ジョゼット・エベール=コエファン
Josette Hébert-Coëffin, 1906 - 1973



 ジョゼット・エベール=コエファン 1950年頃


 ジョゼット・エベール=コエファン (Josette Hébert-Coëffin, 1906 - 1973) はフランスの彫刻家及びメダイユ彫刻家です。


【ジョゼット・エベール=コエファンの経歴】

 マルセル=ジョゼット=ロランティーヌ・エベール (Marcelle-Josette-Laurentine Hébert) は 1906年 12月 16日、北フランスのルーアン(Rouen オート=ノルマンディー地域圏セーヌ=マリティーム県)に生まれました。幼時より彫刻に関心を示し、また思春期の頃にはパリで音楽を学びたいと考えていましたが、家族の強い勧めでルーアンの美術学校 (l'École régionale des beaux-arts de Rouen) に入学します。美術学校では建築を専攻しつつ、アルフォンス・ギルー (Alphonse Guilloux, 1852 - 1939) に師事して彫刻にも取り組みました。ジョゼットの優れた才能は入学後すぐに現れ、1922年すなわち入学初年度に行われた建築作品のコンクール、及び浮き彫り彫刻二点が課題となった彫刻分野のコンクールにおいて、16歳のジョゼットは男子学生たちを差し措き、ともに一等を獲得しています。




(上) ジョゼット・エベール=コエファン 「鹿の母子」 1952年 "Biche et son faon", granit noir, 1952


 ジョゼットはルーアンの美術学校に入学後一年足らずでパリのサロン (le Salon des artistes français) に出品して好評を博し、二度目の出品で銅メダルを獲得しました。彫刻家エルンスト=アンリ・デュボワ (Ernest-Henri Dubois, 1863 - 1930) は、ルーアンの北50キロメートルにあるディエップ(Dieppe オート=ノルマンディー地域圏セーヌ=マリティーム県)に生まれた人ですが、若きジョゼットの才能を見抜いて激賞する一方、ジョゼットの作品が若者らしい過剰なロマンチスムに陥らないように厳しく指導し、才能が十分に発揮されていないと評価した作品は、サロンへの出品を止めさせたこともありました。


 ジョゼットは作家イヴァノエ・ランボソン (Yvanhoë Rambosson, 1872 - 1943) に紹介されて彫刻家シャルル・ドスピオ (Charles Despiau, 1874 - 1946) の弟子となり、ドスピオの下で数点の胸像を制作しています。ジョゼットが父であるエベール医師を彫ったのは、ドスピオの弟子であったときです。父娘の間に流れる愛情を彫刻作品に形象化した「エベール医師の胸像」は、ジョゼットの作品のなかでも最も優れたもののひとつです。


(下) ジョゼット・エベール=コエファン 「エベール医師の胸像」 1938年 "Buste du Docteur Hébert", 1938




 イヴァノエ・ランボソンはロベール・ヴレリック (Robert Wlérick, 1882 - 1944) にもジョゼットを紹介しました。ロベール・ヴレリックはシャルル・ドスピオの歳下の友人である高名な彫刻家で、ジョゼットに最も大きな影響を及ぼしました。ジョゼットはその経歴において幾人もの先輩彫刻家に学び、あるいは影響を受けていますが、自身をまず「ヴレリックの弟子」であると考えていました。

 ジョゼットは 1930年頃から動物をモティーフとする作品に取り組みました。この頃ジョゼットはアンリ・コエファン (Henry Coëffin) と結婚してルーアンに住みましたが、夫は亡くなってしまい、深い悲しみに沈みました。ジョゼットは夫との間に女の子を儲けており、テラコッタの美しい胸像を残しています。この作品はパリ市に買い上げられました。

 1934年、ジョゼットは空港に設置される大型彫刻の雛型を制作しています。これは飛翔しようとする流線形航空機の力強さと軽快さを表現した現代的な作品で、空港に進入する飛行機からの目印という実用性を兼ねていました。この作品は当時の航空省 (le Ministère de l'Air) に買い上げられました。

 1937年3月25日から11月25日まで、パリで「国際芸術技術展」(l'Exposition internationale des arts et techniques) が開かれました。ジョゼットはシャルル・ドスピオの仲介により、二羽のアヒルの彫刻をこの博覧会に出品し、金メダルを獲得しています。




(上) ジョゼット・エベール=コエファン 「花に留まる小鳥」 ビスク(素焼き磁器)による作品 1945年 "Oisillons sur Fleur", biscuit Sèvres, 1945


 ジョゼットはセーヴルの国立磁器工場 (la manufacture nationale de Sèvres) でも仕事をしました。国立磁器工場には優れた芸術家モーリス・ジャンゾーリ (Maurice Gensoli, 1892 - 1974) が1921年から在籍していました。ジャンゾーリは鮮やかな色を決して使わず、グレーをはじめとする抑えた色調を常に使用し、金彩の地色にはピンクがかったベージュを使って、非常に美しい数々の名品を世に送り出していました。ジョゼットはジャンゾーリに学んで、磁器作家としての才能を開花させました。ジョゼットの最初の磁器作品はオウムを模(かたど)ったもので、高い評価を得ました。他にもオオハシ、ふくろう、ひよこ、ビクーニャなど、動物をテーマにした数多くの作品に加え、胸像も多数制作しています。ドイツの画家ルドルフ・バウアー (Alexander Georg Rudolf Bauer、1889 - 1953) の胸像は特に高い評価を受け、ソロモン・R・グッゲンハイム財団から賞を受けています。




(上) ジョゼット・エベール=コエファン 「羊の頭部」 シャモット質陶器による作品 1937年 "Tête d'Agneau", grès chamotté, 1937


 ジョゼットがセーヴルで得たいま一つの収穫は、シャモット質陶器 (grès chamotté) の制作技術を磨いたことでした。ジョゼットは山羊の毛や、ツノメドリ、キーウィなどの羽毛を表現するのに適した素材を探し求めていましたが、シャモット質陶器はこの目的に適していたのです。この手法を確立したジョゼットは、イノシシの頭や雄鶏などの生命力に溢れる大きな像を作りました。




(上) ジョゼット・エベール=コエファン 「リオンス=ラ=フォレのノートル=ダム・ド・ラ・ペ」 "Notre-Dame de la Paix à Lyons-la-Forêt"


 ジョゼットの名声が高まるにつれて、数多くの制作依頼が寄せられました。北仏リオンス=ラ=フォレ(Lyons-la-Forêt オート=ノルマンディー地域圏ウール県)のブナ林にある大きな彫像「ノートル=ダム・ド・ラ・ペ」(Notre-Dame-de la Paix 平和の聖母)もそのひとつです。この作品において、聖母は左手に小鳥を抱き、高みを目指して飛び立つように励ましています。「ノートル=ダム・ド・ラ・ペ」は、ドイツの勝利を表現する像の材料となるはずであったロレ-ヌ産の石材を使って彫られています。




(上) ジョゼット・エベール=コエファン 「ヴィエルジュ・ド・ラ・ヴァレ(谷の聖母)」 1949年 "Vierge de la Valée", 1949


 上の写真はデヴィル=レ=ルーアン(Déville-lès-Rouen オート=ノルマンディー地域圏セーヌ=マリティーム県)にある「ヴィエルジュ・ド・ラ・ヴァレ」("Vierge de la valée" 谷の聖母)で、1949年の作品です。この作品に見られるほっそりとした繊細さは、リオンス=ラ=フォレの「ノートル=ダム・ド・ラ・ペ」の大胆な造形とは対照的です。デヴィル=レ=ルーアンは、ルーアン司教座聖堂のあるルーアン市と同じ県内です。ジョゼットの「ヴィエルジュ・ド・ラ・ヴァレ」は、この地域の豊かな文化遺産であるゴシック聖堂の、柱と一体化した細長い人物像が、あたかも前方へと歩み出たかのように見えます。


(下) ジョゼット・エベール=コエファン 「金色の聖母」 1951年 "Vierge dorée", 1951




(下) ジョゼット・エベール=コエファン 「Ph. ローレの胸像」 1941年 "Buste de Ph. Lauret", 1941






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