個所すべてにルビーを使用した高級機です。十七石以上のムーヴメントをハイ・ジュエル機(英 a high jewel movement)と呼びます。本機はグレード 752系の機械ですが、この系統の機械はすべてハイ・ジュエル機で、基本機種のグレード 752は十七石です。グレード 753と 754は 752のガンギ車に二個の受け石を追加し、十九石としています。機械式ムーヴメントにおいて最も重要な箇所は調速脱進機ですが、グレード 753及び 754の調速脱進機は、およそ必要と考え得るすべての箇所にルビーを使っています。このグレード 753、754の三番車と四番車に、更に受け石を追加したのがグレード 770です。グレード 770の石数は二十二石に及んでいます。

 なお写真を見れば分かるように、いずれの受け石座も、受けの裏側からネジを入れて留められています。雌ネジは受けに切らず、受け石座にのみ切ってあります。こうすることで、ネジが折れた場合でも受けが損なわれることが無く、受け石座のみを取り換えれば済みます。





 受けにはハミルトンの社名(HAMILTON)、二十二石(22 JEWELS)、ムーヴメントのグレード名(770)、アメリカ合衆国(U. S. A)、アジャスティド(ADJUSTED/ADJ.)の表記が刻まれています。アジャスティドは英語で「調整済み」という意味ですが、当時のハミルトン社の広告によると、グレード 770の調速脱進機は姿勢差が出ないように巧みに設計・制作・調整されています(英 adjusted to positions and closely regulated)。どの姿勢に関する調整であるのかは未詳ですが、おそらく三時が下、文字盤が上を含む三つあるいは五つのポジションでしょう。これに加えてエリンバー=エクストラのひげぜんまいは温度差の影響を受けませんし、アイソクロニズム、すなわち主ぜんまいの巻き戻り具合に伴って動力の強さが変化しても、調速機が影響を受けない設計も施されているはずです。

 このように作り込まれたハミルトン グレード 770を超えようとすれば、無重力の空間に行くか、天符を三次元で回転させるしかありません。球形のトゥールビヨン(仏 tourbillon)機が後者に当たりますが、そのような機械は故障しやすくて保守がたいへんですし、そもそも腕時計を付けている間に腕は様々な方向に動きますから、人形のようにじっとしているのでない限り、トゥールビヨンはそもそも不要です。故障しにくいのは時計を実用するうえで最大のメリットであり、実用性は最も大切な性能です。そのように考えれば、調速脱進機の性能を極限まで高め、受け石を増やして輪列の摩擦を極限まで低減し、機械式時計の弱点である天真のホゾを耐衝撃装置で防御したハミルトン グレード 770は、最高の腕時計用ムーヴメントであることがお分かりいただけます。





 振動数に関しても、このムーヴメントには大きな長所があります。ハミルトン グレード 770は 5振動のロー・ビート機です。時計について浅く齧った素人はハイ・ビート機を崇拝し、ロー・ビート機を見下しがちです。知ったかぶりをする自称時計通が多いので、このような顧客層に訴求するため、近年の機械式時計はどれも 6振動以上に作られています。時計会社が存続するためには利益を出さなくてはならず、顧客の大部分を占める素人に分かりやすい数値を示すのは、販売数を伸ばす賢いやりかたかもしれません。しかしながら筆者(広川)はこのような大衆への迎合を残念に感じています。機械式腕時計において大切なのは、天符の振動が様々な要因 ― 主ぜんまいの残量、気温、重力の方向 ― に影響されないことであって、これと振動数の大小はまったくの別問題です。

 分かりやすい例を出すならば、非常に正確な機械式クロックとして知られるビッグ・ベンは、振り子が四秒で一往復します。片道は二秒ですから、振動数は本機の十分の一に相当する 0.5振動(A/f = 1800)で、極めてロー・ビートです。さらに言えば天体の動きは地上の如何なるクロック、如何なるウォッチよりも正確ですが、地球の自転一回を一振動と考えるならば、一日は 86400秒ですから、地球の振動数はおよそ 0.00001振動(1/86400振動 A/f = 0.0000115740)です。時計の正確さを決めるのは振動数の大小ではなく、振動の安定性であることが、この一事からもお分かりいただけるでしょう。





 天体は人工の機械でないゆえに、地球の自転に言及することに違和感を持たれる方があるかもしれません。しかしながら機械式時計は宇宙を支配する物理法則をに逆らわず、譬えていえばその波にうまく乗って時間を計っています。

 ロバート・フック(Robert Hooke, 1635 - 1703)はひげぜんまいの等時性を見出し、1670年にレバー式脱進式のクロックを開発しました。ひげぜんまいを使用し、傾けても止まらない天符式携帯時計(ウォッチ)を作ったのは、クリスティアン・ホイヘンス(Christian Huygens, 1629 - 1695)です。効率的な脱進機はトーマス・トンピオン(Thomas Thompion, 1639 - 1713)が 1695年にシリンダー式を、トーマス・マッジ(Thomas Mudge, 1715 - 1794)が 1754年にレバー式を開発し、後者は今日の時計に使われています。このように概観して分かる通り、我々は数百年前と同じ技術を現在まで使い続けています。これらの技術がいつまでたっても古びないのは、不易不変の物理法則に従っているからです。


 ロー・ビート機が持つ最大の長所は、部品の摩耗が抑えられることです。本機ハミルトンはアメリカ製ですが、現代のスイス時計も、最も高級な機種はロー・ビートです。これは最も高級な時計が一生ものであり、さらには世代を超えて受け継がれることを想定して、部品の摩耗を抑えているからです。あくまでも振動の安定性が大切なのであって、これと振動数はまったく無関係です。





 本品の文字盤はシルバーあるいはライト・グレーで、ヘアライン加工が施され、サテン生地のように柔らかな光を反射します。黒の文字で "HAMILTON"(ハミルトン)のロゴが書かれています。本品の文字盤は経年のため淡く色付いています。この色付きはパティナ(伊 patina 古色)と呼ばれ、レプリカには真似のできないアンティーク時計ならではの美と考えられています。





 本品のムーヴメントはグレード 770に積み替えられていますが、本品が元々搭載していたグレード 753は、干支脚(あとあし 文字盤をムーヴメントに固定するための突起)の位置がグレード 770と同じです。それゆえ本品の文字盤はグレード 753に元々取り付けられていたものをそのまま使っています。

 文字盤の周囲十二か所にある長針五分ごと、短針一時間ごとの数字を、インデックス(英 index)といいます。インデックスの様式には年代ごとの流行があります。1940年代以前のインデックスは、全ての時刻がアラビア数字です。1950年代の時計では「十二時、二時、四時、八時、十時」、もしくは「十二時、三時、九時」がアラビア数字で、他の時刻は幾何学図形(棒や小さな円、多角形など)になっています。1960年代の時計では、全ての時刻が幾何学図形です。

本品のインデックスは十八金の小部品を植字した立体インデックスで、六時以外のすべての時刻がアラビア数字になっています。全ての時刻にアラビア数字を使うのは 1940年代風ですが、これはローリーが発売された年が 1953年すなわち 1950年代のはじめの方で、1940年代の名残をとどめているためです。





 長針と短針は如何にもアンティーク時計にふさわしいクラシカルなデザインで、金色に輝いています。いずれの針も腐食が無く良い状態です。

 現代の時計は中三針(なかさんしん)式といって、時針分針と同じ位置に長い秒針を取り付けます。これに対して 1950年代までの時計の秒針は、ごく少数の例外を除き、スモール・セカンド方式といって、六時の位置に取り付けられています。時計の中央に秒針を取り付ける方式のムーヴメントを制作するのは技術的に困難で、センター・セカンド方式が普及するのは1960年代です。1950年代までの時計はほとんどすべてスモール・セカンド方式で、本品も例外ではありません。





 本品のケースは十カラットのゴールド・フィルド(金張り)です。ゴールド・フィルドとは板状の金をベース・メタルに張り付けたもので、現代の金めっき(エレクトロプレート)に比べると金の厚みは数十倍に達し、摩耗に強く、見た目にも高級感があります。本品のケースに張られている金は十カラット・ゴールド(純度 10/24のゴールド)で、十八金に比べて金そのものの強度が格段に強く、色の点でも淡く上品なシャンパン・ゴールドをしています。

 ケースの裏蓋にはハミルトン(HAMILTON)、10カラットの金張り(10K GOLD FILLED)の文字と、スター・ウォッチ・ケース・カンパニー(STAR WATCH CASE COMPANY) の星マークが刻印されています。




(上) ハミルトンの広告 1951年


 1950年代当時、ハイ・ジュエルの時計の価格は初任給二~三か月分ぐらいに相当し、現代人には想像できないほど高価でしたが、時計の品質は購入者の期待を裏切らず、一生のあいだ愛用できる耐久性を有していました。特にアメリカ時計の平均的品質はスイス時計よりもずっと優れていました。しかしながら 1941年12月8日、日本が真珠湾を攻撃して日米が開戦すると、合衆国政府はアメリカ国内でムーヴメントを製作するエルジン、ハミルトン、ウォルサムの各時計会社に命じ、全力を挙げて軍用時計のみを生産させました。したがってこの三社は、太平洋戦争のあいだ、民生用の時計を作ることができませんでした。

 アメリカの時計各社が民生用の時計を作れずにいる状況は、中立国スイスの時計産業にとって大きなビジネス・チャンスでした。民生用の時計が不足した戦時下のアメリカには、大量のスイス時計が輸入され、顧客を奪われたアメリカの時計会社は経営上の大きな打撃を受けて、ムーヴメントを自社で開発、生産する力を失ってゆきました。1892年にペンシルヴェニア州ランカスターで創業し、数々の名作ムーヴメントを世に送り出したハミルトン社も、1950年代頃からスイス製エボーシュを使い始め、1969年には自社工場でのムーヴメント生産を完全に停止します。ハミルトン グレード 752からグレード 753, 754を経て、本機グレード 770に至るムーヴメントは、ハミルトンがペンシルヴェニアで開発・製作した最後の男性用時計ムーヴメントであり、やがてはスイス資本に買収される運命の名門ハミルトン社が、機械式時計の時代に放った最後の煌(きら)めき、美しく華やかな火花です。





 本品は男性用として作られた時計ですが、二十世紀中葉の時計は現在に比べて小さめのサイズであり、たいへん上品であるゆえに、女性にもお使いいただけます。ハミルトン ローリーに適合するバンド幅は十七ミリメートルで、この幅さえ合えば、お好きな色、質感、長さのバンドに換えることができます。時計会社はバンドまで作っていませんので、アンティーク時計のバンドをお好みのものに取り換えても、アンティーク品としての価値はまったく減りません。時計お買上時のバンド交換は、当店の在庫品であれば無料で承ります。

 当店はアンティーク時計の修理に対応しております。このページに写真を未掲載ですが、《ハミルトン グレード 770》の予備ムーヴメントも二機が在庫しており、いずれも現状で動作する良い状態です。アンティーク時計の修理等、当店が取り扱う時計につきましては、こちらをご覧ください。









 当店では時計用の箱をご購入いただけます。箱はレプリカ(現代の複製品)ではなく、時計と同時代のヴィンテージ品(アンティーク品)です。写真に写っている箱のサイズは重量感のあるオールド・プラスティック、おそらくガラリスでできており、基部の幅 13.4センチメートル、基部の奥行 8.7センチメートル、全体の高さ 4.5センチメートルです。税込価格は 22,000円ですが、時計をお買い上げいただいた方には税込価格 13,200円にてご提供いたします。









 当店の時計は現金一括払い、ご来店時のクレジットカード払いのほか、現金の分割払い(三回払い、六回払い、十二回払いなど。利息手数料なし)でもご購入いただけます。当店ではお客様のご希望に出来る限り柔軟に対応しております。ご遠慮なくご相談くださいませ。





本体価格 185,000円

電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。




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