160年前のフランスで制作された非常に珍しいメダイ。1854年12月8日、当時の教皇ピウス9世が「無原罪の御宿り」をローマ・カトリック教会の正式な教義と定めた際に、オーストラリアから初めてローマに届けられた献金を使用して制作された記念メダイユです。
一方の面には、雲に浮かぶ球体の上で蛇を踏み付ける「無原罪の御宿り」、すなわち聖母の姿が浮き彫りにされています。恩寵(神の恵み)の器(うつわ 通り道)である聖母の全身からは、神の愛を視覚化した温かい光が輝き出ています。聖母を取り巻くように、ラテン語で「我らの民の誉(ほま)れ」(HONORIFICENTIA
POPULI NOSTRI) と記されています。
「我らの民の誉れ」という句は、「無原罪の御宿り」への祈りである「トータ・プルクラ・エス」(TOTA PULCHRA ES ラテン語で「御身はすべてが美しくあり給う」の意)にも出てきますが、もともとは旧約聖書の第二正典「ユディト書」
15章 9節に基づきます。「ユディト書」はアッシリアに包囲された町ベトリアが、美しい寡婦ユディトのおかげで救われる物語です。ユディトは敵将ホロフェルネスの寝首を掻いてべトリアに戻り、ベトリアは混乱に陥ったアッシリア軍を打ち破りました。「ユディト書」
15章 9節では、大祭司と長老たちがユディトの功績を祝福します。ラテン語(ノヴァ・ヴルガタ)及び日本語により、「ユディト書」 15章 9節を引用いたします。日本語訳は筆者(広川)によります。
Et, ut exiit ad illos Iudith, benedixerunt simul eam omnes et dixerunt ad illam: "Tu exaltatio Ierusalem, tu gloria magna Israel, tu laus magna generis nostri." | ユディト出(い)で来たれば、皆揃ひて彼(ユディト)を祝福して曰(い)はく、「汝ヱルサレムの喜びにして、イスラエルの大いなる栄光なり。汝、我らが種族の大いなる誉れなり。」 |
敵将ホロフェルネスの寝首を掻いた美女ユディトは、蛇の頭を踏み砕く「無原罪の御宿り」の前表です。
(下) Artemisia Gentileschi (1593 - c. 1656), "Giuditta che decapita Oloferne", 1612/13, olio su tela, 158,8 cm × 125,5 cm, Museo Capodimonte, Napoli
「ユディト書」 15章 9節において、大祭司と長老たちは、敵将の首を取ったユディトを、「汝ヱルサレムの喜びにして、イスラエルの大いなる栄光なり。汝、我らが種族の大いなる誉れなり」と讃えています。それと同様に、このメダイの銘は、蛇の頭を踏み砕いた聖母を、「我らの民の誉(ほま)れ」なり、と讃えています。本品において聖母を取り巻く星は、ここで「我らの民」(POPULUS
NOSTER) と呼ばれているキリスト教会、すなわちキリスト教徒たちの象徴です。世界中の全キリスト教徒と解釈することもできますし、特にオーストラリアのキリスト教徒を念頭に置いた表現と考えることも可能です。
メダイのもう一方の面には、ラテン語の銘が刻まれています。
Mariae sine labe Conceptae Pius IX Pont. Max. ex auri Australiae primitiis
sibi oblatis cudi jussit VI Id. Dec. MDCCCLIIII.
省略されている語を補って日本語に訳します。日本語訳は筆者(広川)によります。補った語はブラケット [ ] で示しました。
Mariae sine labe Conceptae Pius IX Pontifex Maximus ex auri Australiae primitiis sibi oblatis [me (i. e. istam medaliam)] cudi jussit. | 教皇ピウス9世は、自らに献納されたオーストラリアの金の初穂により、罪無くして宿り給うたマリアのために、このメダイユが鋳造されるべきことを命じた。 |
1851年5月、大英帝国の植民地であったオーストラリア南東部のバサスト(Bathurst 現ニュー・サウス・ウェールズ州バサスト)において、採算面で採掘が可能な金鉱床が見つかったと報じられ、このとき以降、オーストラリアのゴールドラッシュが始まりました。本品の銘からは、オーストラリアのカトリック信徒たちがローマに金(きん)を寄進したこと、オーストラリアのカトリック信徒たちに寄進された金と献金が、「無原罪の御宿り」教義宣言記念メダイユの制作費用に充てられたことがわかります。
メダイの下部には、ローマ暦に拠って日付が刻印されています。
[die] VI/sexto [ante] Idus Decembris, [anno Domini] MDCCCLIIII. | 1854年12月8日に |
"VI ID. DEC." (die sexto ante Idus Decembris) を直訳すれば「十二月の中日(なかび)の前の第六日に」となります。ローマ暦の十二月の中日(IDUS イードゥース)は十三日で、その前日が「中日の前の第二日」(dies
secundus ante Idus)、さらにその前日が「中日の前の第三日」(dies tertius ante Idus)、というように数えます。したがって「十二月の中日の前の第六日」(dies
sextus ante Idus Decembris) は、12月8日、無原罪の御宿りの祝日のことです。
最下部に刻印されているのは、カトリック系の出版及びメダイユの発行を手掛けていたパリのエディトゥール、「ペ・ジ・カミュ」(Librairie
Catholique de P.-J. Camus, rue Cassette 20, Paris) の刻印です。「ペ・ジ・カミュ」の文字はメダイ表(おもて)面の左下部分にも刻印されています。
「無原罪の御宿り」の教義宣言を記念するメダイは、1854年12月8日という一度限りの機会に、限られた数のみが鋳造された稀少品ですが、そのなかでもとりわけ本品は、私自身が初めて目にするたいへん特殊で珍しい作例となっています。商品写真は実物の面積を40倍に拡大しており、小さな疵(きず)等がよく判別できますが、肉眼で実物を見ると十分に綺麗な保存状態です。