第二部 生物進化史

13. 感覚器官

 動物が目を獲得したきっかけについては、既に述べた。眼点には、オプシンというタンパク質が含まれている。オプシンに光が当たるとタンパク質の構造が変化する。眼点はオプシンが持つこの性質を利用して光を感じている。

 

 眼点は、デジタルカメラの撮像素子(さつぞうそし)にたとえることができる。個々の眼点は明暗を感じるだけで、物の形までは分からない。しかし平らなシートに眼点をたくさん並べ、そのシートに映像を投影すれば、並んだ眼点の持ち主には、映った物の形が分かるだろう。

 

 シートに映像を投影するために、レンズは必ずしも必要ない。シートの前面の少し離れた場所にカバーを置き、カバーの中央にピンホールを開ければ、ピンホール・カメラができる。「ピンホール」とは英語で「針(ピン)の孔(あな ホール)」、つまり針のように小さな孔のことだ。ピンホール・カメラはレンズを持たないが、箱の奥には、外にある物の形が投影される。

 

 カタツムリの目は、レンズを持たない「ピンホール・カメラ」だ。カタツムリの目は、杯(さかずき)のように深くくぼんでいて、盃の底に当たる網膜(もうまく)に、光を感じる細胞がびっしりと並んでいる。目の入り口は、小さな孔になっている。このような目を「杯状眼」(はいじょうがん)と呼んでいる。

 

 これに対してレンズがある眼を「カメラ眼」と呼ぶ。カメラ眼は「水晶体眼」ともいう。水晶体とは目にある透明のレンズのことだ。上で説明したように、物の形を見るために、レンズは必ずしも必要ない。しかしレンズがあるカメラ眼は、レンズがない杯状眼に比べて、物の形をずっとはっきり見ることができる。ホラガイや頭足類(タコやイカ)の目はカメラ眼だ。また脊椎動物の目はすべてカメラ眼だ。

 

 カンブリア紀の魚に似た脊椎動物メタスプリッギナは、カメラ眼を持っていた。弱肉強食の世界では、捕食する側にとっても捕食される側にとっても、目、特にカメラ眼は重要な役割を果たす。カンブリア紀になって、一部の生物が目、特にカメラ眼を獲得したことにより、生存競争が急に激しくなった。これが二回目のカンブリア大爆発を引き起こした原因だと考えられている。(光スイッチ仮説)

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 二次元の網膜に投影された物の形がわかるために、脊椎生物は二種類の分子、EphAとEphBを利用している。EphAの濃さとEphBの濃さ(濃度勾配 のうどこうばい)を組み合わせることで、物の形がわかる。

 

 カンブリア紀の初め頃に起こった遺伝子重複について、以前に説明した。このとき起こったのは生物が持つ遺伝子(DNA)全体が二倍になるタイプの遺伝子重複で、これを「ゲノム重複」という。

 

 無脊椎動物は一種類のEphしか持っておらず、脊椎動物は二種類のEphを持っていることから、脊椎動物だけが持つ二種類目のEphは、カンブリア紀に脊椎動物が生まれた際、ゲノム重複が起こって獲得されたと考えられている。また人間は色覚のもとになる三種類のフォトプシンを持っている。フォトプシンは、オプシンの仲間のタンパク質だ。フォトプシンは一部の遺伝子の重複によって獲得されたものだ。

 

 目以外の感覚器官の進化についても簡単に述べる。脊椎動物の祖先は、海の中に住んでいたとき、周囲の水質を調べる感覚器官を持っていた。脊椎動物の一部が水から出て陸に上がると、祖先の感覚器官は、嗅覚上皮(きゅうかくじょうひ 鼻の奥の湿った部分)や、味蕾(みらい 舌の表面の味を感じる部分)に引き継がれた。嗅覚上皮や味蕾はいつも湿っている。これらの感覚器官が湿っているのは、においや味の分子を水に溶かして検査するためだ。陸上動物であっても、分子をいったん水に溶かさないと、感じることができない。これは動物の祖先が水中の生物であった頃の名残りだ。ちなみに感覚器官ではないが、陸上動物の肺に関しても同様のことがいえる。陸上動物は肺で酸素をいったん水に溶かし、呼吸を行っている。

 

 魚は側線で音を聴いている。側線の内部は微細な毛が生えた細胞が並んでおり、水の振動として伝わって来る音を感じ取っている。人間の耳の奥には、カタツムリの殻のような形をした感覚器官、蝸牛(かぎゅう カタツムリのこと。別名 うずまき管)があって、人間はここで音を聴いている。蝸牛の内部は液体が満たされており、側線の内部と同じように、微細な毛の生えた細胞が並んでいる。蝸牛は人間の側線だ。





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