エマニュエル・ダルソン神父
P. Emmanuel d'Alzon, 1810 - 1880




(上) 聖母被昇天アウグスチノ会の修道衣を着たエマニュエル・ダルソン神父


 エマニュエル・ダルソン神父(P. Emmanuel d'Alzon, 1810 - 1880)は聖母被昇天アウグスチノ会および聖母被昇天献身者会を設立したフランスのカトリック聖職者で、教育及び社会活動に生涯を捧げたことで知られています。


【エマニュエル・ダルソン神父の生涯】

 エマニュエル・ダルソン神父は、1810年8月30日、南仏ニーム(Nîmes)近郊の小さな町ヴィガン(Vigan オクシタニー地域圏ガール県)で、裕福な家庭に生まれました。ヴィガンはプロテスタントの勢力が強いところでしたが、エマニュエルが生まれた家庭はカトリックでした。エマニュエルは中等学校時代をパリで過ごし、活動的な知識人ラムネ神父(Félicité Robert de Lamennais, 1782 - 1854 註1)、同年の友人モンタランベール(Charles Forbes René, comte de Montalembert, 1810 - 1870 註2)、年下の友人フレデリック・オザナム(Antoine-Frédéric Ozanam, 1813 – 1853 註3)らと交友を深めました。

 大学を終えたエマニュエルは、法曹または軍人になるという当初の計画を変更し、聖職者への道を歩み始めます。1882年からの一年間をモンペリエの神学校に学んだ後、ローマに移って自学自習を続け、1834年12月26日、エマニュエル・ダルソンは司祭に叙階されました。




(上) Eugène Delacroix, "La Liberté guidant le peuple", 1830, Huile sur toile, 259 x 325 cm, le musée du Louvre 「民衆を導く自由の女神」 七月革命を主題にして、ウジェーヌ・ドラクロワが描いた油彩画。ラ・リベルテ(仏 La Liberté 自由、自由の女神)をマリアンヌの姿で擬人化しています。


 ダルソン神父が叙階された 1834年は、七月王政期に当たります。七月王政を成立させた 1830年の民衆革命(七月革命)はヨーロッパ各地に波及して、ウィーン体制を揺るがせました。1831年にはベルギーが事実上の独立を果たし、イタリアでは 1831年から 32年にかけてカルボナリ党が蜂起しています。またフランス国内では、七月王政はその前のブルボン復古王政に比べると余程ましであったとはいえ、現代のように完全な民主主義政体ではなかったので、国民の不満は徐々に高まりつつありました。このような時期に司祭になったダルソン神父は師であるラムネ神父の教えを忘れませんでした。カトリック教会は支配者の側ではなく支配される民衆の側に立つべきだ、というダルソン神父の思想は揺るぎませんでした。

 ダルソン神父は三十九年間に亙ってニーム司教区で司教総代理を務めました。その間に幾度もニーム司教の座を提示されましたが、ダルソン神父は司教になることを拒み続け、司牧、社会活動の現場に身を置き続け、とりわけ教育問題に熱心に取り組みました。1850年から 1945年までのフランスでは、公教育上級委員会(le Conseil supérieur de l'instruction publique)が公教育の指針を決定しました。ダルソン神父は同委員会の委員を務める傍ら、1851年には「キリスト教教育」(仏 "la Revue de l’Enseignement Chrétien")という雑誌を創刊しています。




(上) 「エマニュエル・ダルソン神父」 ポール・グランドム(Paul Grandhomme, 1851 - 1944)によるメダイユ浮き彫り 直径 25.0 ミリメートル 当店の商品です。


 1845年12月25日、ダルソン神父は聖母被昇天アウグスチノ会(les Augustins de l'Assomption)を設立しました。この会は次の目的を有していました。

 社会的責任を担うべく選ばれるキリスト者の育成
 東方正教会との対話を通し、キリスト者の一致に向けて労すること
 巡礼団の結成を通して、カトリック信徒が再び公の場に出ること
 カトリック世論を形成するため、またキリスト者が政治的社会的議論に参画するために、新聞その他の定期刊行物を発行すること
 神父を志す若者により良い宗教教育を提供する小神学校の設立
 孤児院の設立


 さらに二十年後の 1865年、ダルソン神父は聖母被昇天献身者会(les Oblates de l'Assomption)を設立しました。聖母被昇天献身者会は宣教に携わる修道女の会で、最も貧しい人々とキリスト者を一致させるべく、数々の慈善事業をはじめ、多様な取り組みを行うことを目的としています。聖母被昇天アウグスチノ会と聖母被昇天献身者会は協力関係にあります。

 1880年、ダルソン神父は「ラ・クロワ・ルヴュ」(仏 "La Croix Revue" 「十字架を振り返る」)という雑誌を創刊しました。この雑誌は 1883年に日刊紙「ラ・クロワ」(仏 "La Croix" 「十字架」)に発展します。


 エマニュエル・ダルソン神父は、1880年11月21日、ニームで亡くなりました。ダルソン師の墓所はニームのエマニュエル・ダルソン学園(l'Institut Emmanuel d'Alzon)内にあります。

 エマニュエル・ダルソン神父は大きな影響力を持つ人物で、後にモナコ司教となるアルナル・デュ・キュレル神父(Jean-Charles Arnal du Curel, 1858 - 1915)を聖職に導きました。ノートル=ダム・ド・フランスの建立を推進したマリ=テオドール・コンバロ師(Marie-Théodore Combalot, 1798 - 1873)とは、ラムネ師を通じて親しい関係にありました。

 1991年12月21日、教皇ヨハネ=パウロ二世は「尊者」(仏 Vénérable)の称号をダルソン師に贈りました。現在は列福に向けた手続きが進行中です。アルソン師の名前を関した教育機関は、フランス、ベルギー、コンゴ、アメリカ合衆国、コロンビア、チリに十か所以上を数えるほか、師を記念する慈善施設は世界中にあります。




註1 ラムネ神父(Félicité Robert de Lamennais, 1782 - 1854)はカトリック社会運動およびキリスト教民主主義の思想家であり、カトリック自由主義(le catholicisme libéral)の先駆者でもあります。ラムネ神父は強い信念の持ち主で、その民主主義思想を教皇から断罪されてもひるまず、カトリック教会当局と断絶を深めることになります。

註2 モンタランベール(Charles Forbes René, comte de Montalembert, 1810 - 1870)は歴史学者でもある政治家で、カトリック自由主義の理論家として知られます。

註3 フレデリック・オザナム(Antoine-Frédéric Ozanam, 1813 – 1853)は後にソルボンヌの教授となる人物で、カトリック慈善団体聖ヴァンサン・ド・ポール協会(La Confédération internationale de la Société de Saint-Vincent-de-Paul, SSVP)を設立したことで知られています。



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