丸彫りを多用した立体的な描写が、あたかもイエズスの公生涯の一場面に居合わせるかのような錯覚を観る者に起こさせる群像。直径およそ 17センチメートルの彫刻を、黒く塗った木製の額縁に嵌め込み、ドーム状のガラスで保護しています。中央に立つイエズスの側に、5人の幼児と2人の母親の姿が見え、マルコによる福音書
10章 13 - 16節の出来事をテーマにして制作されていることがわかります。ネストレ=アーラント26版、及び新共同訳により、該当箇所を引用いたします。
Καὶ προσέφερον αὐτῷ παιδία ἵνα αὐτῶν ἅψηται: οἱ δὲ μαθηταὶ ἐπετίμησαν αὐτοῖς. ἰδὼν δὲ ὁ Ἰησοῦς ἠγανάκτησεν καὶ εἶπεν αὐτοῖς, Ἄφετε τὰ παιδία ἔρχεσθαι πρός με, μὴ κωλύετε αὐτά, τῶν γὰρ τοιούτων ἐστὶν ἡ βασιλεία τοῦ θεοῦ. ἀμὴν λέγω ὑμῖν, ὃς ἂν μὴ δέξηται τὴν βασιλείαν τοῦ θεοῦ ὡς παιδίον, οὐ μὴ εἰσέλθῃ εἰς αὐτήν. καὶ ἐναγκαλισάμενος αὐτὰ κατευλόγει τιθεὶς τὰς χεῖρας ἐπ' αὐτά. | イエスに触れていただくために、人々が子供たちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。しかし、イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」そして、子供たちを抱き上げ、手を置いて祝福された。 |
このエピソードはすべての共観福音書に記録されています。福音書のこの箇所で使われている「子供たち」という言葉は、マタイ伝(19: 13 - 15)及びマルコ伝(10:
13 - 16)では「パイディア」(παιδία ギリシア語)あるいは「パルウリィ」(PARVULI ラテン語)、ルカ伝(18: 15 - 17)では「ブレプェー」(βρέφη ギリシア語)あるいは「イーンファンテース」(INFANTES ラテン語)が使われています。「パイディア」「パルウリィ」は広義の「子供たち」を指す最も一般的な言葉ですが、ルカ伝で使われている「ブレプェー」という言葉はもともと胎児を表す言葉が新生児、乳児の意味に転じたものです。またこれをラテン語に訳した「イーンファンテース」は、「言葉をうまく話せない」という意味の形式所相動詞「イーンフォル」(INFOR)
の分詞に由来する語であって、まだ片言しか話せないような乳幼児、現代で言えば幼稚園に入る前の幼児ぐらいの年齢の幼子を指します。
ちなみに1910年版のラゲ訳ではマルコ伝に「幼兒」(をさなご)、マタイ伝とルカ伝に「孩兒」(をさなご)の文字を当てています。「孩」(カイ、ガイ)とはやはり乳児のことであり、転じて2、3歳までの乳幼児を指します。この彫刻において、イエズスを慕ってまとわりつく子供たちがいずれもたいへん幼いのは、共観福音書の記述に忠実に従った表現であることがわかります。
公生涯も終わりに近づいたこの時期、イエズスは全イスラエルが待望するメシアであると考えられて大勢の人々に崇められ、付き従われていました。そのような「英雄」「偉い先生」であるイエズスに対して、幼い子供たちは気後れもせずに近づき、弟子たちがこれを叱りますが、イエズスは逆に弟子たちを叱って、子供たちを側に引き寄せます。この作品においても、子供たちは幼子ゆえの鋭敏な感覚でイエズスの愛を感じ取り、その手を取って、慕わしげにまとわりついています。
イエズスの右側(向かって左側)には、若く美しい母と、ふたりの幼い男の子がいます。大きいほうの男の子は衣をまとっていますが、弟らしき男の子は、ほとんど裸です。母子三人の人物群は、ラファエロが描く聖母子と幼いヨハネ(洗礼者ヨハネ)の群像を連想させます。
(下) 参考画像 「鶸(ひわ)の聖母」(Raffaello Sanzio, "La Madonna del Cardellino", c. 1506, olio su tavola, 107 x 77 cm, la Galleria degli Uffizi, Firenze.)
(下) 参考画像 「美しき女庭師」(Raffaello Sanzio, "La Belle Jardinière", 1507, olio su tavola, 122 x 80 cm, Musée du Louvre, Paris)
イエズスの足下には幼い男の子が座り込み、トカゲと戯れています。その下にはこの作品を共同で製作したふたりの彫刻家、P. マテイ (P. Mattei)
とジルゥ (Giroux) の署名があります。ジルゥの署名に続けて書かれた "f" は、ラテン語で "feciunt"(制作した)の意味です。
イエズスの左側(向かって右側)にも、ふたりの幼子を連れた女性がいます。イエズスは女性の膝に抱かれた乳児に優しい眼差しを注ぎ、女性はイエズスの顔をまっすぐに見つめています。
膝上の乳児は、前にいるきょうだいの頭に右手を置いていますが、その目は手前に座る幼子のほうを見ています。手前に座る幼子も、イエズスの左に腰掛ける女性の子供なのかもしれません。
この彫刻の素材は石膏または漆喰(しっくい)ですが、作品はいずれも丸彫りに近い人物の群像となっており、鋳型に流し込んで作ることは不可能で、彫刻家が一点一点の像を手作業で製作しています。西洋絵画の伝統に則(のっと)り、背景も遠近法に従って丁寧に制作されています。
この作品の額は黒く塗った木製で、四個の部材を組み合わせて制作された19世紀のオリジナルです。木材が乾燥・収縮したために、額縁の下側、時計の短針で言えば6時付近にある部材の合わせ目一箇所に乖離が起きていましたので、木材用パテで修復いたしました。ガラスは外側に大きく膨らんだドーム型で、19世紀のオリジナルです。制作当時のままの良いコンディションです。
この彫刻は、作品そのもの、及び額縁、ガラスとも、古い年代にもかかわらず、保存状態は極めて良好です。美術館に収蔵されていたわけでもないのに、百数十年のあいだ、壁から落下するなどの事故に一度も見舞われることなく、制作当時のままの状態で残った幸運な聖品です。経年による古色が、真正のアンティーク品ならではの深い味わいを醸しています。
写真では彫刻の表面に色むら、あるいは艶がある部分と無い部分のむらがあるように見えますが、肉眼で見ると何の問題もありません。写真よりも実物の方がはるかに美しく、福音書の世界に引き込まれます。イエズスの公生涯のエピソードに、あたかも自分自身が立ち会っているかのような感動さえ憶えます。