ベレンの聖母の聖地
el Santuario de Nuestra Señora de Belén, Almansa




(上) アルマンサの守護聖女ヌエストラ=セニョラ・デ・ベレンの聖地


 マドリード州はイベリア半島の中央にあって、正三角形に近い形です。その東の辺と南の辺を含んで南東方向に大きく領域を広げているのがカスティジャ=ラ・マンチャ州(Castilla-La Mancha)です。カスティジャ=ラ・マンチャ州の南東端、バレンシア州との境界に近いところに、アルマンサ(Almansa カスティジャ=ラ・マンチャ州アルバセテ県)があります。アルマンサから北東に約八十キロメートル進むとバレンシア湾に出ます。

 アルマンサは二十世紀初頭の人口が一万一千人ほど、現人口が二万四千人ほどの田舎町です。ここにはヌエストラ=セニョラ・デ・ベレン(Nuestra Señora de Belén ベレンの聖母、ベツレヘムの聖母)と呼ばれる有名な聖母子像があります。1925年5月5日、ベレンの聖母はピウス十一世によって戴冠しました。ベレンの聖母の祝日は 5月6日です。


【ベレンの聖母の聖地】

 アルマンサの中心部から北西十二キロメートルのところに、アルマンサの守護聖女ヌエストラ=セニョラ・デ・ベレン(西 Nuestra Señora de Belén)の聖地があります。ベレン(西 Belén)は当地の地名ではなく、スペイン語でベツレヘムのことですから、ヌエストラ=セニョラ・デ・ベレンはベツレヘムの聖母という意味ですが、本稿ではベレンの聖母と表記します。スペイン語のアセント(アクセント)は日本語と同様のピッチ・アクセント(高低アクセント)です。ベレンはレにアセントがあるので、この音を一段階高く発音してください。




(上) エレンの聖母の聖地 グーグルの衛星写真


 上に示したのはグーグルの衛星写真で、聖地の建物の配置がわかります。赤い印が付いている建物が礼拝堂です。聖地の建物は礼拝堂後方東側のものも含めて三つの翼に分かれており、礼拝堂の南側正面を挟む二翼が、礼拝堂前にある長方形の広場をコの字形に囲んでいます。聖堂のプランはおおむね長方形で、身廊の長さは柱間五つぶんです。内陣は多角形で、1715年にアルマンサ市が寄進したチュリゲラ様式(el Churrigueresco)のレタブロを有します。レタブロの両側及びアプス上の半ドームは、バロック様式のフレスコ画で装飾されています。祭壇をはじめとする内部の造作は大半が十八世紀のものです。、聖堂は 1984年に重要文化財(西 Bien de Interés Cultural)に指定されています。

 ベレンの聖母の記録は九世紀に遡り、最初はごく小さな祠に安置された聖母像を、少数の隠修士たちが崇敬していたものと考えられています。1628年、ベレンの聖母を篤く崇敬するアルマンサの裕福な男性フアン・サンチェス・プリド(Juan Sánchez Pulido)が、聖母像の安置されていた場所に近接するラ・ベガ・デ・ラス・バラタス(la Vega de las Barracas)の所有地を寄進し、アルマンサの司祭たちが設立した信心会に管理を任せました。これが発展したのがベレンの聖母の聖地(西 el Santuario de Nuestra Señora de Belén)で、面積は 17.63ヘクタールに及びます。境内には十七世紀のバロック様式礼拝堂、礼拝堂に接して柱廊と中庭を有する幾つかの建物(祭具庫や博物館など)、小さな畑、多数の松があります。今日、聖地はベレンの聖母会(西 la Asociación de Ntra. Sra. de Belén)が管理しています。


 ロメリアの様子


 ベレンの聖母の聖地では、年に二回の祭礼が行われます。一度目の祭日は5月6日の後に来る最初の日曜日で、ベレンの聖母像がアルマンサから聖地まで運ばれます。この祭礼にはおよそ二万人の巡礼者が集まります。二度目の祭日は9月の第三主日で、聖母像は聖地からアルマンサまで十二キロメートルの道のりを担がれて運ばれます。これらの道行きはロメリアス(Romerías)と呼ばれています。ロメリアの原意はローマ行きという意味で、元々は巡礼を指す言葉です。アルマンサ市中では、聖母子像は被昇天教会(la iglesia arciprestal de la Asunción)に安置されます。


【聖母子像「ベレンの聖母」】



(上) 聖地の礼拝堂に安置されたベレンの聖母


 ヌエストラ=セニョラ・デ・ベレン(Nuestra Señora de Belén)またはラ・ビルヘン・デ・ベレン(la Virgen de Belén)と呼ばれる聖母子像がアルマンサに安置、崇敬されるようになった経緯については幾つかの節がありますが、最も有力なのはムルシア司教座聖堂の司祭ホセ・デ・ビジャルバ・イ・コルコレス師(José de Villalba y Córcoles)が 1730年の著書「天使祝詞の園」("Pensil de Ave María")で明らかにしている説です。ビジャルバ・イ・コルコレス師によると、当地における聖母崇敬は先述のフアン・サンチェス・プリドが永遠の救いを願ってローマに巡礼し、ベレンの聖母子像を持ち帰ったことで盛んになりました。ローマ巡礼から戻ったフアン・サンチェス・プリドは所有地の一角を寄進して庵を建て、聖母子像を祭壇に安置しました。年月が経ち聖母子への崇敬が広まるにつれて願掛けと奉献も盛んになったので、より多くの市民が願掛け、奉献を行えるように、一年の半分以上の期間、聖母子像をアルマンサ市内に安置するようになりました。このような過程を経て日常の参詣あるいは巡礼が聖母子像の行列に置き換わり、現在のロメリアになったと考えられています。




(上) バレンシアの版画家シグエンサによるベレンの聖母のエングレーヴィング M. Sigüenza, "Nuestra Señora de Belén, Patrone de Almansa", c. 1860, 106 x 77 mm, Real Academia de Bellas Artes de San Fernando, Madrid


 疫病の流行、旱魃、蝗害、地震などの災厄が起こるたび、アルマンサの市民はベレンの聖母に挙(こぞ)って願を掛けました。ベレンの聖母はやがてアルマンサの守護聖女と見做されるようになりましたが、1608年以来、同市の守護聖人はアッシジの聖フランチェスコとされていたので、フランシスコ会と被昇天教会の間に対立が生じました。教皇ウルバヌス八世は 1644年に教書を発してアルマンサの守護聖人をベレンの聖母とし、ピウス七世は 1804年1月13日にこれを追認しました。

 キリストの尊き御血信心会(las Cofradía de la Preciosa Sangre de Cristo)、聖母マリア信心会(la Cofradía de Ntra. Sra. Santa María)をはじめ、十六世紀以来いくつもの信心会がベレンの聖母への崇敬を旨として設立されました。十七世紀初頭に設立されたベレンの聖母信心会(la Cofradía de Nuestra Señora de Belén)は、十九世紀にベレンの聖母会(la Asociación de Ntra. Sra. de Belén または la Sociedad de la Virgen)になりました。また 1858年には篤信の牧場主団体である牧畜信徒信心会(la Cofradía del Gremio de los Pastores)ができました。

 聖母子像そのものにも変化があります。口承によると、最初のベレンの聖母は幼子を膝に乗せて坐る智恵の座型の聖母子像でした。ベレンの聖母を描写して現存する最初の記録には、正面観の聖母が左腕に幼子を抱き弦月の上に立つ典型的な無原罪の御宿り像が描かれています。時代が下ると、アルマンサ市中と聖所を行き来する聖母子像をより軽量にするために、聖母の上半身と両手及び幼子イエスのみを元のままに残し、他の部分は木製の枠で置き換えて衣とマントで覆うように作り変えられました。M. シグエンサによる十九世紀のエングレーヴィングはこの聖母子像を描いており、幼子イエスは聖母の胸の正面に抱かれています。




(上) 心ある共和主義者のおかげで破壊を免れたベレンの聖母


 ベレンの聖母の行列では、聖母子像に向かってキャラメルやアニス菓子を投げる習わしがありましたが、そのせいで聖母子の顔には孔が開き、劣化が進んでいました。1905年、聖母子像は修復のためにバレンシアに送られましたが、修復から戻ってきた聖母子像は足元の弦月が取り外されるなどして元の面影を留めませんでした。

 スペイン内戦勃発直後の 1936年7月25日、被昇天教会に急進共和主義者たちが乱入し、狼藉の限りを尽くしました。あらゆる物が破壊されましたが、共和主義者たちに混じっていた信仰深い人々のおかげで、聖母子像だけが破壊を免れました。しかしながら同年八月初旬、像は他の共和主義者たちに見つかって、結局破壊されてしまいました。新しい聖母子像をどのようなものにするかについて活発な議論が行われましたが、被昇天教会の補助司祭であるヘスス・ディアス・ルアノ師(Jesús Díaz Ruano)が市民から 2500ペセタの浄財を集めて、重量七十五キログラムの聖母子像が制作されました。また 1946年には重量十三キログラムの小さな像も作られました。年に二回の行列で運ばれるのは七十五キログラムの像で、こちらは五月から九月を除いて被昇天教会に安置されています。十三キログラムの像は年間を通して聖地の礼拝堂正面に安置されています。


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