アンリ・ドロプシ
Henri Dropsy, 1885 - 1969
アンリ・ドロプシ 1942年に撮影
アンリ・ドロプシ (Henri Dropsy, 1885 - 1969) は数々の美しい女性像で知られるフランスのメダイユ彫刻家です。
【アンリ・ドロプシの経歴】
アンリ・ドロプシは 1885年1月21日、メダイユ彫刻家ジャン=バティスト・エミール・ドロプシ (Jean-Baptiste Emile Dropsy,
1848 - 1923) の息子として、パリで生まれました。
父から彫刻の手ほどきを受けたあと、パリ高等美術学校 (l'Ecole Nationale Supérieure des Beaux-arts,
ENSB-A) に入学し、ガブリエル=ジュール・トマ (Gabriel-Jules Thomas, 1824 - 1905) 及びジャン=アントワーヌ・アンジャルベール
(Jean-Antoine Injalbert, 1845 - 1933) に立体彫刻を、フレデリック・ヴェルノン (Charles-Frédéric
Victor Vernon, 1858 - 1912) に浮き彫り彫刻を学びました。パリ高等美術学校在学中の1908年に、ローマ賞メダイユ部門で二等を獲得しましたが、結婚したことにより、その後のローマ賞のコンペティションには参加できませんでした。(註1)
1911年にパリ高等美術学校を卒業した後、ドロプシはル・サロン展において 1912年に三等のメダル、1914年に銀メダルを受章しました。この年には第一次世界大戦が勃発し、ドロプシは直後に出征していますが、才能豊かなこの彫刻家が無事生還できたことはメダイユ芸術界にとって幸いでした。
戦争から戻ったドロプシは 1921年のサロン展で金メダルを受賞し、翌年に報奨金を受けて、イタリア、アルジェリア、チュニジアを旅しました。
1929年、ドロプシはサロン展にて名誉賞を受賞し、1930年にはパテ (Henri Auguste Jules Patey, 1855 -
1930) の後任としてパリ高等美術学校のメダイユ彫刻科教授となり、1955年に引退するまで後進の指導にあたりました。1942年にはルイ=アレクサンドル・ボテ
(Louis-Alexandre Bottée, 1852 - 1940) のあとを襲って芸術アカデミー (l'Académie des Beaux-Arts)
会員に選ばれています。また 1948年から49年にかけてはカイロの美術学校でも教鞭を執っています。
註1 ローマ賞のコンペティションは、参加資格を独身の芸術家に限っています。
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