スティプル・エングレーヴィング stipple engraving, pointillé



(上) J. H. S. マン作 「ザ・シティ・ベル」(部分) フランシス・ホルによるエングレーヴィング 1880年 当店の商品です。


 スティプル・エングレーヴィング(英 stipple engraving)はインタリオ(凹版)の技法のひとつで、十八世紀半ば以降に大きく発展しました。「スティプル」とは点描法の点のことです。


【線による表現とスティプルによる表現 ― それぞれの特性】

   エッチングとドライポイントは、線状の溝による表現です。これらの技法で平面に明暗を表現しようとすれば、同一の幅の平行線またはクロスハッチに頼らざるを得ず、繊細、精密な表現ができません。これに対してエングレーヴィングは、線状の溝によりつつも、エッチングやドライポイントに比べると溝の幅を調整しやすいので、平面の明暗を繊細、精密に表現することが可能です。

 しかしながらエングレーヴィングは非常な労力と時間を要します。インクは細長い溝だけでなく、点状の窪みにも溜めることができますから、点の密度を制御して版に穿つことができれば、線状の溝によるエングレーヴィングと同等の明暗の効果を、より効率的に得ることができます。このような発想で生み出されたのがスティプル・エングレーヴィングです。スティプル・エングレーヴィングでは点状の窪みに溜まったインクで印刷を行います。




(上) 左は「街の華」(Francis Holl sculpsit, 1880)、右は「幼き日」(Alfred Joseph Annedouche sculpsit, 1859)


 スティプル・エングレーヴィングは、労力と時間の節減以外にも、二つの長所を有します。第一の長所は、ごく小さな面積の中で明暗を変化させる場合、線状の溝によるよりも自在な調整が可能であることです。

 上に示したのはスティプルによる表現と線状の溝による表現を比較した拡大写真です。左右の写真の縮尺は同じで、同等の面積を撮影しています。左右の作例を比べると、明暗が小さな領域において大きく変化する場合、スティプルのほうが有利であることがわかります。




(上) チャールズ・エドワード・ペルジーニ作 「午後のまどろみ」(部分) 1882年 当店の商品です。


 スティプル・エングレーヴィングが有する第二の長所は、人肌の質感を表現しやすいことです。版画画面において二つの領域が同一の明度で、一方が線状の溝、他方がスティプルによる場合、二つの領域を比べると、明度が同じであっても質感が異なります。すなわち線状の溝が彫られた領域は、硬質の艶を有するように感じられます。しかるにスティプルが彫られた領域は光を柔らかく反射し、人肌の表現に最適です。

 上の写真はフランシス・ホル(Francis Holl, 1815 - 84)が制作した最後の作品、「午後のまどろみ」の一部を拡大撮影しています。向かって左から右に、女性の衣、左の腕と手、大理石の壁面が描写されています。これら三種類の領域はほぼ同じ明度を有しますが、衣は線状の溝とスティプルで、女性の肌はスティプルのみで、大理石は線状の溝のみで表現されています。硬質の物体の表面は、線状の溝が最も良く質感を表します。人の肌はスティプルが最も良く質感を表します。布の質感を表すには、線状の溝とスティプルの併用が適しています。明度が同一であっても、表したい質感が違えば、表現方法もこのように異なります。


【スティプル・エングレーヴィングの起源と発達 その一 十六世紀から十七世紀】




 ルネサンス期のヴェネツィアの版画家ジュリオ・カンパニョーラ(Giulio Campagnola, c.1482 - after 1515)は、同時代のヴェネツィアの画家ジョルジョーネ(Giorgione, c. 1477 - 1510)やティツィアーノ(Tiziano Vecelli, c 1488 - 1576)の作品を多く複製したエングレーヴァーですが、最初にスティプルを使った版画家として知られています。上の写真は・カンパニョーラが 1510年頃に制作した作品で、輪郭線をエングレーヴィングで描き、輪郭線に囲まれた内部をスティプルで立体的に表現しています。この作品は大英博物館に収蔵されています。





 上の写真に示した作品は、横たわるウェヌス(ヴィーナス)を描いています。この作品においてカンパニョーラは輪郭線を描かず、スティプルのみで作品を仕上げています(註1)。




(上) Robert Nanteuil, "Lous Dauphin de France", 1677, gravure au burin, 512 x 426 mm, Musée Jenisch Vevey - Cabinet cantonal des estampes, Fondation William Cuendet & Atelier de Saint-Prex, Collection Rossier-Koechlin


 エングレーヴィングの人肌を表す部分にのみスティプルを使ったのは、アルブレヒト・デューラー(Albrecht Dürer, 1471 - 1528)です。スティプリングによる人肌の表現は、とりわけフランスの肖像画エングレーヴァーに多用され、十七世紀まで続きました。十七世紀のグラヴール(エングレーヴァー)、ロベール・ナントゥイユ(Robert Nanteuil, 1623 - 1678)は肌の最明部をスティプルで表し、明度が落ちる陰翳部分では線状の溝に移行しています。イタリアでは、オッタヴィオ・レオーニ(Ottavio Leoni, 1575 - 1630)が同様の技法を使いました。




(上) Jacques Bellange, "Les Trois Saintes", Bibliothèque nationale de France どういう理由かわかりませんが、ベランジュの版画の人物は指の数が足りないように見える場合が多くあります。


 ロベール・ナントゥイユやオッタヴィオ・レオーニはビュランを使って版に直接スティプルを彫りましたが、フェデリコ・バロッチ(Federico Barocci, 1528 - 1612)とジャック・ベランジュ(Jacques Bellange, c. 1575 - 1616)、及びナントゥイユよりも一世代前のジャン・モラン(Jean Morin, c. 1590 - 1650)は、エッチングによってスティプルを刻みました。ジャン・モランはこの技法によって効果的なスフマート(伊 sfumato 輪郭のぼかし)を実現しています。


 多数の突起がある車輪を柄の先に取り付けたメゾティント用の道具、「ルーレット」(仏 roulette)を用いると、ビュランよりも効率的にスティプルを刻むことができます。この道具を使った最初の記録は、ルートヴィッヒ・ファン・ジーゲン(Ludwig van Siegen, c. 1609 - c. 1680)による 1642年の作品です。十八世紀の版画家は、ルーレットとマトワール(仏 mattoir)を使ってスティプリングを行いました。


(下) 6. と 7. は、マトワール。8. と 9. は、ルーレット。11. から 13. は、ルーレットの適用例。 Louis-Marin Bonnet, 1769




 なお上の版画を制作したルイ=マラン・ボネ(Louis-Marin Bonnet, 1743 - 1793)は、ジャン=シャルル・フランソワ(Jean-Charles François, 1717 - 1769 後出)の弟子です。上の版画自体はエッチングとマニエール・ド・クレヨン(後出)によります。



【スティプル・エングレーヴィングの起源と発達 その二 十八世紀のフランス】

 1870年代から80年代のフランスでは印象派が活躍しました。しかしながらこれはごく限定された地域と時代に起こった例外的な出来事であり、過大に評価されるべきではありません。絵画において重要なのは形態の把握であり、色彩ではありません。形態の把握はデッサンによります。彩色ではなくデッサンこそが絵画の神髄であり、絵画そのものと言って過言ではありません。




(上) サンギンのデッサン 十九世紀末の作品。


 十八世紀のフランスでは、「サンギン」(仏 la sanguine 「血色」「ヘマタイト色」の意)と呼ばれる赤茶色のクレヨン(仏 crayon チョーク)を使い、目の粗い紙に描くデッサンが盛んに行われました。このデッサンを複製するために、平面の明暗を表現する版画技法が発達しました。

 フランスの版画家ジャン=シャルル・フランソワ(Jean-Charles François, 1717 - 1769)は、クレヨンのデッサンが持つ質感を版画で忠実に複製する「マニエール・ド・クレヨン」(仏 la manière de crayon チョーク様式)を考案しました。これは獣脂を塗った銅板にルーレットを適用するエッチングの一種で、版に直接ルーレットを適用する場合に比べると、柔らかな質感の画面になり、粗い紙と赤系統のインクを使って刷れば、一見したところサンギンのデッサンと識別するのが難しい版画が出来上がります。ジャン=シャルル・フランソワの「マニエール・ド・クレヨン」を引き継いだ版画家ジル・ドマルトー(Gilles Demarteau, 1722 - 1776)及びルイ=マラン・ボネ(Louis-Marin Bonnet, 1743 - 1793)は、複数のマニエール・ド・クレヨン版を使用して多色刷りを行いました。

 ジャン=シャルル・フランソワの「マニエール・ド・クレヨン」は美しい仕上がりの版画技法ですが、十八世紀の流行であるサンギンのデッサンと不即不離の関係にありました。それゆえサンギンのデッサンが廃るにつれて、マニエール・ド・クレヨンも行われなくなりました。


【スティプル・エングレーヴィングの起源と発達 その三 十八世紀のイギリス】



(上) 十八世紀のスティプル・エングレーヴィング George Stubbs (1724 - 1806), "A Foxhound", 1788


 イングランドのエングレーヴァー、ウィリアム・ウィン・ライランド(William Wynne Ryland, 1733 - 1783)は 1750年代後半にパリで学び、フランスのマニエール・ド・クレヨンを取り入れました。ただしライランドはこの技法の用途を、サンギンのデッサンの再現以外にも拡張しました。ライランドは 1774年以降のイングランドにおいて、スイス出身の女流画家アンゲーリカ・カウフマン(Maria Anna Angelika Kauffmann RA, 1741 - 1807)の作品をスティプルで再現し、大きな好評を博しました。

 ライランドの作品はたいへん人気があったので、多くの版画家がライランドに倣いました。とりわけ有名なのはフランチェスコ・バルトロッツィ(Francesco Bartolozzi RA, 1727 - 1815)によるジョヴァンニ・バティスタ・チプリアーニ(Giiovanni Battista Cipriani RA, 1727 - 1785)の絵の複製です。チプリアーニ(シプリアーニ)はサー・ジョシュア・レノルズと共に王立アカデミー創立メンバーのひとりで、同アカデミーのディプロマをデザインした画家でもあります。王立アカデミーのディプロマを製版したのはバルトロッツィです。




(上) Miss L. Sharpe, "Rebecca" (details), engraved by Henry Thomas Ryall, 1833 - produced by Longman & Co, Paternoster Row,  London 当店の商品


 イギリスにおいて、スティプル・エングレーヴィングは室内装飾用の多色刷り版画に多用されました。また画質が柔らかであるゆえに、恋人たちを描いたロマンチックな絵に向いていました。1880年代以降のイギリスでは十八世紀のスティプル・エングレーヴィングが注目を集め、版画の蒐集が流行しました。しかしながら 1929年の大恐慌で美術品市場が消滅したことに伴って、版画の蒐集も行われなくなりました。



註1 カンパニョーラの「横たわるウェヌス」は、輪郭線を持たない点で、ジョルジョーネの「ドレスデンの聖母」にそっくりです。

(下) Giorgione, "Venere di Dresda" (detaglio), c. 1510, Olio su tela, 108.5 x 175 cm, die Gemäldegalerie Alte Meister, Dresden






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