19世紀末のフランスで制作されたアール・ヌーヴォー様式の飾りボタン。花の形のブロンズ製小メダイユに、フローラ(花の女神)、あるいはプリーマヴェーラ(春の女神)を浮き彫りにしています。ボタンとしては大ぶりのサイズに加えて、ある程度の厚みもあり、手に取ると心地よい重みを感じます。ボタンはシルエットそのものが左右非対称で、一輪の花を象(かたど)り、立体的な浮き彫りによって女性の上半身を刻んでいます。草花に取り囲まれ、髪にも花を挿した女性はフローラでしょうか。それともプリーマヴェーラでしょうか。
人間以外の生き物や無生物、抽象概念を擬人化して表す場合、男性の姿になるか女性の姿になるかは、擬人化されるものを表す名詞の性によります。「春」を表すラテン語の「プリーマヴェーラ」(PRIMAVERA)は女性名詞ですので、美術において「春」を擬人化する場合、女性の姿で表されます。また「花」を表すラテン語「フローラ」(FLORA)
も女性名詞ですので、花も女神に擬人化されます。
女性像の背景を為す大きな花弁は、シルエットと縁が花弁形になっているだけではなく、葉脈状の維管が花の中心から放射状に発出しているために、生命を感じさせる植物の形態にいっそう近く、さらには春の曙光をも連想させるデザインとなっています。
フランスはメダイユ(メダル)芸術が発達した国であり、メダイユの浮き彫りは美術界において丸彫り彫刻と同等の高い地位を有します。本品も単なる服飾小物というよりも、16世紀以来のフランス・メダイユ芸術の伝統を引き継いで制作された本格的な工芸品と位置付けることができます。制作方法の点でも、大量生産に向いた打ち出し細工や打刻ではなく、大型の美術メダイユと同様に一点ずつ丁寧に鋳造されており、美術メダイユに比肩するクオリティの、アール・ヌーヴォーの小品であることがわかります。
このメダイユはアール・ヌーヴォー全盛期である19世紀末に制作されたアンティーク品ですが、 特筆すべき疵(きず)や摩耗はまったく見られません。細部までよく保存されており、きわめて良好なコンディションということができます。