稀少品 ジュール=クレマン・シャプラン作 「ニコライ2世と皇妃アレクサンドラ」 19世紀フランス・メダイユ芸術の頂点
メダイユの直径 70.3 mm 厚さ 最大 6.6 mm 重量 146.4 g
フランス 1896年
19世紀後半から20世紀初頭のフランスにおける最も重要なメダイユ彫刻家のひとり、ジュール=クレマン・シャプラン (Jules-Clement Chaplain, 1839 - 1909) による大型の作品。ロシア皇帝ニコライ2世 (Nicholas II, 1868 - 1894 - 1917 - 1918) が、1896年、皇妃アレクサンドラ・フョードロヴナ
(Alexandra Feodrovna, 1872 - 1918) とともにフランスを訪問した際に、記念に製作されたものです。19世紀フランスが産んだメダイユ彫刻の最高傑作ともされる有名な作品ですが、実物を目にする機会はめったにありません。
近世以降のフランスとドイツは対立を繰り返し、19世紀後半には普仏戦争(1870 - 71年)がありました。鉄血宰相として知られたビスマルク
(Otto Eduard Leopold Fuerst von Bismarck-Schoenhausen, 1815 - 1898) は、普仏戦争に勝利してドイツ帝国統一に成功すると、1873年にはオーストリア・ハンガリー及びロシアの両帝国との間に三帝同盟、1882年にはオーストリア・ハンガリー、イタリアとの間に三国同盟、1887年にはロシアとの間に独露再保障条約を結んで、対フランス包囲網を構築しました。
しかしながら 1890年にビスマルクは失脚し、親政を敷いたドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、同年6月17日に失効する独露再保障条約を更新しませんでした。また帝国主義的な領土拡張政策を推し進めて、ロシアに警戒心を抱かせました。こうしてロシアとフランスは共通の敵ドイツに対抗して接近し、1894年、ニコライ2世の父アレクサンデル3世の時代に、両国の間に露仏同盟が成立しました。
同年11月1日にアレクサンデル3世が崩御し、ニコライ2世が即位した後も、ロシアとフランスの友好関係は続きました。若き皇帝ニコライ2世とその妻アレクサンドラ・フョードロヴナは
1896年にフランスを訪れ、翌 1897年にはフランス共和国大統領フェリクス・フォールがロシアを訪れました。1901年にはニコライ2世がふたたびフランスを訪れ、その翌年にはフランス共和国大統領エミール・ルーベがロシアを訪れています。このメダイユは
1896年にロシア皇帝夫妻がフランスを訪問した際のもので、ヨーロッパ近代史における上記の流れの中に位置づけられる作品です。
このメダイユの表(おもて)面には、手前に皇帝、奥に皇妃の写実的な胸像を、一部を重ねて浮き彫りにしています。当時28歳の若き皇帝は、勲章を付けた最高司令官の軍服で正装し、軍人らしく引き締まった凛々しい横顔を見せています。ヘッセン大公国(現在のドイツ中部にあった国)の公女であり、大英帝国女王のエリザベス一世の孫娘であったアレクサンドラ・フョードロヴナは、真珠のパリュールを構成すると思われるティアラとネックレスに加え、カラー・ストーンらしきペンダントを身に着けています。
少し角度を変えて浮き彫りを鑑賞すると、異なる部分に光が当たって、夫妻の髪の流れや皇帝のひげ、皇妃のヴェールなど、細部の繊細さがよく分かります。
メダイユ彫刻、あるいは浮き彫り彫刻の歴史を俯瞰すると、初期の彫刻家たちは浮き彫りの実際の厚みを大きくすることによって、立体性を表現しようとしました。しかし19世紀半ば以降になると、浮き彫りの物理的な厚みに頼らずに、あたかも実物のような立体性を感じさせる作品が増えてきます。ジュール=クレマン・シャプランによるこのメダイユもそのような作品のひとつで、皇帝夫妻の浮き彫りはさほど肉厚でないにもかかわらず、あたかも生身の人物を眼前に見るかのように活き活きとした描写が為されています。
実在する人物の容貌や肉体的特徴はもちろんのこと、人柄までも忠実に写し取るシャプランの表現力は単なる写実を超えており、この彫刻家の作品を観るたびに、芸術家として優れた「眼」を持つとはどういうことかを思い知らされます。
シャプランは存命中の人物を描写した数々の傑作を産み出していますが、なかでもこの作品は、シャプランと同時代のメダイユ研究家レナード・フォラー
(Leonard Forrer) により、メダイユの最高傑作として絶賛されています。("Biographical Dictionary of Medallists", Spink and son, London, 1902)
メダイユの裏面には、ニコライ2世の紋章とフランス共和国の紋章を上部に並べ、次の言葉がフランス語で記されています。
Visite en France de leurs Majestes l'Empereur et l'Imperatrice de Russe ロシア皇帝、皇后両陛下のフランスご訪問
Cherbourg, Paris, Chalons, 5 - 9, Octobre, 1896 シェルブール、パリ、シャロン 1896年10月5日から9日
当時のフランスにとって唯一の友邦であり、このうえも無く頼もしい同盟国であるロシアの皇帝夫妻は、行く先々で市民の熱狂的な歓迎を受けました。下の絵はアルフレッド・ロール
(Alfred Philippe Roll, 1846 - 1919) の作品で、パリを訪問したニコライ2世夫妻とフランス大統領フェリクス・フォールが、アレクサンドル3世橋の礎石をセーヌの河床に設置したときの様子を描いています。アルフレッド・ロールはアレクサンドル・シャルパンティエ (Alexandre Louis Marie Charpentier, 1856 - 1909) との親交によっても知られる画家です。
(下) Alfred Roll, "Pose de la première pierre du Pont Alexandre III à Paris par le Tsar
Nicolas II, l'Impératrice et le Président de la Republique Félix Faure,
le 7 octobre 1896," 1899
下の絵はエドゥアール・ドゥタイユ (Jean-Baptiste-Édouard Detaille, 1848 - 1912) の作品で、フランス東部シャロン=シュル=マルヌ(現在のシャロン=アン=シャンパーニュ)で閲兵するニコライ2世夫妻とフランス大統領フェリクス・フォールを描いています。
(下) Edouard Detaille, "Visite officielle du Tsar Nicolas II en France en 1896. Revue passée
à Chalon-sur-Marne par le Président Félix Faure, le Tsar et la Tsarine,
le 9 octobre 1896"
メダイユ下部には美しい花束が左右非対称に配されて、当時のヨーロッパを席捲したアール・ヌーヴォーの優雅な香りをいまに伝えています。メダイユの縁にはコルヌ・コーピアエ(CORNU
COPIAE 豊穣の角)、及び「ブロンズ」(BRONZE) の刻印があります。
このメダイユは120年近く前に制作された真正のアンティーク美術品で、美しく重厚なパティナ(古色)に被われています。光を当てる角度を変えると表面に様々な小きずが見えますが、特筆すべき重大な問題はまったく無く、たいへん良好な保存状態です。
多数の名品を制作したジュール=クレマン・シャプランが手掛けたなかでも、本品はとりわけ有名な作品のひとつですが、実物はなかなか手に入りません。優れた彫刻家による美しい芸術作品として、フランスが19世紀半ば以降に経験したメダイユ芸術ルネサンスの美術史的資料として、ロマノフ朝ロシアの崩壊と共産主義革命、第一次世界大戦へと直接につながってゆく時代の証人として、いずれの意味でもこのうえなく貴重な作品です。
メダイユの価格 118,000円 (税込、額装別)
電話 (078-855-2502) またはメール(procyon_cum_felibus@yahoo.co.jp)にてご注文くださいませ。
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