ベンジャミン・ウィリアムズ・リーダー Benjamin Williams Leader, R. A., 1831- 1923
(上) 自画像
"Self-Portrait", 1884, Oil on canvas, 34.5 x 29.7 cm, Aberdeen Art Gallery, Aberdeen
ベンジャミン・ウィリアムズ・リーダー(Benjamin Williams Leader, R. A., 1831- 1923)は、1831年3月21日、イングランド西部のウスター(Worcester)に生まれました。もともとの名前はベンジャミン・ウィリアムズ(Benjamin
Williams)でしたが、のちに「ベンジャミン・ウィリアムズ・リーダー」を名乗るようになりました。
ベンジャミンの父は設計士でしたが、風景画家ジョン・コンスタブル(John Constable, 1776 - 1837)とも交流がある美術愛好家で、自身も風景画を描きました。息子ベンジャミンも父の写生についてゆき、やがて画家になりたいという希望を抱きます。十四歳になったベンジャミンは父の方針により設計事務所に入りますが、美術への志は衰えませんでした。およそ五年後、ベンジャミンはようやく父の許しを得てウスターの美術学校に入学し、1853年には王立美術アカデミーに仮入学を果たします。美術アカデミーに在学中にベンジャミンが展示した作品(
Cottage Children Blowing Bubbles)は買い手が付き、その後に制作した作品も、ウスターの上流階級に次々と買い求められました。ベンジャミンは王立美術アカデミーに加え、ロンドンのナショナル・インスティテューション(The
National Institution of Fine Arts, 1847 - 1861)、ロンドンのブリティッシュ・インスティテューション(the
British Institution for Promoting the Fine Arts in the United Kingdom,
1805 - 1867)、バーミンガム美術協会(the Birmingham Society of Artists)、リヴァプール・アカデミー(Liverpool
Academy)でも作品を展示し、いち早く名声を確立しました。
ベンジャミン・ウィリアムズの初期の作品はラファエル前派の影響の下、細部が正確に描き出され、また鮮やかな色彩が多用されています。しかしながらベンジャミンは名声を確立して後も自らの作風に満足せず、鮮やかな色を多用して人為的な画面となるのを避けるために、自然光と影の効果を追究しました。
当時ロンドンではウィリアムズという名前の別の画家一族が活動していました。この人たちと混同されるのを避けるため、ベンジャミン・ウィリアムズは
1857年に「ベンジャミン・ウィリアムズ・リーダー」と名乗るようになりました。リーダーは父のミドル・ネームから採った名前です。
(上) Benjamin Williams Leader, R. A.,
"Tintern Abbey"
「ジ・アート・ジャーナル」("The Art Journal")の編集者サミュエル・カーター・ホール(Samuel Carter Hall, 1800 - 1889)はリーダーの作品を高く評価し、1860年代から 1870年代にかけて、リーダーに好意的な批評を同誌に掲載します。「ジ・アート・ジャーナル」は十九世紀のイギリスで最も影響力が強い美術雑誌でしたから、これはリーダーにとってたいへん幸運なことでした。
上の写真はリーダーの「ティンタン修道院 ― ワイ川の月あかり」(
"Tintern Abbey - moonlight on the Wye")で、ティンタン(Tintern)のシトー会修道院の廃墟が、月光に照らされるさまを描いています。ティンタンはワイ川のほとりにあって、イングランドとの国境に接するウェールズ南部の村です。ワイ川の河口から数十キロメートル上流までの流域は風光明媚な「ワイ渓谷」で、なかでもティンタンは最も美しい場所の一つです。リーダーによるこの作品は、
チャールズ・カズン(Charles. Cousen, c. 1813 - 1889)によって非常に美しいインタリオの傑作となり、1875年の「ジ・アート・ジャーナル」に収録されました。
(上) Benjamin Williams Leader, R. A.,
"February Fill Dyke", 1881
リーダーの作品は自然光、とりわけ夕陽の効果を重視するのが特徴で、この画風は 1880年代までに確立されました。とりわけ 1881年に描いた「フェブリュアリー・フィル・ダイク」(
February Fill Dyke, 1881)はリーダーの最高傑作と激賞され、この作品を複製した数多くの版画が販売されました。
「フェブリュアリー・フィル・ダイク」とは田舎の人が使う表現で、「雪融け水で溝を満たす二月」、すなわち「雪融けの二月」という意味です。リーダーが描いた風景でも、冬の間に積もった雪や地面の氷が融けて、方々にぬかるみができています。明るい夕陽が水たまりに映り込み、春の訪れを感じさせる明るい画面に仕上がっています。
(上) Benjamin Williams Leader, R. A.,
""In the evening it shall be light", 1882
リーダーは 1882年に制作した「晴れゆく夕刻」(
"In the evening it shall be light", 1882)を1889年のパリ万博に出品しました。この作品は同万博で金メダルを獲得し、画家はレジオン・ドヌール章シュヴァリエを授与されました。1891年、ベンジャミン・ウィリアムズ・リーダーは王立アカデミー会員に選ばれ、作品の評価はさらに高まりました。1914年には「ベトゥス=イ=コイド、スルグイのほとり」(
"On the Llugwy, Bettws-y-coed")がイギリス王室に買い上げられました。
ベンジャミン・ウィリアムズ・リーダーは 1854年から 1923年までの六十九年間に、二百十六枚の作品を王立アカデミーで展示しました。リーダーの作品は、ロンドン、ウスター、バーミンガム、マンチェスター、リヴァプール、グラスゴウだけではなく、パリ及びアメリカ合衆国とフランスでも展示されました。現在ではテート・ブリテンやヴィクトリア・アンド・アルバート美術館をはじめ、各地の美術館で作品を目にすることができます。
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