20世紀後半のフランスで制作されたフランス古典詩人アカデミー (l'Académie des Poètes Classiques de France)
のメダイユ。パリのメダイユ工房メタルジャン (Metargent) で作られた作品で、70ミリメートルを超える直径、143グラムの重量があり、手に取るとずしりとした重みを感じます。
メダイの表(おもて)面には海面近くを滑空するアホウドリの姿が浮き彫りにされ、シャルル・ボードレール (Charles-Pierre Baudelaire,
1821 - 1867) の詩「アルバトロス」("L'Albatros" 「あほうどり」)の最終行が刻まれています。
Ses ailes de géant l'empêchent de marcher. その大いなる翼ゆえに、詩人は歩むを得ず。
1857年6月25日、ボードレールは韻文による唯一の作品集「レ・フルール・デュ・マル」("Les Fleurs du Mal" 「悪の華」) 1300部を出版します。1857年版「悪の華」は、1840年以来の作品101篇を、六部に分けて収めます。第一部「憂鬱と理想」(Spleen
et idéal) には85篇が収録されており、「アルバトロス」はそのひとつです。「アルバトロス」はフランスの詩に多い四行連、アレクサンドランという形式で書かれており、内容は次の通りです。日本語は筆者(広川)が訳したもので、韻文にはなっていません。
L'Albatros | アルバトロス(あほうどり) | |||
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Souvent, pour s'amuser, les hommes d'équipage Prennent des albatros, vastes oiseaux des mers, Qui suivent, indolents compagnons de voyage, Le navire glissant sur les gouffres amers. |
時折、船乗りたちは無聊(ぶりょう)の慰みに 海の無辺なる鳥、あほうどりを捕らふ。 あほうどりは怠惰で物憂げな旅の友。 深き海の上を滑りて船に従ふ。 |
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A peine les ont-ils déposés sur les planches, Que ces rois de l'azur, maladroits et honteux, Laissent piteusement leurs grandes ailes blanches Comme des avirons traîner à côté d'eux. |
船上に降り立つや、 この蒼穹の王者は不器用に恥を曝し、 その大いなる白き翼を 櫂の如くに広げて引き摺る。 |
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Ce voyageur ailé, comme il est gauche et veule! Lui, naguère si beau, qu'il est comique et laid! L'un agace son bec avec un brûle-gueule, L'autre mime, en boitant, l'infirme qui volait! |
翼あるこの旅人の、何とぎこちなく無気力な様よ。 つい今しがたはかくも美しかりし鳥の、可笑しく見苦しき様よ。 船乗りどものある者は、短きパイプを鳥に咥へさせて嘴を焼き、 ある者は足を引き摺りて、空より引き下ろされたる不具者を真似る。 |
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Le Poète est semblable au prince des nuées Qui hante la tempête et se rit de l'archer; Exilé sur le sol au milieu des huées, Ses ailes de géant l'empêchent de marcher. |
雲上の王あほうどりに、詩人は似たり。 嵐に遊び、弓引く人をあざ笑ふも、 狩人たちが喊声のなか、地上にて狩り出されなば、 その大いなる翼ゆへに、詩人は歩むを得ず。 |
1841年、20歳のボードレールは、アフリカ大陸の南端、喜望峰を回る船に乗り、当時「ブルボン島」(l'île Bourbon) と呼ばれていたインド洋の小島に旅しました。ブルボン島はマダガスカルの東700キロメートルに位置する火山島で、現在では「レユニオン島」(l'île
de la Réunion) と呼ばれています。レユニオン島はフランスの海外領土のひとつです。
外洋の船旅が非常に困難であるばかりでなく現実的な危険を伴ったこの時代に、若きシャルル・ボードレールが東アフリカ沖に浮かぶ絶海の孤島、ブルボン島を目指して旅立ったのは、厳格な軍人であった継父の意向でした。シャルル・ボードレールの実父フランソワ・ボードレール
(François Baudelaire, 1759 - 1827) は、シャルルが5歳の頃に、68歳で亡くなりました。夫より34歳も若かったシャルルの母、カロリーヌ・アルシボ=デュフェ
(Caroline Archimbaut-Dufays, 1793 - 1871) は、1828年、息子シャルルが7歳のときに、四つ年上の高級将校、ジャック・オピック
(Jacques Aupick, 1789 - 1857) と再婚しました。
シャルルはこの継父に懐かず反抗を続け、ふたりの関係は緊張をはらみ続けました。厳格な継父は若きシャルルの根性を矯正するために、有無を言わさずブルボン島行きの船に乗せたのでした。したがってシャルル・ボードレールは、自分自身の意思でレユニオン島に行ったわけではありませんでしたが、それでもこの船旅は若き詩人に大きな影響を及ぼしました。
上記の作品「アルバトロス」は、未だ世に出ていない若き詩人ボードレールが、このときに書いた作品です。
喜望峰やケープ岬を回る航路はアホウドリに出会うことが多く、当時の船には「ペシュ・ア・ラルバトロス」(la pêche à l'albatros)
と呼ばれるアホウドリの捕獲器が積まれていました。アホウドリは食用になるほか、当直時間外に無聊(ぶりょう)を託(かこ)つ乗組員は、アホウドリの脚の皮を張ったタバコ入れを作ったり、骨をマストやヤードに使って模型船を作ったり、本物の嘴を取り付けたアホウドリの模型を作ったりしていたようです。
「アルバトロス」において、ボードレールは詩人の魂をアホウドリに喩えています。アホウドリ(仏 Albatros)はミズナギドリ目アホウドリ科
(Diomedeidae) の総称で、レユニオン島には六種が生息していますが、いずれの種も非常に大きく、翼開長 2.5 ~ 3.5メートル以上に成長します。寿命は30年から、長命の種では80年にも及びます。日本近海のアホウドリ
(Phoebastria albatrus) もそうですが、アホウドリ科の鳥は飛行能力が驚異的に優れている半面、地上では呆れるほど不器用なのが特徴です。
ボードレールは上記の作品「アルバトロス」において、天翔(あまか)ける詩人の魂を、大いなる翼で蒼穹(そうきゅう 青空)を舞うアホウドリに喩えています。アホウドリは、上述のように、実際大きな鳥なのですが、アホウドリの体の大きさと、アホウドリが翔ける天空の広さは、詩人の魂の大きさ、詩の世界の大きさをも表しています。第一スタンザの「海の無辺なる鳥」(vastes
oiseaux des mers) という句では、形容詞「無辺なる」(vastes) は「鳥」(oiseaux) を修飾しています。しかしながらこの句はイパラージュ(hypallage 換置法)という詩のテクニックによって、「無辺なる海の鳥」(oiseaux
des vastes mers) という意味をも重層的に表します。すなわち詩人の大いなる魂は、想像の翼を羽ばたかせて肉体を出で、あらゆる束縛から解き放たれて、広大無辺な詩の世界を自由に舞い飛ぶのです。
ボードレールは詩人の大いなる魂、大いなる詩の世界を、作品の前半において強調的に示し、後半で描写されるアホウドリの不器用さを鮮やかに対置しています。前半と後半におけるこの変化は、正反対のイメージを持つ形容詞群により補強されています。音に関してみると、特に第三スタンザでは有声子音が多用されて、天空から引き下ろされたアホウドリのミゼール(悲惨さ)が感覚的に強調されています。第四スタンザでは、15行に使われている語「ユエ」(huées 喊声)の語頭のアッシュ
(h) はアッシュ・アスピレであるために、冠詞とリエゾンせず、フランス詩法で禁じられている耳障りな「ヤテュス」(hiatus 母音衝突)が起こっています。さらに
15行冒頭の男性単数形の完了分詞 "Exilé" を、16行冒頭の女性複数名詞 "ses ailes"
で受ける意図的な破格によって、狩人たち、すなわち俗悪な大衆と、詩人の間の埋め難い断絶を強調しています。
以上のようなテクニックを駆使することで、若きボードレールは、詩人の偉大さと、現世における詩人の境遇の悲劇性を見事に描き出すことに成功しています。未だ詩人として世に認められず、継父との関係にも苦しむシャルル・ボードレールは、永遠に滞空し続けることを許されず、甲板に降りてもがくアホウドリに、自身の姿を重ね合わせているのです。
このメダイユの表(おもて)面には「蒼穹の王者 (rois de l'azur)」「雲上の王 (prince des nuées)」アホウドリの雄姿を描きます。アホウドリの眼下に逆巻く波は、「弓引く人
l'archer」あるいは「狩人たちの喊声 huées (かんせい 獲物を追いたてる声)」を、自然に仮託して形象化したものと見ることも可能です。詩人が俗世間を相手にしないのと同様に、アホウドリは荒れる波を見下ろしつつ、大空を悠然と舞っています。
写真ではあまり分かりませんが、実物を手にして観察すると、アホウドリの羽毛の質感がよく表れています。大きな水鳥が滑空して、外洋上の澄みきった大気を、風切り羽根が切り裂く心地よい音が、実際に聞こえてくるような気がします。
メダイユの裏面にはオリーヴと月桂樹を組み合わせ、これを取り巻くように次の言葉が記されています。
ACADEMIE DES POETES CLASSIQUES DE FRANCE フランス古典詩人アカデミー
オリーヴと月桂樹は、古代ギリシア以来、勝利と栄光の象徴です。オリュンポス競技の勝者は、月桂冠とオリーヴの枝、オリーヴ油を与えられました。月桂樹の枝に沿うように、フランス古典詩人アカデミー会長トリスタン・ビュリダン
(Tristan Buridant) 氏の署名が書かれています。「メタルジャン」(METARGENT) とあるのは、パリのメダイユ工房の名前です。
このメダイユは美しいばかりでなく、たいへん稀少な作品で、本品は私自身がこれまでに目にした唯一の作例です。保存状態は良好で、特筆すべき問題はありません。メダイユ表面の小さな瑕疵は、写真では目立ちますが、実物では気になりません。