聖ジャン・ド・ラ・ランド
St. Jean de la Lande


 カナダの殉教者(北アメリカの殉教者)のひとりである聖ジャン・ド・ラ・ランド (St. Jean de la Lande, +1646) は六角形を為すフランス国土の北端の角に近いオート=ノルマンディー地域圏の港町ディエップ (Dieppe) に生まれました。フランスでの経歴は詳らかではありませんが、信心書の購入記録から、1642年にはヌーヴェル=フランスにいたことがわかります。この頃からイロクォワ族の支配地域に赴いた 1646年までは、ドネ (donne) として、ヴィル・ド・ケベックから 100キロメートルあまり西にあるトロワ=リヴィエール (Trois-Rivieres) のイエズス会施設で働いていたようです。

 1646年 9月 24日、モホーク族との停戦を継続させて宣教拠点を築くために、聖イザック・ジョーグ (St. Isaac Jogues, 1607 - 1646)、聖ジャン・ド・ラ・ランド、インディアン 3、4名から成る派遣隊がヴィル・ド・ケベックを出発してモホーク族の支配地域に向かいました。しかしトロワ=リヴィエールを過ぎた頃にインディアンたちは 1名を残して逃げ出してしまいました。
 この年の夏、聖イザック・ジョーグは和平交渉のためにモホーク族の村を訪れて安全に帰還していたのですが、モホーク族は、前回と違って、今回は途中で聖イザック・ジョーグと聖ジャン・ド・ラ・ランドを捕らえ、衣服を剥ぎ、持ち物を奪い、殴打した上で村に連行しました。
 村では宣教師たちの処置が議論され、穏健派の主張が通ってふたりはいったん解放されましたが、強硬派はこれに納得せず、10月 18日に聖ジャン・ド・ラ・ランドを、同日または翌日に聖イザック・ジョーグを、トマホークで殺害し,、頭部を切断して村の囲い柵に飾り、首から下は川に投げ捨てました。ふたりが殉教したモホーク族の村は、現在のアメリカ合衆国ニューヨーク州オーリズヴィル (Auriesville) にあたります。ふたりに同行していたインディアンは、翌 1647年 6月 4日にトロワ=リヴィエールに戻って、聖人たちの殉教を報告しました。

 聖ガブリエル・ラルマン (St. Gabriel L'Allemant, 1610 - 1649) は、1647年の「レラシオン」に掲載された報告書で聖ジャン・ド・ラ・ランドの忠誠心を褒め、モホーク族の支配地に向けて出発する際に、自分が死ぬことはわかっているが、神に仕える望みによって導きを受けているのです、と語った聖人の言葉を伝えています。



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