シエナの聖カタリナ
St. Catherine of Siena




(上) Fra Bartolommeo, "Le Mariage mystique de Sainte Catherine", 1511, huile sur bois, 257 x 228 cm, musée du Louvre, Paris


【シエナの聖カタリナの生涯】

 シエナの聖カタリナ (Santa Catarina da Siena, 1347.3.25 - 1380.4.29) はシエナの染物業者の家に、25人のきょうだいの24人目として生まれました。カタリナは幼い頃から幻視を体験し、父の強い反対にもかかわらず家庭で厳しい禁欲と懺悔の生活を送り、結婚を拒み、16歳のときにドミニコ会在俗会員になりました。

 1366年頃、カタリナは自身が書簡でイエスとの「神秘的結婚」と呼ぶ神秘的体験をします。カタリナは隠遁の生活を捨てて世の人々と交わるようにイエスから命じられ、病める者を病院に、貧しき者を各家庭に訪ねる生活を始めます。


 ヨーロッパの中世はいわば敬虔なる異端者ともいうべき集団が次々に現れ、教会が彼らとの闘争に明け暮れた時代でした。カタリナの敬虔と献身が知れ渡って彼女に倣う者の数が増えるとともに疑いの目も向けられ、1374年、カタリナは審問のためにドミニコ会によってフィレンツェに呼び出されましたが異端的要素は見出されませんでした。

 フィレンツェ訪問後のカタリナは仲間たちと共にイタリア中部と北部を旅して教会の改革と新しい十字軍の派遣を訴え、また真の悔い改めと生まれ変わりは全身全霊を以って神を愛することによってのみ可能になると説きました。1375年には聖痕を受けたといわれています。

 カタリナはイタリアの政治的分裂を収めるため、また教皇庁をアヴィニヨンからローマに戻すために、多数の手紙を口述しました。1376年にはフィレンツェと教皇領との間に和平をもたらすためにフィレンツェの大使としてアヴィニヨンに乗り込んでいます。この和平案は実りませんでしたが、カタリナは教皇グレゴリウス11世に対してローマに戻るべきことを説き、教皇はカタリナの言葉に動かされて翌 1377年にローマに帰りました。

 1378年にグレゴリウス11世が亡くなって教会大分裂(シスマ)が起こると、カタリナはローマに赴いてウルバヌス6世に仕え、貴族や枢機卿たちに対して、ウルバヌス6世こそが正当なローマ教皇であると説きました。カタリナは1380年にローマで亡くなりましたが、教会大分裂の問題には死ぬまで心を痛めていました。


 カタリナの頭部はシエナの聖ドメニコのバシリカに、それ以外の部分はローマのサンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァに安置されています。

 カタリナは1461年、ローマ教皇ピウス2世によって列聖されました。祝日は4月29日です。聖カタリナはアシジの聖フランチェスコと共にイタリアの守護聖人であり、ヨーロッパの守護聖人のひとりでもあります。またビンゲンの聖ヒルデガルト、アビラの聖テレサリジューの聖テレーズとならんで、女性では四人しかいない教会博士のひとりです。


【シエナの聖カタリナの手紙】

 聖カタリナが口述した手紙は300通以上残っており、トスカナ方言による最初期の作品として高い評価を受けています。また1377年から78年の間の作品「神の摂理の対話」もよく知られています。この作品でカタリナは神の御許へと昇ってゆく魂と神の間の対話を描いています。カタリナは読み書きができたともできなかったとも言われています。


【シエナの聖カタリナの図像学】

 あるときカタリナはキリストを幻視しました。キリストは茨の冠、及び黄金と宝石でできた冠をカタリナに示してどちらかを選ぶように告げ、カタリナは茨の冠を選びました。この出来事ゆえに、カタリナの図像には茨の冠が描かれることが多くあります。また1375年、聖女は両手、両足、脇腹に聖痕を受けました。カタリナが聖痕を受けていたことは、1380年、神秘的結婚による「夫」イエズス・キリストと同じ年齢である33歳で聖女が亡くなったとき、初めて明らかになりました。

 下の画像は聖カタリナを描いたティエポロの作品です。茨の冠を被る聖女の手には聖痕が見えます。


(下・参考画像) Giovanni Battista Tiepolo, "Hl. Katharina von Siena", zirka 1746, Öl auf Leinwand, 70 x 52 cm, Kunsthistorisches Museum Wien, Gemäldegalerie, Wien




 カタリナが33歳で亡くなったとき、シエナの人々は聖遺物として遺体を欲しがりましたが、全身をローマから持ち出すのは無理であったので、頭部を切り離して袋に入れました。ローマ城外に出るときに衛兵に呼び止められて袋を開けさせられましたが、カタリナの頭部があるはずの袋には、たくさんの薔薇の花びらが入っていました。シエナに戻って袋を開けると、カタリナの頭部が元通りに入っていたといいます。この伝説のために、聖カタリナの図像は薔薇を手にしていることがあります。




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